第115回:ボンクラ青年は彼女のクルマに乗って覚醒する
『エージェント・ウルトラ』
2016.01.22
読んでますカー、観てますカー
今年も続くスパイ映画の流れ
昨年はスパイ映画の当たり年で、『ミッション:インポッシブル』『007』という定番2大シリーズに加えて『キングスマン』『コードネームU.N.C.L.E.』という掘り出し物に出会えた。この流れはまだ終わっていないらしい。新年早々に公開された『ブリッジ・オブ・スパイ』が好評である。スティーヴン・スピルバーグ監督作品で主演がトム・ハンクスなのにあまり宣伝されなかったが、作品の質が高いことが口コミで広がっていった。
スパイ映画とはいっても、派手なアクションやカーチェイスは出てこない。冷戦期のアメリカでソ連のスパイが捕らえられ、トム・ハンクスが演じる弁護士が法廷で彼のために戦う。数年後にアメリカの偵察機U-2が撃墜されてパイロットが拘束され、スパイ交換が行われる。国が前面に出るわけにはいかないので、弁護士に運命が託されることになった。ベースとなっているのは実話である。
スピルバーグは『ジョーズ』や『インディ・ジョーンズ』のような娯楽作品を撮る一方で、『シンドラーのリスト』や『リンカーン』といった映画を製作している。使命感が動機となっている作品群で、『ブリッジ・オブ・スパイ』は明らかに後者に属する。それでも辛気くさくてつまらないということはなく、上質なサスペンスとスリリングなドラマが観客を魅了する。トム・ハンクスが貫禄を示しているのは言うまでもないが、ソ連のスパイ役のマーク・ライランスもいい味を出している。
今回紹介する『エージェント・ウルトラ』は、銃撃戦あり爆発ありのエンターテインメント作品だ。しかし、ただのバカ映画として笑っているだけではすまない。テーマにはCIAの暗い過去が刻まれている。
元スパイだったダメ男
ウエスト・ヴァージニア州の田舎町に住むマイクは、典型的なボンクラだ。コンビニ店員として働き、猿が主人公の漫画を描くことが何よりの楽しみ。『ソーシャル・ネットワーク』でザッカーバーグを演じていたジェシー・アイゼンバーグだが、この映画ではITの天才とは正反対のダメ男である。マリファナばかりやっていて、『テッド』の主人公と同様のデクノボウなのだ。そのくせかわいい女の子と付き合っているというのも、『テッド』に似ている。彼女のフィービーを演じるのは、『パニック・ルーム』の子役からイケてる若手女優に成長したクリステン・スチュワートだ。
世の負け組男子に夢を与えてくれる映画だと思わせるが、物語は急転する。マイクの仕事中に店にやってきた中年女性が謎の言葉をつぶやくと、秘めたる能力が目覚めるのだ。マイクはコンビニを襲撃した殺し屋を返り討ちにする。格闘技を習ったことのないオタク青年が、武装した2人組をスプーン1本で瞬殺するのだ。彼は自分の行動が理解できず、駐車してあった愛車の「フォードLTDクラウンビクトリア」が爆破されるとパニックに陥ってしまう。
自分の知らない超人的能力が勝手に発現してしまうというのは、『ボーン・アイデンティティー』とそっくりだ。ジェイソン・ボーンは記憶喪失だったが、マイクはニセの記憶を刷り込まれている。彼も元CIAのエージェントで、新たにボンクラとしての記憶を与えられて無害で楽しい生活を送らされていた。
タイトルの“ウルトラ”というのは、MKウルトラ計画のこと。第2次世界大戦後にアメリカ軍がナチスの科学者を連れ帰って実施したペーパークリップ作戦から生まれたもので、拷問や洗脳の専門家が関与した。LSDなどの薬物や電気ショックを用いて人間の精神をコントロールし、極秘任務の遂行に役立てようとしたといわれる。被験者に重度の障害が現れるケースが続出したために打ち切られ、 現在でも全容はわかっていない。あまりにヤバいということで、1970年代になるとCIAは記録のほとんどを破棄してしまった。
戦闘能力全開でCIAと対決
MKウルトラ計画は全体像が不明であることから、さまざまな事件と結び付けられてきた。ロバート・ケネディ上院議員の暗殺やジョン・レノンの殺害がわかりやすい例だ。MKウルトラ作戦でマインドコントロールされた人間によるものだとする説は根強く信じられている。1978年にガイアナで集団自殺したカルト集団の人民寺院がCIAの実験場だったといううわさまでが、まことしやかにささやかれていた。なにしろ誰も詳しいことを知らないから、うさんくさくても完全に否定するのは難しい。
アメリカにとどまらず、日本にも影響が及んでいるという。最近でいえば、あの国民的アイドルグループが解散の危機に見舞われたことにもMKウルトラ作戦の被験者が関わっているらしい。日本人の心のよりどころである彼らを分裂させることで、国家のアイデンティティーをぐらつかせようとする長期的計画が今になって発動されたわけだ。清純派で知られるハーフタレントの不倫もこの計画の一部で……というのはもちろんデタラメである。要するに、いくらでもバカバカしい陰謀論をでっち上げることができるということだ。
映画には格好の素材で、『陰謀のセオリー』ではメル・ギブソンがMKウルトラ計画元被験者のスゴ腕エージェントだった。ボーンシリーズではトレッドストーン計画やアウトカム計画として複雑なストーリーが展開する。『実験室KR-13』は、MKウルトラ作戦が秘密裏に続けられていたという設定になっていた。
能力が覚醒してしまった以上、マイクは危険な存在となった。CIAは総力をあげて抹殺しようとする。メディアに手を回してマイクが強力な伝染病の保菌者であるという情報を流し、彼が一般市民からも追われる状況を作り出すのだ。マイクは眠っていた戦闘能力をフルに発揮し、彼を生み出した組織と戦うことになる。
ありがたいのは、絶体絶命の状況になっても分不相応な彼女のフィービーが付いてきてくれることだ。実は、ジェシー・アイゼンバーグとクリステン・スチュワートは2009年の『アドベンチャーランドへようこそ』でも共演していた。その時はD.T.だった彼の切ない思いが成就することはなかったが、今回は彼女が愛車「スバル・アウトバック」を運転して一緒に逃げてくれる。勇気百倍、CIAなんかに負けるはずはない。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。