第100回:非現実のデトロイトに潜む暴力と鎮魂の物語
『ロスト・リバー』
2015.05.29
読んでますカー、観てますカー
人が消え荒れ果てた自動車都市
映画の冒頭、ロマンチックな音楽が流れる中、美しい母と2人の息子の幸せそうな生活が描かれる。上の息子は10代後半の青年だが、弟はまだ小さい。兄は絵本を読み聞かせてやったりしている。少し古びた家でも、楽しいわが家なのだ。しかし、時折はさみ込まれる映像が不穏な空気を漂わせる。朽ちかけた家や草が生い茂る庭、誰もいない公園。彼らの家のまわりは、ほとんどが廃虚なのだ。
驚くのは、この作品がデトロイトで撮影されているということだ。映し出される荒涼とした街は、現在のリアルな姿である。世界の自動車産業の中心地だった都市は、見る影もなく衰退してしまった。80年代以降、工場がメキシコなどに移転していくと、デトロイトには失業者の群れが残される。公共施設は次々に閉鎖され、街は荒れ果てていく。人口が減り、治安が悪化してさらに人が逃げ出すという悪循環だ。2013年には、ついにデトロイト市が財政破綻してしまった。
映画は架空の都市を舞台にしているが、どうしても自動車都市の無残な姿と重なって見えてしまう。3人家族の隣人も、トラックに荷物を積んで街を出ていった。彼らがとどまっていられる期限は、刻々と近づいている。人が消えた街に仕事があるはずもなく、それでも家のローンは払わなければならない。
兄のボーンズ(イアン・デ・カーステッカー)は、廃虚に忍び込んで廃材を持ち出し、業者に売って小銭を稼いでいる。母親のビリー(クリスティナ・ヘンドリックス)は銀行に支払い延期を頼みにいくが、支店長のデイヴ(ベン・メンデルゾーン)は怪しげな場所で働くよう勧めてくる。
「エルドラド」に乗る廃虚の王
ボーンズは、さびてボロボロになったクルマを修理している。クルマが直らなければ、この場所から離れられない。パーツを手に入れるためにも金が必要だが、廃材売りはできなくなってしまった。街を仕切っているギャングのブリー(マット・スミス)が、廃虚にある金属クズはすべて自分のものだと宣言したのだ。
彼は拡声器で「この街は俺のものだ! ここはブリー・タウンだ!」と叫びながらクルマで街をまわっている。たとえ廃虚であっても、彼はそこで王になりたいのだ。オープンカーのトランクの上にわざわざ据え付けたシートに座り、全身で威嚇するように声を張り上げる。乗っているのは、1966年型の「キャデラック・エルドラド」だ。“黄金郷”という名を持つクルマである。走っている場所は、実際にはゴーストタウンなのに。
ボーンズは、隣に住む少女ラット(シアーシャ・ローナン)と心を通わせるようになった。彼女は、この街が寂れたのは、呪いのせいだと話す。貯水池を作るために街の一部が水の底に沈み、それから荒廃が始まったというのだ。街をよみがえらせるためには、“ロスト・リバー”に行って取り戻さなければならないものがある。
ビリーが働くことになったのは、奇妙なナイトクラブだった。スター女優のキャット(エヴァ・メンデス)はステージで血まみれになるパフォーマンスを見せ、観客は喝采を送る。エロティックでグロテスクなショーが毎晩繰り広げられている。いわば、ゴシック趣味のキャバレーだ。デイヴはここのオーナーでもあった。ビリーは何も芸を持たないので、“シェル”と呼ばれる密室で働くよう促される。
『ドライヴ』のゴズリングが初監督
この映画の監督は、ライアン・ゴズリングである。2012年に傑作映画『ドライヴ』で、ストイックで孤独な“逃がし屋”を演じた俳優だ。あの作品を撮ったのがニコラス・ウィンディング・レフンで、ゴズリングは次の作品の『オンリー・ゴッド』にも出演している。彼はその耽美(たんび)的な世界観に心酔してしまったようだ。初監督作品となった『ロスト・リバー』では、レフンの影響を隠そうともしていない。
ゴズリングは、『ラースと、その彼女』『ブルー・バレンタイン』でダメ男になりきったかと思えば、『ラブ・アゲイン』ではエマ・ストーンと恋に落ちる色男をコミカルに演じた。『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』では完璧な肉体美を披露し、当代一のイケメンぶりを見せつけたのである。マネーメイキングスターとして派手な娯楽作に出演するのは簡単なことだったはずだが、彼はあまりメジャー志向とは言えない好みを持っていたようだ。
『ドライヴ』には恋愛要素もあったので誰にでも勧められたが、『オンリー・ゴッド』は観客を選ぶ作品である。極めて観念的で、すさまじい暴力描写に満ちていた。レフン監督はもともとそういう作風で、『ヴァルハラ・ライジング』や『ブロンソン』などは全編がバイオレンスの嵐である。ゴズリングは、彼の作品に出演したことで、暴力を美しく描くことが映画にとっていかに重要であるかを知ってしまったのだ。
『ロスト・リバー』の世界も、陰惨な暴力が支配している。ブリー(bully)というのは“いじめ”という意味であり、ボーンズ(bones)は骨だ。そして、女性の名はラット(rat)とキャット(cat)である。隠喩に覆われた街に君臨するのは、水底から呪いを送り続ける魔物なのだ。
ゴズリングの監督デビューは、必ずしも成功したとは言えないかもしれない。イメージの断片は不格好につなげられ、物語は熟成の時を待たずして荒々しく組み立てられたようにも見える。きっと、彼はかつて映画が持っていた熱と渇きのようなものに、再び命を与えたかったのだ。だから、作品は悲哀と悔恨が染み付いたデトロイトで作られねばならなかった。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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