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第412回:歴史を作った高級セダン
初代「スカイライン」の素顔に迫る

2017.05.13 エディターから一言
1957年に誕生した「プリンス・スカイライン デラックス」(ALSID-1)。ルーフとサイドモールディングを同色としたツートンカラーが標準で、ヘッドライトは国産初となるシールドビームを採用(デラックスのみ)。価格は120万円で、「クラウン デラックス」に比べ、ちょうど10万円高かった。
1957年に誕生した「プリンス・スカイライン デラックス」(ALSID-1)。ルーフとサイドモールディングを同色としたツートンカラーが標準で、ヘッドライトは国産初となるシールドビームを採用(デラックスのみ)。価格は120万円で、「クラウン デラックス」に比べ、ちょうど10万円高かった。拡大

今年誕生60周年を迎えた「日産スカイライン」。誕生月である4月には記念イベントも開催された。では、その原点となる初代スカイラインとは、どんなクルマだったのだろうか? 歴史を作った名車の実像について、詳しくリポートする。

プリンスの名を最初に冠したモデルである、1952年「プリンス・セダン」(AISH-1)。前後ともリーフリジッドのサスペンションを持つXメンバー付きセパレートフレームシャシーに、45psを発生する1.5リッター直4 OHVエンジンを積んだ6人乗りセダン。発売当初の価格は132万円だったが、徐々に値下げされ、2年たった頃には100万円を切った。
プリンスの名を最初に冠したモデルである、1952年「プリンス・セダン」(AISH-1)。前後ともリーフリジッドのサスペンションを持つXメンバー付きセパレートフレームシャシーに、45psを発生する1.5リッター直4 OHVエンジンを積んだ6人乗りセダン。発売当初の価格は132万円だったが、徐々に値下げされ、2年たった頃には100万円を切った。拡大
控えめなテールフィンを持つリアビュー。1955年「フォード・フェアレーン」によく似たサイドモールディングを持つこれは「スカイライン スタンダード」(ALSIS-1)だが、本来タイヤはホワイトウオールではなく黒タイヤとなる。93万円という価格は「クラウン スタンダード」より8万円高く、タクシー向けとしては小さからぬハンディとなった。それにしても、これが「カローラ アクシオ」より小さなクルマとは思えない。
控えめなテールフィンを持つリアビュー。1955年「フォード・フェアレーン」によく似たサイドモールディングを持つこれは「スカイライン スタンダード」(ALSIS-1)だが、本来タイヤはホワイトウオールではなく黒タイヤとなる。93万円という価格は「クラウン スタンダード」より8万円高く、タクシー向けとしては小さからぬハンディとなった。それにしても、これが「カローラ アクシオ」より小さなクルマとは思えない。拡大
「スカイライン デラックス」のインテリア。前後ともベンチシートの6人乗りである。
「スカイライン デラックス」のインテリア。前後ともベンチシートの6人乗りである。拡大

生みの親はプリンス

初代スカイラインを世に送り出したのは、日産ではなく、1966年に日産に吸収合併されたプリンスというメーカーである。

プリンスについて説明すると長くなるのでここでは割愛するが、その成り立ちをさかのぼれば、戦前から戦中にかけて主に軍用機を生産していた、立川飛行機と中島飛行機という2つの航空機メーカーにたどりつく。資本や組織の変更に伴って社名も何度か変わっているのだが、プリンスという名が初めて登場(当初は社名ではなく車名/ブランド名だった)したのは1952年。後に御料車の「日産プリンス ロイヤル」を作るなどプリンスは皇室と縁が深いメーカーだったが、プリンスという名もその年に行われた皇太子(今上天皇)の立太子礼を記念して付けられたものだった。

プリンスの名を最初に冠したモデルは、「プリンス・セダン」(AISH-1)。当時の5ナンバー(小型車)規格いっぱいの1.5リッター直4 OHVエンジンを積んだ4ドアセダンである。ちなみに当時の国産乗用車はもっぱら営業車(タクシー)向けだったが、トヨタは1リッター、日産は860ccのサイドバルブエンジン搭載車しか持ち駒はなかった。

プリンス・セダンには徐々に改良が加えられていったが、その間に市場には「トヨペット・クラウン」および「マスター」、ライセンス生産された「日産オースチンA50」や「いすゞ・ヒルマン ミンクス」などが続々登場、中でも1955年にデビューしたクラウンは純国産乗用車として評価が高かった。そうしたライバルに対抗すべく、旧態化したプリンス・セダンの後継として、1957年4月に誕生したモデルが初代スカイライン(ALSI-1)だった。

初代スカイラインがどんなクルマだったかといえば、前出の初代クラウンと市場を争う6人乗りの高級セダン。主としてタクシーや法人需要に向けた、5ナンバーフルサイズの国産最上級乗用車である。

テールフィンを生やした初代スカイラインの外見は、その頃世界のスタイルリーダーだったアメリカ車の縮小版といっていい。だがその衣に覆われた中身は、欧州車の影響を感じさせるもので、当時の日本車としてはかなり凝っていた。

日産 スカイライン の中古車

技術優先の思想を体現

初代スカイラインのシャシーは、「フォルクスワーゲン・ビートル」や「シトロエン2CV」のような、バックボーントレー式フレーム。サスペンションはフロントがダブルウイッシュボーンの独立で、リアには国産初となるド・ディオン・アクスルを採用していた。欧州の一部の高性能車に使われていたド・ディオンは、デフを車体側に固定し、ドライブシャフトは左右で独立しているが、左右輪は太い鋼管で連結されているという、リジッドアクスルと独立懸架の中間的な構造を持つ。プリンスは操縦性と乗り心地の両立を狙って採用したのだろうが、まだ自家用車は少なく、需要の大半がタクシーで、都心を離れれば未舗装だらけだった道路事情を考えれば、大胆な決断だった。

さかのぼること2年、前輪独立懸架を採用したクラウンの発売にあたって、万事に慎重なトヨタは、タクシー用として前後ともリーフでつった頑丈なリジッドアクスルを持つマスターを同時にリリース、クラウンと併売した。対照的にプリンスは、構造が複雑で耐久性に不安が残り、コストも高くつくド・ディオンを採用した。その意味において、初代スカイラインはプリンスというメーカーの、技術優先の思想を体現したモデルだったと言えるだろう。

エンジンはプリンス・セダンから受け継いだ、プジョーを参考に開発されたという1484ccの直4 OHVユニット。圧縮比7.5、2バレルキャブレターを備えて最高出力60ps/4400rpm、最大トルク10.75kgm/3200rpmを発生。欧州車に多かった4段マニュアル(1速はノンシンクロ)のギアボックスを介して、車重1310kg(デラックス)のボディーを最高速度125km/hまで引っ張ると公表された。参考までに記すと、同年式のクラウンは最高出力55ps/4400rpm、ギアボックスは米車流の3段で、最高速度は110km/hだった。

ボディーサイズは全長×全幅×全高=4280×1675×1535mm、ホイールベース2535mm(スカイライン デラックス)。見た目はアメリカンながら、実際は現行の「カローラ アクシオ」(4400×1695×1460mm)よりもコンパクトだったのだ。バリエーションは主としてタクシー向けのスタンダード(ALSIS-1)と、内外装を高級化した自家用および法人向けのデラックス(ALSID-1)だったが、当初から2グレードをそろえて発売された日本車は、これが初めてだった。

スカイラインの先進的で凝った設計は、すべてがオーソドックスで堅実なクラウンとは対照的だったが、当時の自動車雑誌などにおける両車の評価を見ると、加速や操縦性など走行性能では、設計思想を反映してスカイラインが有利で、静粛性や内外装のフィニッシュではクラウンに分があるという意見が多かった。

バックボーン(背骨)となるフレームとフロアとなるトレーを合体させ、剛性を保ちつつフロアの低床化を実現した、セミモノコック構造ともいうべきバックボーントレー式フレーム。
バックボーン(背骨)となるフレームとフロアとなるトレーを合体させ、剛性を保ちつつフロアの低床化を実現した、セミモノコック構造ともいうべきバックボーントレー式フレーム。拡大
リーフスプリングでつったド・ディオン式リアアクスル。デフを車体側に固定し、ドライブシャフトは左右で独立しているが、左右の車輪は太いチューブ(鋼管)で連結されている。バネ下重量が軽く、操縦安定性と乗り心地の両立が期待できるが、固定軸に比べ構造が複雑でコストも高くつく。初期には異音発生のトラブルが生じたという。
リーフスプリングでつったド・ディオン式リアアクスル。デフを車体側に固定し、ドライブシャフトは左右で独立しているが、左右の車輪は太いチューブ(鋼管)で連結されている。バネ下重量が軽く、操縦安定性と乗り心地の両立が期待できるが、固定軸に比べ構造が複雑でコストも高くつく。初期には異音発生のトラブルが生じたという。拡大
1484cc直列4気筒OHVのGA30型エンジン。圧縮比7.5、2バレルキャブを備えて、当時国産乗用車用としては最強の最高出力60ps/4400rpm、最大トルク10.75kgm/3200rpmを発生した。1959年10月には圧縮比を8.3に向上させるなどの改良を施し、同70ps/4800rpm、同11.5kgm/3600rpmにパワーアップしたGA4型となった(写真はGA4型)。
1484cc直列4気筒OHVのGA30型エンジン。圧縮比7.5、2バレルキャブを備えて、当時国産乗用車用としては最強の最高出力60ps/4400rpm、最大トルク10.75kgm/3200rpmを発生した。1959年10月には圧縮比を8.3に向上させるなどの改良を施し、同70ps/4800rpm、同11.5kgm/3600rpmにパワーアップしたGA4型となった(写真はGA4型)。拡大

改良と発展

1958年10月の全日本自動車ショウ(東京モーターショー)には、スカイライン デラックスの内外装をより高級化し、1.9リッターに拡大した直4エンジンを積んだ「スカイライン1900」が参考出品された。

当時の税制では3ナンバーの普通車だったが、これが翌1959年1月に「グロリア」(BLSIP-1)の名を冠して市販化された。もっぱらショーファードリブン向けの国産最高級車だが、グロリアという名称は同年に行われた皇太子のご成婚を記念して名付けられたものである。いっぽうスカイラインは、1959年11月にエンジンを70psにパワーアップ。翌1960年2月には、グロリアとそろってマイナーチェンジを受ける。テールフィンをよりとがらせ、スカイライン デラックスとグロリアには、国産乗用車初のデュアルヘッドライトが採用された。

1960年9月には5ナンバー規格のエンジン排気量が現在と同じ2リッターに拡大されたが、それを受けて翌1961年5月に「スカイライン1900デラックス」(BLSID-3)が登場した。既存のスカイライン デラックスのエンジンを1.9リッターに換装したモデルだが、これによって、もともと1.9リッターエンジンを積んでいたグロリアとの関係が微妙になる。双方の違いは内外装の細かな部分(グロリアのほうがより高級)とエンジン出力(スカイラインがレギュラーガソリン仕様で91ps、グロリアがハイオク仕様で94ps)だけだったのだ。5カ月後にはスカイライン スタンダードにも1.9リッターエンジンが搭載され、1.5リッターモデルは消滅した。

1962年4月には、初代スカイライン/グロリアのシャシーにミケロッティデザインのボディーを架装した、派生車種の「スカイラインスポーツ」が発売された。日本で初めてイタリアンデザインを導入した、やはり日本初となる高級パーソナルカーだったスカイラインスポーツについては、過去の関連記事を参照されたい。

1959年1月に発売された初代「グロリア」(BLSIP-1)。内外装をより高級化した「スカイライン デラックス」のボディーに、1862ccまで拡大した直4 OHVエンジンを積んだ、当時国産唯一の3ナンバー車。最高出力80ps/4800rpm、最大トルク14.9kgm/2400rpmは国産最強で、最高速度は135km/hと発表された。価格はスカイライン デラックスより30万円近く高い147万円で、もちろん国産で最も高価だった。
1959年1月に発売された初代「グロリア」(BLSIP-1)。内外装をより高級化した「スカイライン デラックス」のボディーに、1862ccまで拡大した直4 OHVエンジンを積んだ、当時国産唯一の3ナンバー車。最高出力80ps/4800rpm、最大トルク14.9kgm/2400rpmは国産最強で、最高速度は135km/hと発表された。価格はスカイライン デラックスより30万円近く高い147万円で、もちろん国産で最も高価だった。拡大
1960年2月に「グロリア」とそろってマイナーチェンジを受け、国産乗用車初のデュアルヘッドライトを採用した「スカイライン デラックス」。(ALSID-2改-1)。1.5リッターエンジンは、前年秋に70psにパワーアップされている。またドラムブレーキはデュオサーボ(複動倍力)となり、制動力が向上。価格は108万円にまで下がった。
1960年2月に「グロリア」とそろってマイナーチェンジを受け、国産乗用車初のデュアルヘッドライトを採用した「スカイライン デラックス」。(ALSID-2改-1)。1.5リッターエンジンは、前年秋に70psにパワーアップされている。またドラムブレーキはデュオサーボ(複動倍力)となり、制動力が向上。価格は108万円にまで下がった。拡大
小型車規格(5ナンバー)の上限が1.5から2リッターに拡大されたのを受けて、1961年5月に登場した「スカイライン1900デラックス」(BLSID-3)。直4 OHVの1862ccエンジンは「グロリア」用と基本的に同じだが、圧縮比をグロリア用の8.5から8.0に下げてレギュラーガソリンに対応、最高出力は94psから91psへとわずかにデチューンされた。ボディーはフロントグリルがグロリアと共通になり、フロントフェンダーに“1900”のエンブレムが付く。価格はグロリアの115万円に対し、102万円。ちなみにライバルの「クラウン1900デラックス」は98万9000円、「セドリック1900デラックス」は103万5000円だった。
小型車規格(5ナンバー)の上限が1.5から2リッターに拡大されたのを受けて、1961年5月に登場した「スカイライン1900デラックス」(BLSID-3)。直4 OHVの1862ccエンジンは「グロリア」用と基本的に同じだが、圧縮比をグロリア用の8.5から8.0に下げてレギュラーガソリンに対応、最高出力は94psから91psへとわずかにデチューンされた。ボディーはフロントグリルがグロリアと共通になり、フロントフェンダーに“1900”のエンブレムが付く。価格はグロリアの115万円に対し、102万円。ちなみにライバルの「クラウン1900デラックス」は98万9000円、「セドリック1900デラックス」は103万5000円だった。拡大

セールスは苦戦 

1962年10月、姉妹車のグロリアが先行してフルモデルチェンジを受ける。ボディーは一気に近代化されたが、同時にスカイラインも生涯最後となる大規模なマイナーチェンジを受け、顔つきが新型グロリアと共通するイメージのフラットデッキスタイルに一新された。後方からの眺めは従来と変わらぬテールフィンの生えたフィフティーズルックだが、前から見ると現代風という過渡的なルックスは、予定されているであろうフルチェンジまでの“つなぎ”のモデルであることを物語っていた。

内装にも小変更が施され、機構的にはギアボックスが3段フルシンクロとなり、従来の4段はオプション扱いとなった。タクシードライバーから「4段はギアチェンジが面倒」と不評を買ったのが理由とされるが、ライセンス生産していた「オースチンA50」から4段ギアボックスを受け継いだ初代「日産セドリック」も、やはり同じ理由から途中で3段に変更している。これについては、米車に慣れたタクシードライバーに合わせ、米車に多かった3段としたクラウンがリーディングブランドだったがゆえに、業界標準になったということだろう。

バリエーションは従来と同じ2グレードだが、デラックスは「スーパー」へとグレード名を変更。型式名もS21S(スタンダード)とS21D(スーパー)に変わった。これが初代スカイラインの最終型となるが、その生涯を通じてセールスは伸び悩んだ。5ナンバーフルサイズ市場では最初にブランドを確立したクラウンが圧倒的に強く、1960年に日産からセドリックが登場すると、それに続いた。トヨタ、日産に比べ販売力の劣るプリンスのスカイラインは、3番手から浮上することはかなわなかったのだ。

1960年秋のトリノショーでプロトタイプがお披露目され、1962年4月に発売された「スカイラインスポーツ」。内外装ともにほぼハンドメイド、写真のコンバーチブルが195万円、クーペが185万円という高価格で、生産台数は合わせて60台といわれる。
1960年秋のトリノショーでプロトタイプがお披露目され、1962年4月に発売された「スカイラインスポーツ」。内外装ともにほぼハンドメイド、写真のコンバーチブルが195万円、クーペが185万円という高価格で、生産台数は合わせて60台といわれる。拡大
1962年10月にフルモデルチェンジを受けた「グロリア デラックス」(S40D)。ボディーは長く、広く、低くなり、バックボーントレー式フレームにド・ディオン・リアアクスル、1.9リッター直4 OHVエンジンなど主な構造は先代から踏襲するが、設計は一新された。価格は117万円。
1962年10月にフルモデルチェンジを受けた「グロリア デラックス」(S40D)。ボディーは長く、広く、低くなり、バックボーントレー式フレームにド・ディオン・リアアクスル、1.9リッター直4 OHVエンジンなど主な構造は先代から踏襲するが、設計は一新された。価格は117万円。拡大
「グロリア」のフルモデルチェンジと同時に、生涯最後のビッグマイナーチェンジを受けた「スカイライン スーパー」(S21D)。従来の「デラックス」に相当するモデルで、フロント部分を新型グロリアに似たフラットデッキスタイルに改めた。価格はスーパー:96万円、スタンダード:79万円で、2代目「クラウン」(デラックス:105万円、スタンダード:83万円)より安くなったが、こちらはモデル末期なのに対し、向こうは世代交代したばかりの最新型なので、当然といえば当然である。
「グロリア」のフルモデルチェンジと同時に、生涯最後のビッグマイナーチェンジを受けた「スカイライン スーパー」(S21D)。従来の「デラックス」に相当するモデルで、フロント部分を新型グロリアに似たフラットデッキスタイルに改めた。価格はスーパー:96万円、スタンダード:79万円で、2代目「クラウン」(デラックス:105万円、スタンダード:83万円)より安くなったが、こちらはモデル末期なのに対し、向こうは世代交代したばかりの最新型なので、当然といえば当然である。拡大

別名のコマーシャルカーも登場

今日では、「スズキ・アルト」などに残る商用車登録の軽ボンネットバンを除いて、乗用車ベースの商用車は見られなくなった。しかし、まだ乗用車がぜいたく品とされていた時代は、平日はビジネスの足として働き、休日にはレジャーに使えるライトバンやピックアップなどの乗用車ベースの貨客兼用車はポピュラーな存在だった。自動車メーカーにとっても、乗用車のみで開発および生産コストを償却するのは難しかったため、乗用車ベースの商用車は不可欠だったのである。

初代スカイラインからも、当然のごとく4ナンバーの商用車が派生した。誕生からちょうど2年後の1959年4月、2ドアのライトバンとダブルピックアップがデビューしたのだが、それらはスカイラインではなく、「スカイウェイ」という新たな名を冠していた。ベースはスカイライン スタンダードだが、ライトバン(ALVG-1)、ピックアップ(ALPE-1)ともにテールフィンを備え、なかなかスタイリッシュだった。

中身はスカイラインとほぼ変わりなく、特徴的なド・ディオン式の後輪懸架も、リーフスプリングを強化した程度の変更で使われた。乗用車ベースの商用車では、積載時の荷重変化と耐久性を考慮して、乗用車が後輪独立懸架を採用していても、商用車ではリジッドアクスルに改めるようなケースが多かった。だがプリンスでは、おそらく生産規模の関係(別立てにするほど台数が出ない)もあって、ド・ディオン・リアアクスルを使ったのではないだろうか。結果的に、当時の小型商用車に共通するうたい文句だった“乗用車ムードの商用車”を実践することとなった。

1959年4月に登場した「プリンス・スカイウェイ ライトバン」(ALVG-1)。「スカイライン スタンダード」をベースとする4ナンバーの商用バン。2ドア+上下開き式のテールゲートを持ち、6人乗りで最大積載量は500kg。価格は84万円だった。
1959年4月に登場した「プリンス・スカイウェイ ライトバン」(ALVG-1)。「スカイライン スタンダード」をベースとする4ナンバーの商用バン。2ドア+上下開き式のテールゲートを持ち、6人乗りで最大積載量は500kg。価格は84万円だった。拡大
「スカイウェイ ライトバン」と同時にデビューした「スカイウェイ ピックアップ」(ALPE-1)。6人乗りのダブルピックアップで、最大積載量はこちらも500kg。バンともども、テールフィンを備えた商用車は珍しい。価格は83万円。
「スカイウェイ ライトバン」と同時にデビューした「スカイウェイ ピックアップ」(ALPE-1)。6人乗りのダブルピックアップで、最大積載量はこちらも500kg。バンともども、テールフィンを備えた商用車は珍しい。価格は83万円。拡大
1960年2月にマイナーチェンジされた「スカイウェイ ライトバン」(ALVG-2改)。「グロリア」および「スカイライン デラックス」と同様にデュアルヘッドライトが採用された。イラストのモデルは、同時に加わった右側1枚、左側2枚の変則的な3ドア仕様。
1960年2月にマイナーチェンジされた「スカイウェイ ライトバン」(ALVG-2改)。「グロリア」および「スカイライン デラックス」と同様にデュアルヘッドライトが採用された。イラストのモデルは、同時に加わった右側1枚、左側2枚の変則的な3ドア仕様。拡大

モデルチェンジでファミリーセダンに

その後、スカイウェイはスカイラインに準じて改良や変更を受けていくが、興味深い点が2つある。前述したように1960年2月には、スカイライン デラックスに国産乗用車初のデュアルヘッドライトが採用された。スカイライン スタンダードの4灯化は同年10月までお預けだったのだが、スカイウェイに関しては、スタンダードがベースだったにもかかわらず、デラックスと同時にデュアルヘッドライトが導入されたのである。これはタクシー需要主体のスタンダードに対し、スカイウェイは商用車といえども自家用ユースが少なくなかったことを反映しているのかもしれない。

もうひとつは4灯化と同時に追加された、ドアが右側1枚、左側2枚という左右非対称の3ドアバン。乗用として使う場合、2ドアでは後席へのアクセスが不便という声に応えたものだが、この変則的な3ドアはワンボックスバンなどではよく見られたものの、乗用車ベースのモデルでは非常に珍しい。なお、約2年後の1962年3月には、一般的な4ドアに変更されている。

話をセダンのスカイラインに戻すと、1957年の誕生から約6年半を経た1963年9月に、初のフルモデルチェンジを迎える。クラウンやセドリックと覇を競う5ナンバーフルサイズ市場は、ひと足先に世代交代したグロリアにまかせて、2代目スカイライン(S50系)は1.5リッター級にダウンサイジング。「トヨペット・コロナ」や「ダットサン・ブルーバード」などと市場を争うファミリーセダンに生まれ変わったのだった。

これをベースとして、翌1964年4月に「スカイラインGT」(S54A-1)が誕生。そこから今日まで続く、スポーツセダンとしてのスカイラインの歴史が始まった。となれば、スカイライン60年の歴史において、高級セダンだった初代スカイラインは、異質な存在だったとも言えるのだ。とはいうものの、初代スカイラインに盛り込まれた進取の精神や独創性といったスピリットは、現代まで連綿と受け継がれているのである。

(文=沼田 亨/写真=日産自動車、CGライブラリー/編集=関 顕也)

1962年10月にビッグマイナーチェンジを受けた、初代の最終型となる「スカイウェイ1900ライトバン」(V23B-2)。写真左側が4ドア、右側が2ドア。なお“スカイウェイ”の名は、2代目S50系の途中まで商用バンに使われたが、以後は「スカイライン バン」に改称された。またスカイラインの商用バンは6代目まで存在したが、2ドア仕様が存在したのは初代スカイウェイのみである。
1962年10月にビッグマイナーチェンジを受けた、初代の最終型となる「スカイウェイ1900ライトバン」(V23B-2)。写真左側が4ドア、右側が2ドア。なお“スカイウェイ”の名は、2代目S50系の途中まで商用バンに使われたが、以後は「スカイライン バン」に改称された。またスカイラインの商用バンは6代目まで存在したが、2ドア仕様が存在したのは初代スカイウェイのみである。拡大
こちらは「スカイウェイ1900ピックアップ」(P23A-2)の最終型。これ以後、「スカイライン」ベースのピックアップが登場することはなかった。
こちらは「スカイウェイ1900ピックアップ」(P23A-2)の最終型。これ以後、「スカイライン」ベースのピックアップが登場することはなかった。拡大
1963年9月に初のフルモデルチェンジを迎え、ダウンサイジングされて登場した「スカイライン1500デラックス」。全長4m少々のまったく新しいボディーに、初代の途中まで積んでいた1.5リッター直4 OHVエンジンを改良して搭載した。
1963年9月に初のフルモデルチェンジを迎え、ダウンサイジングされて登場した「スカイライン1500デラックス」。全長4m少々のまったく新しいボディーに、初代の途中まで積んでいた1.5リッター直4 OHVエンジンを改良して搭載した。拡大
1964年4月、翌5月に開催される第2回日本グランプリのGTレースに出場するため、ホモロゲーション取得用に100台が限定生産された「スカイラインGT」(S54A-1)。「スカイライン1500デラックス」のノーズを200mm延長し、「グロリア スーパー6」用の2リッター直6 SOHCエンジンを押し込んだ、最初の“スカG”である。
1964年4月、翌5月に開催される第2回日本グランプリのGTレースに出場するため、ホモロゲーション取得用に100台が限定生産された「スカイラインGT」(S54A-1)。「スカイライン1500デラックス」のノーズを200mm延長し、「グロリア スーパー6」用の2リッター直6 SOHCエンジンを押し込んだ、最初の“スカG”である。拡大
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