ベントレー・ミュルザンヌ スピード(FR/8AT)
文化財も生き延びなければならない 2018.11.15 試乗記 誰もが巨大だと思うサイズのボディーに最高出力537psの6.75リッターV8を搭載した、ベントレーの最高峰モデル「ミュルザンヌ スピード」。ボディーサイズにかかわらずドライバーズカーを標榜(ひょうぼう)する、ベントレー独自の世界観を公道で味わった。もうすぐ100年
ベントレーとロールス・ロイスが再び袂(たもと)を分かつことになってから、今年でもう20年である。“再び”といっても、1931年にロールス・ロイスに買収されたベントレーがそれ以降70年近くひとつ屋根の下の兄弟ブランドだったことを知る人も少なくなっているのではないか。
世間的にはロールス・ロイスのほうが有名だろうが、ドライバーズカーと言われてきたベントレーのほうが自動車趣味人の間では評価が高いはずだ。いずれにしても一般庶民からはもっとも縁遠い、別世界のクルマであることは間違いない。
2ドアクーペの「コンチネンタルGT」シリーズはまだしも、全長ほとんど5.6mの長大なフラッグシップサルーンをドライバーズカーと言われても、現代の若いドライバーには「なんのこっちゃ?」となるのは当たり前である。それを承知で古い話を持ち出しているのは、ベントレーを紹介するには多少なりとも歴史を知る必要があるからだ。
ウォルター・オーウェン・ベントレーが1919年に創設したベントレー(来年創立100周年を迎える)が、今なお自動車好きの畏敬の対象になるのは、当時飛び抜けて高性能高品質だったからである。その名声を確固たるものにしたのが、第2次大戦前の黎明(れいめい)期のルマン24時間レースで5勝(1924年に初勝利、1927~30年までは4連覇)した実績である。
平均120km/h以上で24時間走り続けることなど、とにかく驚異的であり、昭和の初めの日本から見ればまるではるか銀河系外の話のようなものだった。それゆえ、団塊の世代が1960年代に大活躍したフェラーリやポルシェ、ロータスなどに惹(ひ)かれるのと同様、それ以前に生まれた男の子たちにとってベントレーは圧倒的なヒーローだったのである。BMWとの綱引きの末にフォルクスワーゲンがベントレーを選んだのは、グループ総帥フェルディナンド・ピエヒが、そういう時代の男だったからだろう。
そもそも別格
ドライバーズカーとしてのベントレーは、例えばミズスマシのように機敏に山道を駆け巡るといったタイプのクルマではなく、高速で地平の果てまで駆けてゆくタフで高性能なグランドツアラーであり、それは1世紀後の現代でも変わりはない。ただし、ミュルザンヌの場合はかつての同門ロールス・ロイスへの対抗上、よりショーファーカーとしての性格を強めていることは間違いない。
何しろミュルザンヌは、ボディー外寸は全長×全幅×全高=5575×1925×1530mm、ホイールベースは3270mmという文字通りの堂々たるサイズのフラッグシップサルーンである。ちなみに「ロールス・ロイス・ファントム」は全長×全幅×全高=5840×1990×1655mmでホイールベース3570mm、ひと回り大きくなった新型「トヨタ・センチュリー」は同5335×1930×1505mm、ホイールベースは3090mmである。もっとも、やせ我慢で言うのではなく意外に持て余す感覚はない。
もちろん、長さにそれなりの注意は必要だが、全幅2mを楽に超えるファントムに比べれば10cmほども狭いし、今どき「ポルシェ・マカン」でもこのぐらいの全幅はある。当然、文句のない後席スペースを備えるが、それでも足りないという方にはさらに25cm長いEWB(エクステンデッド・ホイールベース)が用意されている(日本には導入されていない)。
ベントレーには「フライングスパー」というれっきとした4ドアの高性能サルーンモデルがあるわけだから、普通ならそれで十分だ。十分だけれども、それで間に合うとか、不足とか、そういう世間一般的な選択が通用しないのが自動車の雲上界である。
限られた顧客のためのこんなモデルを合理的な性能や使い勝手など、一般的な自動車の評価基準のみでうんぬんすることはできないが、現実の路上を走る自動車である限り、懐古趣味的な工芸品であるだけでは生き残れないのも事実。進化しなければならないのである。恐々謹言(きょうきょうきんげん)で続けよう。
60年もののV8ユニット
現行ミュルザンヌは2009年発売、「スピード」はその後2014年に追加された高性能バージョンである。スタンダードのミュルザンヌが512ps/4000rpmと1020Nm/1750rpmを発生するのに対して、スピードのV8ツインターボエンジンは537ps/4000rpmと1100Nm/1750-3250rpmの最高出力と最大トルクを生み出す。さらにパワーアップしているといっても、もともと1000Nm以上の超ど級トルクじゃないか、と突っ込みたくもなるが、実際車重は2.8tに達するにもかかわらず、0-100km/h加速は4.9秒でスタンダードのミュルザンヌよりも0.3秒短縮されているという。
今やミュルザンヌだけに積まれている6.75リッター(本当は6 3/4リッターと呼びたい)のV8ツインターボが、ユーロ6をクリアしてここまで生き延びているだけで価値がある。何しろこのLシリーズユニットは、さかのぼれば1950年代末からの長い長い歴史を持つエンジンである。今では可変バルブタイミングや気筒休止システムも備わり、燃費も昔に比べれば別物のように向上しているが、それでも重々しい、大きな機械の精密な運動を感じさせる。
わずか4000rpmでピークパワーに達する(回転計のフルスケールは5000rpm)V8ツインターボは単にパワフルなどという印象を超えて、川の流れのように、穏やかにゆったりと回る。今や十分にスムーズで洗練されているが、必要とあれば奔流となって轟(とどろ)く存在感は消しようがないというエンジンである。
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走る文化財
可変制御ダンパー付きエアサスペンションもミュルザンヌ スピードではよりスポーティーに締め上げられているというが、ドライブモードのダイヤルを回しても悠揚迫らぬ重厚でフラットな乗り心地(時に船のように上下動するが)は基本的に変わりない。
分厚いレザーシートとバーウオールナット(今や入手困難だという)のウッドパネルに囲まれて、重厚に静かに、そして堂々と疾走する。ただし、四輪操舵システムなどの最新アシストを備えるコンチネンタルGTなどとは違って、フールプルーフにスイッと鼻先が向きを変えるわけではない。常に巨大な質量を意識してセオリー通りの操縦をすることが肝要である。ちなみにブラインドスポットウオーニングとACCは備わっているものの、レーンキープアシストなどは未装備。その分、クラシックな手応えを感じられる。
ミュルザンヌを1台仕上げるのに要するマンアワーはおよそ400時間(うち150時間はレザーインテリアの製作に費やされる)。これは一般的な小型量産車の20倍ほどに当たるはずだ。2009年にミュルザンヌがデビューする直前まで生産されていた2ドアクーペの「ブルックランズ」の製造時間は確か660時間だったから、ずいぶん効率的になったともいえるが、世間一般の意味とは違う。
これほどの“工芸品”を今も走らせることができるだけで私などは柏手を打ちたくなる。ミュルザンヌはガラスケースの中の展示物ではなく、今も実際に使える文化財なのである。
(文=高平高輝/写真=佐藤靖彦/編集=櫻井健一)
テスト車のデータ
ベントレー・ミュルザンヌ スピード
ボディーサイズ:全長×全幅×全高=5575×1925×1530mm
ホイールベース:3270mm
車重:2800kg
駆動方式:FR
エンジン:6.75リッターV8 OHV 16バルブ ツインターボ
トランスミッション:8段AT
最高出力:537ps(395kW)/4000rpm
最大トルク:1100Nm(112.2kgm)/1750-3250rpm
タイヤ:(前)265/45ZR21 105Y/(後)265/45ZR21 105Y(ダンロップSPスポーツMAXX GT)
燃費:15.0リッター/100km(約6.6km/リッター、欧州複合サイクル)
価格:3800万円/テスト車=4158万1200円
オプション装備:オプションペイント<ソリッドまたはメタリック>(79万7400円)/21インチホイール<ミュルザンヌスピードホイールダークティント>(23万2700円)/後席用プライバシーガラス(27万5000円)/フロントコンパートメントのサンルーフ(45万7100円)/メディア収納用引き出し&マイナーゲージへのウッドパネル装着(8万6000円)/ウエストレールにウイングバッジ&クロムインレイストリップ(39万1000円)/ウッド&ハイドステアリングホイール<4本スポーク>(36万3200円)/ウッドギアレバー(9万6700円)/シートパイピング(33万8800円)/アダプティブクルーズコントロールシステム(54万3300円)
テスト車の年式:2018年型
テスト開始時の走行距離:134km
テスト形態:ロードインプレッション
走行状態:市街地(2)/高速道路(6)/山岳路(2)
テスト距離:209.4km
使用燃料:43.8リッター(ハイオクガソリン)
参考燃費:4.7km/リッター(満タン法)

高平 高輝
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