ベントレー・ミュルザンヌ(FR/8AT)/ミュルザンヌ スピード(FR/8AT)/ミュルザンヌ エクステンデッドホイールベース(FR/8AT)
大英帝国の遺産 2016.07.29 試乗記 2009年に発表された「ベントレー・ミュルザンヌ」。その“フェイスリフト版”の国際試乗会が、ドイツ南部のシュロス・エルマウというホテルを本拠地に催された。アルプス山麓でのドライビングを通して感じた、ベントレーの旗艦が放つ魅力を報告する。まさにファーストクラス
フランクフルトのチャーター便専用空港から19名乗りの双発ターボプロップ機「フェアチャイルド・メトロ」でインスブルック空港に乗り込む。シンプルで機能一点張りの狭い機内から背中を丸めてタラップの前に立つと、新型ベントレー・ミュルザンヌが滑走路の端っこにずらりと並んでいるのが見えた。
筆者は新しく登場したミュルザンヌの「エクステンデッド ホイールベース(EWB)」の後席におさまり、シュロス・ホテルまでおよそ1時間のドライブを楽しんだ。フェアチャイルド・メトロの小型バス並みの小さなシートから乗り換えると、そこはまさにファーストクラスであった。
独立2座でレッグレスト付き、大きくリクライニングする電動シートはソフトな革張りで、楽チンこの上ない。乗り心地は絨毯(じゅうたん)の上を粛々と走るがごとし。ただし、「ロールス・ロイス・ファントム」と違って雲の上をいくフワフワではない。あくまでフラットで落ち着いている。
それにしても、庶民がいきなり超ド級の高級車の後ろでふんぞり返るような事態になると妄想が暴走する。後席キャビンの両サイドとリアガラスには電動カーテンが標準で付いていて、これをスイッチで閉じればプライバシーを守ることができる。
大富豪。ビジー。移動中の車内。チャンス……白昼、カーテンを閉じた薄暗い超高級車のリアシートで、東洋から来た日本人某は妄想老人と化し内心ドキドキするのだった。
「ベンテイガ」に期待される開発の好循環
到着した夜、プレスカンファレンスがあった。2015年のベントレーは1万台を販売し、2016年はベントレー初のSUV「ベンテイガ」をフル生産することで業績好調が約束されている。ポルシェが「カイエン」で稼いでスポーツカーの開発資金にしたように、ベントレーもベンテイガで稼いで本来のスポーツサルーンをどんどん改良するという好循環開が生まれつつあるように筆者には思われた。
そのあと登壇したプロダクトライン・ディレクターのサム・グレアム氏は、ベントレーと旗艦ミュルザンヌには3つの特徴がある、と言った。
(1)エクステリア。特にリアのつなぎ目のないCピラーとフェンダー部分。ハンド・フィニッシュしている。
(2)エンジン。60年前から連綿と続いているV8 OHVを大幅にアップ・トゥ・デイトした。低回転から大トルクを生み出すのが魅力。
(3)マテリアルズ(素材)。インテリアの本物のウッドとメタル。すべてプラスチックではない。
新しいミュルザンヌはさらに究極を極めようというラグジュアリースポーツサルーンである。ということで、従来のスタンダードモデルの「ミュルザンヌ」、さらにドライバーにフォーカスした「ミュルザンヌ スピード」に加え、今回最も快適で贅沢(ぜいたく)なミュルザンヌEWBが加わった。これによりミュルザンヌ初の3モデル体制が整ったのである。
車内に宿る静謐
翌日、筆者はノーマルのミュルザンヌから乗ることになった。オプションの21インチを履いている。色は「アラビカ」と呼ばれるコーヒー色で、落ち着いたカラーリングである。走りだしてすぐさま、記憶の中のミュルザンヌ比、大層軽やかであると感じた。もしかしてこれはスピードの方か? と疑ったりもした。記憶の中のマイチェン前のミュルザンヌは、ロールス・ロイスのスポーティー版であった往時を今に伝える、そこが魅力であるところの大きくて重たい大型サルーンであった。
新しい顔を得た新型にしたって車重は2.6tを優に超える。軽量化されたという話は聞いていない。6.75リッターV8 OHVツインターボと8段オートマチックのコンビネーションは、スピード用ともども、その変更具合について多くを語られていない。
にもかかわらず、ドライバーの意思、入力に対してビックリしちゃうぐらい素直に反応する。大枠で申し上げれば、「マツダ・ロードスター」にも共通する、ただし、うんとビッグサイズの人馬一体感がある。タメがない。スッと動く。全長5mを超える巨体を持つ大型車でありながら、よりいっそうドライバーズカーになっている!
大排気量で1750rpm の低回転から104.0kgmという大トルクを発生する伝統のV8 OHVツインターボは、ミュルザンヌの魂である。「ポルシェ911」のフラット6にも匹敵する存在と言っていい。大排気量V8は100km/h巡航を1400rpm程度で粛々とこなす。巡航中の静謐(せいひつ)さときたら、ある種の聖域、例えば伊勢神宮とか明治神宮の森と同種の凜(りん)とした空気を思わせる。
さらにミュルザンヌの場合、ウッドやレザーからなる内装をつくるのに熟練職人の手で120時間かかる。その過程において、彼らアルチザンの祈り、あるいは無心がクルマに宿り、クルマがスピリットを持つようになる。これこそ手づくり生産されるイギリス車の秘密なのである。
ちょっと待ってください。正気ですか? へへへ正気です。と正気じゃない人も言うらしいです。お気をつけください。
ちょっと飛ばしているくらいが心地よい
アウトバーンの速度無制限区域でフルスロットルを試みると、このクラシカルな外観を持つ大型サルーンはアッパレ、200km/hに見る見る到達し、ドライバーが右足を踏む勇気さえあれば、さらなる加速を豪快に続けようとする。カタログが示す最高速度は296km/h。0-100km/h加速5.3秒というのは、ポルシェでいうと、「718ケイマン」のマニュアルよりコンマ2秒遅い。コンマ2秒も遅いという言い方もできるけれど、大ざっぱに申し上げれば、ピュアスポーツカー並みに速い。
勇気なしの筆者は220km/h台にしか到達しなかったのだけれど、にしてもミュルザンヌには羽がないのに、なぜにオーバー200km/hで、かくも安定しているのか? 「コンチネンタルGT」はリアスポイラーを必要とするのに。前述のサム・グレアム氏にそう尋ねたところ、それは全長5.4mのコンチGTよりも全長6.65mのミュルザンヌは長いボディーを持つ。それとリアのトランクリッドの小さなリップのおかげだ、と回答した。
さすがジャーマン・テクノロジー! と申し上げると、「ノー! イングリッシュ・テクノロジー」と彼は即座に笑顔で返した。その実際については不明ながら、英国はクルーでエンジンから組み上げられるミュルザンヌこそは大英帝国の大いなる遺産であることは疑いない。
グレアム氏によれば、今回のフェイスリフトでは前後サスペンションの内側のピストンを変え、ボディー剛性を上げて、新しいプロップシャフトを採用している。さらにリアにより大きなエアスプリングを搭載した。これはより車重が重いEWBのためにも必要だった、というのは筆者の推測である。スクラッチから設計した新しいシートのクッションも乗り心地に寄与しているという。これら細かい改良の積み上げによって、静粛性と快適性が増し、総合体としての自動車はかくも洗練されるのである。
「ドライブ・ダイナミクス・コントロール」は従来通り、「コンフォート」「B」「スポーツ」「カスタム」の4つのモードがある。スポーツにすると乗り心地が硬くなり、コンフォートにするとややフワフワになるのは例のごとしながら、7年の熟成を経て、より完成されたように思える。どのモードも持ち味があって、それぞれに存在意義がある。おかげでクルマに幅と奥行きがあるように感じられて楽しめる。結局のところベントレーの推奨であるBに落ち着くのは、スポーティーさとエレガントさのベストミックスだからである。ということは、ミュルザンヌはちょっと飛ばしているくらいが一番心地よいということである。
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豪快なのはいいけれど
昼食後、スピードのステアリングを握った。「バーナート」と名付けられたブリティッシュグリーンの外装色に「コニャック」という名のタンのレザー内装という伝統的な組み合わせで、なんとも素敵(すてき)だ。バーナートなんて、戦前のベントレー・ボーイズの代表格の名前をつけているのもシャレている。ウッドではなくてカーボンのパネルもスポーティーで素敵だし、スピードに標準のダイヤモンドキルティングのシートデザインも、僕ぁ好きだ。
でも、乗ってみると、最高出力が25psプラスの537psに引き上げられたスピードは、グレアム氏によるとサスペンションが10mm低められている。乗り心地がスタンダードよりちょっと硬めで、コンフォートにするとやや硬さが薄れたかも、スポーツはちょっぴり硬いかも、という具合にドライブ・ダイナミクス・コントロールの変化の幅が狭い。硬いことよりも変化の幅が狭いことが筆者には気になる。人格的に幅が狭くなっているように思えるからだ。
V8ツインターボはロムチューンにより、トルクが104.0kgmから112.2kgmに増強されている。0-100km/h加速は4.9秒で、ケイマンよりも速い! これがスピードの美点だ。より豪快なサウンドを発するようになったV8ツインターボは、強迫観念、つまりスピードだからスピード出さないとスピードのかいがない、というこちらの勝手な思いに駆られてついアクセルを踏みがちになる。ようするに豪快であることが強調されすぎて一本調子、いつも荒々しくてジェントルさを失っている。男は優しくなければ生きていけないのに。そして、60年モノのこの偉大なるヴィンティージV8は、静かにことをなすところに凄(すご)みがあるのに……。
それぞれのモデルに、それぞれの良さがある
それゆえ、ジェントルマンが選ぶべきは、ノーマル、彼らが「シグネチャーモデル」と呼ぶミュルザンヌである、と断言したい。ただし、スピードに魅力がまったくないわけではない。せっかくのスポーティーサルーンをいわばシャコタン化したクレージーでステューピッドでワイルドな不良ジェントルマン用ミュルザンヌがミュルザンヌ スピードなのだからして、これにはパンクな魅力がある。いや、パンクと表現するにはパンクに過ぎる。ロックな魅力がある。
ロックな不良親父に善良ジェントルマン親父は絶対に勝てない。俗世間とはそういうものである。勝つ気持ちのあるジェントルマンにはスピードがオススメだ。
別に読者諸兄も知りたくないかもしれませんが、筆者は新しいミュルザンヌが欲しいと思った。車両価格3500万円。ちなみにスピードはその1割増しである。どんな高いものであろうと、欲しい思うのは勝手だ。人の心は自由である。そして、心底思った人がそれを手に入れる。うーむ、やっぱり私じゃにゃいな……。
なお、第3のミュルザンヌたるEWBは主に中東・中国向けということで日本市場には入ってこない。ドライバーズカー、ベントレーにショーファードリブンが必要なのか? とガチガチの保守派であるところの私は思っていたので、あ、そう、と思ったのでした。
(文=今尾直樹/写真=ベントレー モーターズ ジャパン)
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テスト車のデータ
ベントレー・ミュルザンヌ
ボディーサイズ:全長×全幅×全高=5575×1926×1521mm
ホイールベース:3266mm
車重:2685kg
駆動方式:FR
エンジン:6.75リッターV8 OHV 16バルブ ツインターボ
トランスミッション:8段AT
最高出力:512ps(377kW)/4000rpm
最大トルク:104.0kgm(1020Nm)/1750rpm
タイヤ:(前)265/45ZR20/(後)265/45ZR20
燃費:18.8mpg(約6.7km/リッター、NEDC複合モード)
価格:--円/テスト車=--円
オプション装備:--
※諸元は欧州仕様のもの。
テスト車の年式:2016年型
テスト開始時の走行距離:--km
テスト形態:ロードインプレッション
走行状態:市街地(--)/高速道路(--)/山岳路(--)
テスト距離:--km
使用燃料:--リッター(ハイオクガソリン)
参考燃費:--km/リッター
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ベントレー・ミュルザンヌ スピード
ボディーサイズ:全長×全幅×全高=5575×1926×1521mm
ホイールベース:3266mm
車重:2685kg
駆動方式:FR
エンジン:6.75リッターV8 OHV 16バルブ ツインターボ
トランスミッション:8段AT
最高出力:537ps(395kW)/4000rpm
最大トルク:112.2kgm(1100Nm)/1750rpm
タイヤ:(前)265/40ZR21/(後)265/40ZR21
燃費:18.8mpg(約6.7km/リッター、NEDC複合モード)
価格:--円/テスト車=--円
オプション装備:--
※諸元は欧州仕様のもの。
テスト車の年式:2016年型
テスト開始時の走行距離:--km
テスト形態:ロードインプレッション
走行状態:市街地(--)/高速道路(--)/山岳路(--)
テスト距離:--km
使用燃料:--リッター(ハイオクガソリン)
参考燃費:--km/リッター
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ベントレー・ミュルザンヌ エクステンデッドホイールベース
ボディーサイズ:全長×全幅×全高=5825×1926×1541mm
ホイールベース:3516mm
車重:2730kg
駆動方式:FR
エンジン:6.75リッターV8 OHV 16バルブ ツインターボ
トランスミッション:8段AT
最高出力:512ps(377kW)/4000rpm
最大トルク:104.0kgm(1020Nm)/1750rpm
タイヤ:(前)265/45ZR20/(後)265/45ZR20
燃費:18.8mpg(約6.7km/リッター、NEDC複合モード)
価格:--円/テスト車=--円
オプション装備:--
※諸元は欧州仕様のもの。
テスト車の年式:2016年型
テスト開始時の走行距離:--km
テスト形態:ロードインプレッション
走行状態:市街地(--)/高速道路(--)/山岳路(--)
テスト距離:--km
使用燃料:--リッター(ハイオクガソリン)
参考燃費:--km/リッター

今尾 直樹
1960年岐阜県生まれ。1983年秋、就職活動中にCG誌で、「新雑誌創刊につき編集部員募集」を知り、郵送では間に合わなかったため、締め切り日に水道橋にあった二玄社まで履歴書を持参する。筆記試験の会場は忘れたけれど、監督官のひとりが下野康史さんで、もうひとりの見知らぬひとが鈴木正文さんだった。合格通知が届いたのは11月23日勤労感謝の日。あれからはや幾年。少年老い易く学成り難し。つづく。