ベントレー・ミュルザンヌ(FR/8AT)【試乗記】
週末にはハンドルを握って 2010.10.12 試乗記 ベントレー・ミュルザンヌ(FR/8AT)……3814万8800円
高級自動車メーカー ベントレーが満を持して送り出す、新たな頂点モデル「ミュルザンヌ」。その仕上がり具合を、小林彰太郎が試した。
512psに8AT
ベントレーの新しいフラッグシップ「ミュルザンヌ」のプレス試乗会に向かっている。後席には小林彰太郎『CG』名誉編集長。自動車専門誌『カーグラフィック』(当時)創刊時の編集長である。
「ちょっと資料を見せてもらえませんか」とリアシートからの声。新しいベントレーのスペックを子細にチェックする。「全長5575mm、全幅1926mm。大きいなぁ」と小林氏。
「ベントレー・ミュルザンヌ」は、いわば「アルナージ」のストレッチバージョンである。もともと3mを超えていたホイールベースはさらに延ばされ3266mmに。その上に全長×全幅×全高=5575×1926(ミラー閉)×1521mmの堂々たる4ドアボディが載る。車両重量は2585kg。
もちろん、「アルナージ」の単なるリフレッシュモデルではなく、エンジン、足まわりはじめ、メカニカルな面の刷新が図られ、内外ともデザインが一新された。
「コンチネンタル」系の4ドアモデル「フライングスパー」より保守的で、スノッブで、“時代がかっている"と感じる人がいるかもしれない。しかしベントレーは、「ブランドのエッセンスを凝縮した、完璧なまでに現代的なフラッグシップカー」であると主張する。
エンジンは、6.75リッター・ツインターボ。フォルクスワーゲン由来のW型12気筒ではなく、由緒正しい(!?)V8OHVを積む。2つのタービンの力を借りて、最高出力512ps/4200rpm、最大トルク104.0kgm/1750rpmという、体躯(たいく)に負けないアウトプットを発生する。
V型8気筒というフォーマットこそこれまでと同一ながら、ピストン、コネクティングロッド、さらには鍛造クランクシャフトにいたるまで軽量化が図られ、エンジン単体で23kgの軽量化を果たした。ヘッドメカニズムには可変カムシステムが付き、運転状況を判断して4気筒を休止するシステムまでが加わった。
組み合わされるトランスミッションは、2005年にはGM製4段ATだったものが、2006年にはZF製6段、そして「ミュルザンヌ」ではやはりZF製の8段ATに進化した。「これだけのトルクがあれば4段ATで十分だろうに」と後席の人がまことに正しい意見を述べるが、しかしいまの時代、ベントレーといえども、動力系の細かい制御で燃費を稼ぎ、CO2の排出量を減らさなければならないのだろう。「ミュルザンヌ」のCO2排出量と燃費は、従来比15%向上したという。
伝統と現在の融合
山の緑が目に心地いい。箱根のホテルには、2台の「ミュルザンヌ」が用意されていた。「オニクス」と呼ばれるメタリックブラックと、グレーがかった空色の「パールサファイヤ」である。「ミュルザンヌ」のボディペイントは100色以上から選べ、レザー、ウッドパネルの種類もふんだんにある。自分だけのミュルザンヌを仕立てるのはそれほど難しいことではない。3380万円(車両本体価格)からの資金さえあれば。
「アルナージ」系の、古武士といった趣のあった外観はずいぶんと変わり、一目で新しいベントレーとわかる。大きな丸いヘッドランプとその外側に小さいアウトボード(ドライビング)ランプを配したフロントまわりは、1950年代の「S-type」からインスピレーションを得たものだという。
先達にならって前方に張り出したウイング(フロントフェンダー)はアルミ製。やはりアルミを使ったドアともども、500度に熱したパネルに空気で圧力をかけて成形するスーパーフォーミング法でつくられた。航空機用技術の転用で、一般のプレス加工では不可能な複雑な形状を、1枚のパネルから作り出せるのがジマンだ。広いボンネットもアルミニウム。トランクには、リッドにアンテナを内蔵するため、電波を通すコンポジットポリマー素材が用いられた。
小林彰太郎氏が語る。
「全体が醸す風情がいかにもブリティッシュですね。よくアンダーステイトメントと形容されますが、控えめでケレン味のない、とてもいいスタイルです。ロールス・ロイスの場合、パルテノン神殿のごときラジエターグリルが、いまの世の中にちょっと合わなくなっているところがある。その点、ベントレーのグリルは現代のカタチにうまく溶け込んでいます」
「メッシュのグリルは、元はといえば飛んでくる小石を防ぐためのものなんですね。ルマン24時間レースなんか、普通の道を使いますから。ベントレーボーイズが活躍したころは、それはひどい路面だったでしょう。ラジエター前のガードは必須。そんな歴史的な背景を連想させます。伝統をひとつのファッションとして取り込んでいるのが、さすが。大きな丸いヘッドランプの使い方も上手ですね」
ボディサイズの割には
トップモデルの助手席に座り、そっとドアを閉めると、「ミュルザンヌ」のイージーエントリー機能がドアを最後まで引き込んでくれる。オシリの下には、厚く柔らかい革シート。小林彰太郎氏が、ベントレーのスタッフにあいさつをして、箱根の道を走り始めた。
「このベントレーは『フライングB』がちょっと小さいですね。ラジエターマスコットは、車体寸法が大きいクルマの場合、ボディのセンターや前輪の位置を把握する一助になります。いまは歩行者保護の問題があるから、小さくなったり、万が一のときは下に落ちるよう工夫されたりしていますが、もともと単なる飾りじゃないんです。これだけ大きなクルマだと、さらにリアにアンテナかポールがあるとテールの位置がつかみやすいんですけど……。『ミュルザンヌ』の場合は、わざわざリッドにアンテナを埋め込んだと聞きますから、こんなことをいうと失礼にあたるかもわかりませんが」
「ハンドルはよく切れますね。ボディサイズからは想像できないほど小回りが利く。やはりロンドンのグニャグニャした道を、いわゆるエスタブリッシュの人たちが乗るクルマだからでしょう。金融企業が集まったシティなんかで使われることを想定して。ロック・トゥ・ロックはちょうど3回転。走っているときも適度な操舵(そうだ)感。一時期のパワーステアリングのように、雲をつかむような軽さではない。きちんとした手応えがあります」
木漏れ陽を浴びながら、撮影場所まで黒いベントレーが行く。カメラカーを先導しながら。
2.5トンもの車重をもつ「ベントレー・ミュルザンヌ」は、乗り心地に関して有利なスタート位置にいる。しかし、We start where others stop、やや意訳すると「わが社は他社が完成としたレベルから開発を進める」を社是とするベントレーであるから、シャシーの改良にも余念がない。
連続可変ダンパーとエアスプリングがペアを組む足まわりには、新たに「ダイナミック・ドライバー・コントロール・システム」がおごられた。シフターの横に設けられたダイヤルによって、「Sport」「Bentley」「Comfort」からサスペンションの硬さとステアリングの重さを選択できる。「Custom」を選べば、ハンドルの重さと乗り心地を個別に設定することも可能だ。
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男のクルマ
試乗と撮影をひと通り済ませると、小林彰太郎氏は道の脇にある駐車場に大柄なベントレーを止めた。「ミュルザンヌ」の室内は、美しいウッドパネルに囲まれる。金属類は磨き上げられ、レザーは香りまで研究されたという。センターコンソールのスイッチ類には、クールなガラスの質感が与えられた。「ミュルザンヌ」の製造工程のほぼ半分は、インテリアの製作にあてられる。
「イギリス車はとても木にうるさいですね。もうずいぶん前、1960年代ですけど、ベントレーの工場を見に行ったとき、一番広いスペースを使っていたのはインテリアでした。年配の女性が古いシンガーミシンでシートを縫っている。木工細工の職人もいっぱいいて、手作業でパネルをつくっている。いまのクルー工場も、基本は変わってないんじゃないでしょうか」
「『ミュルザンヌ』は走らせると速いですね。6.75リッターのツインターボの瞬発力たるや、驚くべきものがあります。ブレーキは重い。グッと踏んで、やはり『男のクルマだ』と感じます。ルマンで勝つためにクルマをつくろうとしたのが、ベントレーのはじまりなのですから。ハイヒールを履いたご婦人では、ちょっと乗りにくいでしょう」
「それと……このクルマはサンルーフが付いていなくて、いまのところオプションでも用意されないようですが、ぜひ設定していただきたい。夏の夜、いっぱいに開けてゆっくり走るのは、とても気分がいいものですから」
「『ベントレー・ミュルザンヌ』、3000万円超の高級車です。でも、何も知らないで乗ったら、5000万円以上すると思うでしょう」
「オーナーの方は、運転手なんかにハンドルを握らせていてはもったいない。オフィスに行くウィークデイは、仕事でどこに行くかわからないし、お酒も飲むでしょうから運転手にまかせて、でも週末には自分で運転されたらいい」
「以前、ロンドンのシティで行き交うクルマを観察していたことがあります。びっくりするくらいロールスとベントレーが多くて……」
正調英国車のテストドライブに触発されてか、小林彰太郎氏はイギリスでの思い出を楽しそうに話してくださるのだった。
(語り=小林彰太郎/まとめ=青木禎之/写真=荒川正幸)
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