第144回:悲劇のヒロインに甘んじなかった大統領夫人の決断
『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』
2017.03.31
読んでますカー、観てますカー
オシャレなゆるふわ映画じゃない
今もなおセレブ女性の代表的存在で、ファッションアイコンでもあるジャクリーン・ケネディを描いた映画である。演じるのは、お嬢さん女優から演技派への脱皮を遂げたナタリー・ポートマン。古き良きアメリカのゴージャスな上流階級のライフスタイルが、スクリーンによみがえる。オシャレな映画に違いないと思い込んだ上品なおばさま方が、イタリアンのランチを済ませた後に映画館に向かうのだろう。
希望は無残に打ち砕かれることになる。『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』がゆるふわ映画だと思ったら大間違いだ。そもそも、実際のジャッキーが乳母日傘で育てられたかわいいだけのオシャレさんではなかった。自らの意志で人生をコントロールした強い女性である。
映画は冒頭から不穏な空気に満ちている。波打ち際を歩くジャッキーの表情は、何かを恐れているようにみえる。顔のアップにかぶせられるのは、映画音楽の概念からはずれるような大音量の単調な旋律だ。低音で奏でられるうねるような音の繰り返しは、メランコリックな心がそのまま流れ出ているかのように響く。彼女が悲しみに沈んでいるのは、悲劇的な事件で夫を失ったからだ。この映画は、ケネディ暗殺前後の数日間を描いている。
彼女のもとを、1人のジャーナリストが訪れる。大統領夫人として事件にどう向き合ったのかを取材するためだ。ファーストレディはもちろん公人である。首相夫人が私人だと強弁して閣議決定まで行った前近代的な国もあると聞くが、ジャッキーは自分が公的存在であることをはっきり自覚していた。
ファッションも注目されたファーストレディ
映画にはケネディが大統領に就任した当時にNBCが放映した映像が使われている。ホワイトハウスをジャッキーの主導で改装し、彼女自身がテレビで案内したのだ。夫のイメージを向上させるための重要な仕事である。アメリカの家庭にテレビが普及した頃で、情報発信ツールの主役となりつつあったのだ。
ジャッキーはホワイトハウスの「ヴェルサイユ化」を図ったといわれている。ソルボンヌ大学に留学した経験を持つジャッキーは、フランスの洗練された文化に触れていた。ファッションセンスも磨かれ、彼女の服装はファーストレディになる前から注目を集めていた。デパートの女性服売り場には、彼女を模したマネキンが置かれていたほどだという。ケネディが大統領選挙を勝ち抜くことができたのは、常に寄り添っていたジャッキーの人気のおかげでもある。
大統領の住居であり執務室であるホワイトハウスは、アメリカの文化と歴史を象徴する場所でなくてはならない。使命感を感じたジャッキーは、アメリカの優れた芸術品を購入して部屋を飾った。本格的なフランス料理のシェフが雇い入れられたのも、彼女の強い要望があったからだ。
ファーストレディとしてファッションの面でも先頭に立つことを自らに課していた彼女は、その日もあでやかな衣装に身を包んでいた。ダラスで飛行機から降りてきた彼女が着ていたのは、シャネルのツイードで仕立てられたスーツ。目の覚めるようなピンクで、同じ色のピルボックス帽をかぶっていた。フェミニンで上品な装いは、夫の流した血で真っ赤に染められることになる。
ホラー映画さながらのリアリティー
オープンカーに乗ってパレードする光景は全米に中継されていたので、暗殺の映像が残されている。当時の映像技術では解像度が低いためわかりにくいが、映画では弾着の瞬間まで忠実に再現したクリアな映像が使われているのが衝撃的だ。胸が悪くなるようなリアリティーは、ホラー映画もかくやというグロテスクさである。
ジャッキーには悲しみに暮れている余裕はなかった。まずはファーストレディとしての公務を遂行しなくてはならない。ワシントンに向かう飛行機内で副大統領のジョンソンが大統領就任宣誓を行う場に立ち会い、遺体の司法解剖にも付き添う。映画では困惑と動揺のただ中で、ジャッキーが気丈に使命を果たす姿が描かれる。
物語を進めるのは、2つの対話である。1つはジャーナリストからの取材であり、もう1つは牧師との会話だ。ジャーナリストには事実関係を語り、牧師には内面の葛藤と悔恨を告白する。次第にカメラは対象に近づいていき、スクリーンには顔しか映らなくなった。超アップ映像が続くと異様な緊張感が生まれる。表情がすべてを語るのだ。ドラマ『半沢直樹』を思い起こさせる見事な顔相撲である。
ジャッキーは夫が偉大な大統領であったことを歴史に残すために、葬儀を最大限に利用しようと考える。手本としたのは、真に偉大な大統領だったエイブラハム・リンカーンだ。国民の記憶に残るように、厳かで美しい儀式が行われなければならない。
悲劇の後も使用されたSS-100-X
暗殺時にケネディ夫妻が乗っていたのが、偉大な大統領の名を持つ高級車「リンカーン・コンチネンタル」である。大統領専用車として仕立てられたリムジンで、SS-100-Xというコードネームを持っていた。ベースとなったのは4代目モデルである。市販車の価格は8000ドルに満たなかったが、さまざまな改造が施されたSS-100-Xは20万ドルほどだったという。
後部座席には油圧装置が仕込まれていて、パレード中の大統領をリフトアップすることができた。いろいろな形のガラストップを選ぶことができたが、ケネディ大統領のパレードではフルオープン状態だった。暗殺者としては最も狙いやすい状態で走っていたことになる。
SS-100-Xは軍用機でワシントンに運ばれ、ホワイトハウスのガレージに保管された。2日後にはフォードの工場に引き渡されている。安全性を高める改造を施すためだ。驚いたことに、このクルマは引き続き大統領専用車として使用されたのである。チタン製のプレートや防弾ガラスを装備して、1978年まで現役だった。ジョンソン、ニクソン、フォード、カーターの歴代大統領がSS-100-Xに乗っている。さすがにフルオープンで使われることはなかったようだ。
映画ではジャッキーを乗せたSS-100-Xが疾走する映像が幾度も挟み込まれる。息を引き取った夫を膝の上に抱き、無人のハイウェイを駆け抜けていく。孤独の中で重い使命を担わなければならない彼女の悲壮な決意が伝わってきた。SS-100-Xは現実の乗り物ではなく、地獄へといざなう使者の意思が形象化したようにさえ見える。チリ出身のパブロ・ラライン監督は、象徴的手法を自在に使いこなした。これが初の英語作品だという彼の手腕には感服するしかない。
(鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。