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第424回:1989年、伝説の第28回東京モーターショーを振り返る

2015.11.13 マッキナ あらモーダ!

四半世紀以上前のショー

第44回東京モーターショーが2015年11月8日に閉幕した。11日間の入場者数は81万2500人で、前回2013年に比べ、1割減であった。

先日、写真を保存・整理していたら、昔の写真が偶然にも出てきた。26年前、1989年の第28回東京モーターショーのものだ。忘れもしない、ボクが東京で自動車雑誌『SUPER CG』の編集部で仕事を始めた年の東京ショーである。そして、初めて晴海から幕張メッセに会場を移して開催された年だった。

ショーの直前には、今では考えられないほど、さまざまなメーカーやカロッツェリアが独自に事前の発表会を用意した。外国企業は、日本の自動車メーカーのように各社間で発表会の日程を調整しないので、開催日のバッティングが起きた。
ボクが取材したピニンファリーナの事前発表会の日もそうだった。もうふたつ別のカロッツェリアとブランド(たしかひとつは、ワコールのスポーツカープロジェクト「ジオット・キャスピタ」だったと思う)が、お披露目会を催し、編集部内でどうやって手分けして取材するか悩んだものだった。

さて、幕張メッセで行われる初めてのモーターショーのプレスデイ当日がやってきた。ボクと、当時の上司であった高島鎮雄SUPER CG編集長は、JR中央線西国分寺駅から武蔵野線―京葉線というルートで海浜幕張駅へと向かった。
到着してみると、クルマでやってきたチームが「いやはや、大変だったよ」ともらす。聞けば、こういう日にかぎって高速道路上で事故があり、大渋滞が起きてしまったのだという。真偽のほどは定かでないが、事故を起こしてしまったのは某日本メーカーのスタッフであるという話だった。
報道関係者公開日の会場は、今日と比べ、いろいろな意味でピリピリしていた。ボクが一眼レフカメラの「ピピッ」という合焦音を消さずに使っていたら、脇にいた他社の見知らぬカメラマンから「うるせえ!」といきなり怒鳴られたものだ。

1989年、東京モーターショーの写真から。フェラーリのコンセプトカー「バルケッタMYTHOS(ミトス)」。
1989年、東京モーターショーの写真から。フェラーリのコンセプトカー「バルケッタMYTHOS(ミトス)」。 拡大
まだ開業3年目だった京葉線の海浜幕張駅をのぞむ。走っているのは、他線からのお下がりである103系電車と思われる。
まだ開業3年目だった京葉線の海浜幕張駅をのぞむ。走っているのは、他線からのお下がりである103系電車と思われる。 拡大
ダイハツのコンセプトカー「ハイゼット ダンボ」。コンパニオンはどこか「部屋とYシャツと私」をヒットさせた歌手、平松愛理風である。
ダイハツのコンセプトカー「ハイゼット ダンボ」。コンパニオンはどこか「部屋とYシャツと私」をヒットさせた歌手、平松愛理風である。 拡大

マツダの「AZ550スポーツ タイプB」(左)と同「タイプA」(右)。「オートザムAZ-1」の先駆けとなるものだった。


	マツダの「AZ550スポーツ タイプB」(左)と同「タイプA」(右)。「オートザムAZ-1」の先駆けとなるものだった。
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「バブル」と片付けるのは惜しい

今回出てきた1989年の東京モーターショーの写真は、ボク個人の記録として撮影した紙焼き写真を、さらに後年スキャンしたものなので、低いクオリティーであることをおことわりしておく。クルマの脇にいるコンパニオンたちのメイクや髪型を見ていると、その昔知り合った頃の女房のそれに似ていて、なんとも複雑な気持ちになる。

しかし、日本に頻繁に訪れていた時代のジョルジェット・ジウジアーロ氏の姿もある。さらに驚いたことに、旧ソビエトの自動車輸出機関「AVTOEXPORT」までが出展していたことがわかる。彼らが持ち込んだコンセプトカー「KOMPAKT(コンパクト)」は、外装はともかく、内装のフィニッシュは残念ながら極めてお粗末だった。ちなみにソビエトが崩壊するのは、この2年後だ。

この1989年、ボクは両親を連れて一般公開日にも行ったのを覚えている。高級車「インフィニティQ45」などを展示した日産ブースでは、あまりの人の多さから、順路を示すプラカードをスタッフが掲げていた。
その年「幕張は遠い」と文句を言う人が後年よりずっと少なかったのは、取り巻いていた景気上昇ムードゆえに違いない。

『自動車ガイドブック』最新版によると、1989年の東京ショーの入場者数は12日間で192万4200人。一日あたり16万人超という、歴代トップの入場者数だったという。そりゃ人が多かったわけである。

「バブル時代だねぇ~」と冷ややかに振り返ることもできる。しかし歴史的な回に立ち会ったと思うと、あの殺人的ともいえる人混みも、良い思い出となってくる。
ましてや今もイタリアで「あの年、サローネ・ディ・トキオ(注:イタリア語で東京ショーのこと)に行ってさ、物価が高くてぶったまげた」などと懐かしく語る自動車関係者に意外なところで出会うたび、バブルの象徴と片付けるのは惜しい気がする。

会場にいたジョルジェット・ジウジアーロ氏。当時51歳。
会場にいたジョルジェット・ジウジアーロ氏。当時51歳。 拡大
旧ソビエトの自動車輸出機構(AVTOEXPORT)が参考出展した「ラーダ・サマーラ」。今でも東欧の旧社会主義国で時折見かけるモデルである。
旧ソビエトの自動車輸出機構(AVTOEXPORT)が参考出展した「ラーダ・サマーラ」。今でも東欧の旧社会主義国で時折見かけるモデルである。 拡大
旧ソビエトの自動車輸出機構が展示したコンセプトカー「コンパクト」。
旧ソビエトの自動車輸出機構が展示したコンセプトカー「コンパクト」。 拡大

フェラーリ「みそ酢」

1989年の東京ショーで前述のピニンファリーナは、「フェラーリ・テスタロッサ」をベースにした「バルケッタMYTHOS」を展示した。あのピニンファリーナが世界初公開の場として、東京を選んだのである。クライアント獲得に、東京は格好のショーケースだったのだろう。

しかしながら当時編集部で困ったのは、そのカタカナ表記だった。「ミソス」か「ミトス」か? 最終的には後者に決着したが、「もし前者が採用されていたら、翌1990年に登場した「フィアットTempra」と、期せずして、「みそ酢・天ぷら」コンビになっていたかもなどと、都心の安宿でたわいもない空想にふけったボクである。

(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>)

「コンパクト」のダッシュボード。しかしながら、ソビエトは何を意図して、東京ショーにブースを構えたのだろう。
「コンパクト」のダッシュボード。しかしながら、ソビエトは何を意図して、東京ショーにブースを構えたのだろう。 拡大
「バルケッタMYTHOS」。「ミソス」か「ミトス」か、編集部内で悩んだものだった。
「バルケッタMYTHOS」。「ミソス」か「ミトス」か、編集部内で悩んだものだった。 拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナ在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、22年間にわたってリポーターを務めている。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり】(コスミック出版)など著書・訳書多数。

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