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第285回:「アルト ターボRS」に歴史あり! ~スズキ“ハイパフォーマンス軽”の系譜をたどる(前編)

2015.03.27 エディターから一言
1970年「フロンテSSS」。68年に登場したフロンテ初のホットモデルである「SS360」のマイナーチェンジ版。
1970年「フロンテSSS」。68年に登場したフロンテ初のホットモデルである「SS360」のマイナーチェンジ版。
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2015年3月11日、スズキは、個性的なスタイリングの新型「アルト」をベースとした高性能モデル「アルト ターボRS」を発売した。
スズキにとっては久々のスポーティーな軽であるが、走りにこだわるこうしたモデルは、これまでもたびたび見られたもので、1960年代後半に出た「フロンテSS360」や、その後の「フロンテ クーペ」、歴代「アルトワークス」など、当時話題となったモデルは数多い。

具体的に、過去、どんなホットモデルがあっただろうか? 読者諸兄の記憶には、どのモデルが残っているだろうか? ここで、スズキが世に送り出したハイパフォーマンス軽の変遷を振り返ってみよう。

1955年に登場したスズキ初の四輪にして軽自動車である「スズライトSF」。16psを発生する空冷2ストローク2気筒エンジンで前輪を駆動した。当時国産の自動車用でもっとも小径だったという16インチのホイール/タイヤが目立つ。このセダンのほかにハッチバッククーペ風のライトバンとピックアップもあった。
1955年に登場したスズキ初の四輪にして軽自動車である「スズライトSF」。16psを発生する空冷2ストローク2気筒エンジンで前輪を駆動した。当時国産の自動車用でもっとも小径だったという16インチのホイール/タイヤが目立つ。このセダンのほかにハッチバッククーペ風のライトバンとピックアップもあった。
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1962年「スズライトフロンテ360(TLA)」。くしくも「ミニ」と同じ59年に誕生した商用バンの「スズライトTL」をベースにした軽乗用車。前輪を駆動する空冷2ストローク2気筒360ccエンジンは21psを発生。ホイール/タイヤは他社の軽がみな10インチだったのに対して12インチだった。
1962年「スズライトフロンテ360(TLA)」。くしくも「ミニ」と同じ59年に誕生した商用バンの「スズライトTL」をベースにした軽乗用車。前輪を駆動する空冷2ストローク2気筒360ccエンジンは21psを発生。ホイール/タイヤは他社の軽がみな10インチだったのに対して12インチだった。
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軽のパイオニア

スズキは1955年に自身初の四輪車となる軽自動車「スズライトSF」を発売した。現存する自動車メーカーのなかでは、最も早い軽市場への参入となる。またスズライトSFは前輪駆動(FF)を採用しており、国産FF車のパイオニアでもあった。

その後62年に登場した「スズライトフロンテ360」の空冷2ストローク2気筒エンジンは、当時の軽では最強の21psを発生。翌63年に鈴鹿サーキットで開かれた第1回日本グランプリでは、下馬評では優勢とされ予選でも速かった「スバル360」を抑えて優勝した。スズキは60年から二輪世界グランプリに参戦しており、2ストロークエンジンのチューニングとレースにおける駆け引きを会得していたことが勝因と思われるが、肝心の市場では地味な存在だった。

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リアエンジンへの転換

1967年3月、軽乗用車市場に革命が起きた。最後発となるホンダが投入した「N360」は、既存の軽の平均より5割も強力な31psを発生する空冷4ストローク2気筒エンジンを搭載したFF車で、高性能かつ低価格。発売後、程なくして発売以来10年近くにわたって軽市場に君臨していたスバル360に代わってベストセラーの座に就いたのである。

N360登場から3カ月後の67年6月、フロンテがフルモデルチェンジした。スズライトの名を捨て「スズキ・フロンテ360」と名乗った新型は、時代の流れに逆行するかのように、それまでのFFからRR(リアエンジン・リアドライブ)に転換。リアに積まれたエンジンは、新設計の空冷2ストローク3気筒。25psの最高出力はホンダN360には及ばなかったが、スズキ自ら4ストローク6気筒に匹敵するとうたったバランスのよさやスムーズさでは勝っており、軽い車重も相まって走行性能では引けを取らなかった。

活発に走るフロンテは市場でも好評で、ホンダN360に次ぐセールスを記録。これら2車の登場によって、軽乗用車市場の図式は一気に塗り替えられてしまったのである。そして高性能を競うパワーウォーズが幕を開けたのだった。

FFからRRへとドラスティックな転換を果たした1967年「スズキ・フロンテ360」。スタイリングも角張った2ボックスからコークボトルラインと称した曲線基調に路線変更。ホイール/タイヤも10インチとなり、車重は525kgから420~440kgへと100kg前後も軽量化された。
FFからRRへとドラスティックな転換を果たした1967年「スズキ・フロンテ360」。スタイリングも角張った2ボックスからコークボトルラインと称した曲線基調に路線変更。ホイール/タイヤも10インチとなり、車重は525kgから420~440kgへと100kg前後も軽量化された。
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「フロンテ360」のボディー後端に積まれる空冷2ストローク3気筒エンジン。標準仕様でも3キャブレターを備え、356ccから最高出力25ps/5000rpm、最大トルク3.7kgm/4000rpmを発生。4MTを介して最高速度は110km/h。出力はモデル末期には31psまで高められた。
「フロンテ360」のボディー後端に積まれる空冷2ストローク3気筒エンジン。標準仕様でも3キャブレターを備え、356ccから最高出力25ps/5000rpm、最大トルク3.7kgm/4000rpmを発生。4MTを介して最高速度は110km/h。出力はモデル末期には31psまで高められた。
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1968年「フロンテSS360」。フロントグリルをブラックアウトし、砲弾型ミラーやルーフアンテナを装着するなどしてスポーティーに装ったボディーにハイチューンされたエンジンを搭載。室内にはタコメーターも備わる。
1968年「フロンテSS360」。フロントグリルをブラックアウトし、砲弾型ミラーやルーフアンテナを装着するなどしてスポーティーに装ったボディーにハイチューンされたエンジンを搭載。室内にはタコメーターも備わる。
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静岡県浜松市にあるスズキ本社に隣接するミュージアム、スズキ歴史館に展示されている、スターリング・モスがイタリアで駆った「フロンテSS360」。現地ではかつて二輪世界GPで活躍、日本人唯一のマン島TTレースのウィナーでもあるスズキ契約ライダーの伊藤光夫氏がドライブする黄色いフロンテSSが伴走した。
静岡県浜松市にあるスズキ本社に隣接するミュージアム、スズキ歴史館に展示されている、スターリング・モスがイタリアで駆った「フロンテSS360」。現地ではかつて二輪世界GPで活躍、日本人唯一のマン島TTレースのウィナーでもあるスズキ契約ライダーの伊藤光夫氏がドライブする黄色いフロンテSSが伴走した。
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シリンダーを鋳鉄からアルミ製に替え、3連キャブレターのベンチュリを大径化し、圧縮比を6.8から6.9へとわずかに高めるなどして最高出力36ps/7000rpm、最大トルク3.7kgm/6500rpmまでチューンした「フロンテSS360」のエンジン。活発に走らせるには3000rpm以上を保つ必要がある高回転型だった。
シリンダーを鋳鉄からアルミ製に替え、3連キャブレターのベンチュリを大径化し、圧縮比を6.8から6.9へとわずかに高めるなどして最高出力36ps/7000rpm、最大トルク3.7kgm/6500rpmまでチューンした「フロンテSS360」のエンジン。活発に走らせるには3000rpm以上を保つ必要がある高回転型だった。
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ビートマシン登場

1968年に入ると、スポーティーに装った「ホンダN360 Sタイプ」や軽で初めてSSを名乗った「ダイハツ・フェローSS」などが登場。11月にはフロンテにも自身初の本格的なスポーツモデルとなるフロンテSS360が加えられた。
2ストローク3気筒エンジンはシリンダーをアルミ製に替え、キャブレターを大径化するなどしてリッターあたり100psとなる36psにまでハイチューン。車重440kgという軽量な車体を最高速度125km/hまで引っ張り、0-400m加速は軽で初めて20秒を切る19.95秒と公表された。

自ら“ビートマシン”と称したフロンテSS360の発売に際して、スズキはその高速耐久性を実証するために実車をイタリアに送り、“無冠の帝王”の異名をとった名レーシングドライバーのスターリング・モスにドライブさせるというプロモーションを行った。モスがハンドルを握ったフロンテは、ミラノ~ローマ~ナポリ間750kmのアウトストラーダ・デルソーレ(太陽の道)を平均速度122.2km/hで走破したと広告で大々的にうたわれたのである。

過熱する競争のなかで

フロンテSSのデビューとほぼ同時期に、ホンダN360や老舗のスバル360も最高出力36psを誇るツインキャブの高性能版を追加。その後に登場した「三菱ミニカGSS」は最高出力38ps、「ダイハツ・フェローMAX SS」に至っては40psを標榜するなど、軽のパワーウォーズはどんどんヒートアップしていった。そんなブームの渦中にあって、フロンテのホットモデルは動力性能のみならず操縦性も含め、軽のなかではもっともスポーティーと評されていたのである。

1970年10月にフロンテはフルモデルチェンジして「フロンテ71」となる。基本構造は先代から踏襲するが、ボディーはそれまでの曲線基調からスティングレイ・ルックと名乗る角張ったものとなった。翌71年5月には2ストローク3気筒エンジンを水冷化。高性能版の「フロンテ71GT-W」は最高出力37psまで高められたが、空冷時代よりもエンジン特性はマイルドになった。

1970年にフロンテは衣替えして「フロンテ71」となり、翌71年にエンジンを水冷化した「フロンテ71W」をシリーズに加えた。これはホットモデルの「71GT-W」で、水冷エンジンは37ps/6500rpm、4.2kgm/4500rpmと最高回転数が下がり、トルクも増強され乗りやすくなった。ノーズにラジエーターがあるので、一見したところフロントエンジン車のように見える。
1970年にフロンテは衣替えして「フロンテ71」となり、翌71年にエンジンを水冷化した「フロンテ71W」をシリーズに加えた。これはホットモデルの「71GT-W」で、水冷エンジンは37ps/6500rpm、4.2kgm/4500rpmと最高回転数が下がり、トルクも増強され乗りやすくなった。ノーズにラジエーターがあるので、一見したところフロントエンジン車のように見える。
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1972年「フロンテGT-W タイプII」。2度のマイナーチェンジを経たGT-Wの最終型。当時、このマスクは通称ハコスカこと3代目「日産スカイライン」(写真右上)や「日産チェリー」に似ていると思ったが、今見ると新型「アルト」に通じるものがあるかも。
1972年「フロンテGT-W タイプII」。2度のマイナーチェンジを経たGT-Wの最終型。当時、このマスクは通称ハコスカこと3代目「日産スカイライン」(写真右上)や「日産チェリー」に似ていると思ったが、今見ると新型「アルト」に通じるものがあるかも。
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軽唯一のリアルスポーツ

高性能化と同時に高級化が進んでいた軽自動車市場に、スポーツ仕様に続いて起きたのは、1970年10月デビューの「ホンダZ」に始まるスペシャルティカーの流行。このマーケットに向けて、71年6月にスズキが投入したのがフロンテ クーペである。シャシーは水冷化されたハイチューンドエンジンを積むフロンテ71GT-Wとほぼ同じだが、2座クーペボディーはジウジアーロの原案をベースにスズキ社内でデザインされた、まったく新しいものだった。

「ふたりだけのクーペ」をキャッチフレーズに、いささか軟派なイメージで売り出されたフロンテ クーペだが、車高が71GT-Wより100mm近く低い1200mmに抑えられたため重心が下がり、ハンドリングはさらにシャープになった。定評のある2ストローク3気筒エンジンと相まって、小さいながらもリアルスポーツと呼べる走りっぷりを見せたのだった。そんな魅力的なモデルだったが、発売後半年ほどで市場の要望からおよそ非実用的なリアシートを備えた2+2仕様を追加。やがては2+2のみとなってしまったのだった。

1971年「フロンテクーペGX」。スタイリングはジウジアーロの作といわれることがあるが、そうではない。彼が提案したのはもっと背の高いモノフォルム風のデザインで、そのアイデアを元にスズキがスポーツクーペに仕立てたのである。
1971年「フロンテクーペGX」。スタイリングはジウジアーロの作といわれることがあるが、そうではない。彼が提案したのはもっと背の高いモノフォルム風のデザインで、そのアイデアを元にスズキがスポーツクーペに仕立てたのである。
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グランツーリスモ然とした「フロンテ クーペGX」のインテリア。2シーターと割り切り、着座位置も低くしたことで、外見から想像するよりドライビングポジションは快適かつスポーティーだった。
グランツーリスモ然とした「フロンテ クーペGX」のインテリア。2シーターと割り切り、着座位置も低くしたことで、外見から想像するよりドライビングポジションは快適かつスポーティーだった。
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盟主となるも冬の時代へ

1973年7月にフロンテは再び世代交代を迎えるが、この頃になるとすっかり高性能軽ブームは過ぎ去っていた。72年に実施された車検制度の導入(それまで軽には車検がなかった)が影響して、軽市場が縮小。加えて石油危機以降の世間の省エネムードや排ガス規制への対応、行き過ぎた高性能化および高級化への反動もあって、各社のカタログから次第にホットモデルが消えていったのである。
そんな状況のなか、74年10月をもって軽トラックを除く軽自動車の生産を終了したホンダに代わって、スズキは軽ナンバーワンメーカーの座に就いたのだった。

余談になるが、フロンテの水冷2ストローク3気筒エンジンはモータースポーツでも大活躍した。70年代初頭から80年代前半にかけてFL(フォーミュラ・リブレ)500という、軽自動車のエンジンを使用した、日本独自のシングルシーターのカテゴリーが存在した。
多くのコンストラクターがユニークなマシンを作り、トップドライバーも少なからず参戦したレースだったのだが、これを支えたのがフロンテのエンジンだった。420ccまでスケールアップされたスズキ・トリプルは、60~70psを発生したといわれている。
後編につづく

(文=沼田 亨)

1973年「フロンテ360 2ドアGTタイプII」。世代交代で再び丸みを帯びたボディーとなったフロンテ。当初はツーリスモと呼ばれるスポーツ系には37psエンジンが積まれたが、74年のマイナーチェンジで35psにデチューンされた。
1973年「フロンテ360 2ドアGTタイプII」。世代交代で再び丸みを帯びたボディーとなったフロンテ。当初はツーリスモと呼ばれるスポーツ系には37psエンジンが積まれたが、74年のマイナーチェンジで35psにデチューンされた。
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「フロンテ」用の水冷2ストローク3気筒エンジンを積んだ往年のFL500マシン。これはホイールメーカーとしても知られるレーシングカーコンストラクターであるハヤシが1978年にリリースした「ハヤシ712」。写真は昨年、大磯ロングビーチでのジムカーナに出走したときのもの。
「フロンテ」用の水冷2ストローク3気筒エンジンを積んだ往年のFL500マシン。これはホイールメーカーとしても知られるレーシングカーコンストラクターであるハヤシが1978年にリリースした「ハヤシ712」。写真は昨年、大磯ロングビーチでのジムカーナに出走したときのもの。
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