第119回:麻薬王が支配する国では日本車がモテモテ
『エスコバル/楽園の掟』
2016.03.11
読んでますカー、観てますカー
麻薬戦争ピーク時のコロンビア
外務省の海外安全ホームページには、危険度によって色分けされた地図が掲載されている。中東から北アフリカにかけて真っ赤に塗られているところは、退避勧告が出されている危険度レベル4の国だ。それに次いで危険度が高いのが中米である。メキシコからブラジルにかけて、広大な地域が黄色からオレンジ色に塗られている。その中で最もヤバそうなのがコロンビアだ。国土の3分の1ほどがレベル3の渡航中止勧告指定地域である。
このあたりが危険とされているのは、コカインの生産地であることが理由だ。巨大な利権をめぐって抗争が繰り広げられ、旅行者もうっかりすると巻き込まれてしまう。『エスコバル/楽園の掟』は、そんな危ない場所が楽園だと勘違いしてやってきたカナダ人が大変な目に遭う話だ。同情はするけれど、少々のんきすぎる連中である。今よりはるかに治安の悪かった1980年代から90年代にかけてが舞台なのだ。
最近のコロンビアでは、年間の殺人被害者は1万5000人を切っている。90年代の半分以下だ。統計によると発生率は10万人あたり30.8人で、世界11位。近所でいうと1位のホンジュラス90.4人、2位のベネズエラ53.7人よりかなり安全ということになる。ちなみに日本は0.28人で、世界で最も安全な国の一つである。
映画が描くのは、コロンビアで麻薬戦争がピークを迎えていた時期だ。メデジン・カルテルと呼ばれる組織が強大な力を持ち、政府が必死で抑えこみを図っていた。しかし、彼らは行政や警察、軍隊にも入り込んでいる。汚職が横行していて、対決姿勢はなあなあになりがちだ。コカインの流入に苦しむアメリカが介入する事態になり、ひそかにデルタフォースが送り込まれたといわれている。
犯罪者なのに国民から大人気
メデジン・カルテルを支配していたのが、麻薬王パブロ・エスコバルだ。コカイン売買で成功して財を成し、フォーブス誌に世界第7位の富豪だと認定されたこともある。最盛期には250億ドルもの売り上げを誇ったというから、結構な大企業だ。自宅にはプールはもちろんのこと飛行場や動物園もあったという。寒い時は札束を燃やして暖をとったというから、東MAXのギャグを地で行っている。
まごうことなき犯罪者なのだが、コロンビアでは大人気だった。稼いだ金で貧しい人のために住宅を建設するなどの慈善事業を行っていた。日本でいえば、鼠(ねずみ)小僧次郎吉や清水次郎長のようなイメージになるだろうか。コカインに手を染めていることも、大して問題とはならない。コカの葉は伝統的にお茶として飲まれていて、違法薬物という認識は薄い。特産物を輸出して利益をもたらすのだから、国にとっても有用な人物という評価になる。
映画では、エスコバルの巨大看板を設置している現場にカナダ人のニック(ジョシュ・ハッチャーソン)がやってくる。人懐っこい笑顔の写真に「良心の力……! エスコバル」と書かれていて、いかにも地元の名士という風情だ。ニックはそこで見かけたコロンビア美女をナンパ。マリア(クラウディア・トレイザック)という娘は診療所の立ち上げのために働いていた。資金を提供しているのはエスコバルで、彼女は姪(めい)にあたる。
ふたりは恋に落ち、ニックはエスコバルの家に呼ばれた。エスコバルの誕生パーティーが開かれているのだ。彼はプールで子どもたちと遊び、食事の席では自らステージに上って歌を披露する。誰からも愛される豪放であけっぴろげな人柄だ。マリアも商売で成功して貧しい人のためにお金を使う叔父を心から信頼している。
日本製SUVに乗る犯罪者たち
ニックたちに嫌がらせを仕掛けてきた地元のチンピラのことをエスコバルに話すと、なぜかしばらくして彼らは姿を現さなくなった。結構エグい方法で惨殺されていたのである。エスコバルは家族を大切にする。かわいい姪の恋人なら、息子も同然だ。全力で守る必要がある。家族に害を与える者たちには、断固とした態度で制裁を加えるのが正しい。
犯罪者集団というのは、洋の東西を問わずこういう考え方をする。内と外を厳格に分け、疑似家族を形成するのが常法だ。日本でも “なんとか一家”を名乗る団体が多く存在する。ボスは家族にとっては優しく懐の深い親父さんだが、外部に対しては容赦のない冷血ぶりを発揮する。『ゴッドファーザー』ではマフィアの残虐な行為とともに、ファミリーの中での愛と悲しみが描かれた。マーロン・ブランドの演じたドン・コルレオーネは、冷血な犯罪者であるとともに慈しみ深い父でもあった。
同じ系譜に属するエスコバルを、この映画ではベニチオ・デル・トロが演じている。素晴らしいキャスティングだ。考え深げな表情の中に、油断のならない目の光を宿す。満面の笑みのように見えても、どこか悲しげな顔でもある。彼は常に多面性を持っていて一義的な解釈を許さない。同じ題材を扱った映画ではハビエル・バルデムがエスコバル役を務めることになっていて、こちらも適役だ。日本人なら勝新太郎か原田芳雄あたりがいいと思うが、残念ながらふたりとも鬼籍に入ってしまった。現役なら、佐藤浩市か安田 顕というところではどうか。
ベニチオ・デル・トロは『チェ 28歳の革命』『チェ 39歳 別れの手紙』ではチェ・ゲバラを演じていた。立ち位置は全然違うが、彼もエスコバルも強いカリスマ性を持つ中米の英雄であることは共通している。違うのは体重で、今回は腹回りが巨大だ。やせていたゲバラ役の時と比べると、50kgぐらい重くなっているかもしれない。
次第に深みに入り込んでいったニックは、エスコバルから重要な任務を任される。ピストルを渡された彼は、「トヨタ・ランドクルーザー」に乗って仕事に向かう。ほかの連中が乗っているのもランクルが多く、さらには「トヨタ・ハイラックス」「日産パトロール」「三菱モンテロ」など、出てくるクルマは日本製のSUVやトラックだらけだ。実際にかの地では性能と価格が評価されているのだろう。犯罪に使われるのは困りものだが、パトカーが「日産サニー」だったからバランスはとれている。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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