第523回:「スバルと結婚した男」に聞く
イタリアでの日本車ディーラー人生
2017.10.13
マッキナ あらモーダ!
スバルとマツダ、さらにホンダも売ってます
スバルとマツダといえば、日本車の中でも、特に熱烈なファンを持つブランドである。ボクが住むトスカーナの州都フィレンツェに、その双方を扱っているディーラー「ムニャイーニ・アウト」がある。連絡を試みると、大歓迎の返事がきた。こういってはなんだが、イタリアとは思えない爆速レスポンスである。
所在地の街路名は、イタリア空軍の名パイロットにちなんだ「フランチェスコ・バラッカ通り」だ。ちなみにフェラーリのエンブレムは、バラッカの機体に描かれていた跳ね馬に由来する。
店を入って最初に迎えてくれたのはセールス歴17年というファビオ氏であった。
通りをはさんだ向こうには中古車展示場がある。加えて、数ブロック離れたところにあるグループ会社のショールームでは、ホンダと韓国のキアを扱っていると教えてくれた。
従業員は全部で約40名。年間販売台数の比率は、日本車の合計とキアとで、ほぼ半々という。日本車の詳しい内訳は、ホンダが約350台、マツダが約200台、そしてスバルが60台から80台ほどだ。
「近年ショールームを訪れる地元の人は減少気味です。しかし、弊社の最新オファーなどをインターネットで知り、ボローニャなど遠方からやってくるお客さんが増えたおかげで均衡を保っています」と、ファビオ氏は分析する。この店はネットの効果を熟知している。冒頭の超速リプライの理由がうかがえた。
創業者エンツォ氏の賭け
やがて、ひげをたくわえた白髪の紳士が現れた。創業者のエンツォ・ムニャイーニ氏だった。1952年生まれの今年65歳である。
もともとは電気関係の設計技師だったというエンツォ氏が、自動車販売の道に入ったきっかけは何だろうか?
「9歳年上の兄でした。彼は14歳のとき、見習いから自動車の世界に入ったメカニックでした」
やがて1980年、兄の修理工場がルノーの指定サービス工場になったのをきっかけに、28歳のエンツォ氏はその一角で新車の販売を引き受けることにした。
「今あるこの建物の一部分で始めました。ルノーの新車3台、中古車1台の計4台を押し込みました」
兄はホンダの販売代理権を獲得。後年のことになるが「アイルトン・セナとF1のおかげで、ホンダの知名度は、みるみる向上しました」と回顧する。また、二輪の最高峰レースMotoGPでイタリアの国民的ヒーローとなったヴァレンティーノ・ロッシがホンダに乗ったことも同様に貢献したと証言する。
やがて、兄のホンダ販売店と分社化。エンツォ氏は1986年にスバルの取り扱いを始めた。きっかけは当時スバルの海外戦略を担当していた三井物産の担当者が訪ねてきたことだったという。「ハナガタ氏という人でした。会社が今より小さかったので、それほど重圧には感じませんでしたが、やはりルノーから切り替えるのは、ある意味賭けでした」と振り返る。
ダイハツはもう一度やりたい
エンツォ氏は、「初代『レガシィ』、『リベロ(日本名:ドミンゴ)』、『インプレッサ』、そして『ヴィヴィオ』……」と、初期に扱った車名を次々と挙げてくれた。
休日になると、お客さんが集まりそうなゴルフ場などの場を借りて、さかんに展示を繰り返したことで、地道に顧客を開拓していった。
「修理工場やルノー時代からのお客さんにも買ってもらえました。加えて、90年代に入ってスバルがWRC(世界ラリー選手権)に参戦したことも追い風になりましたね」
しかしエンツォ氏のビジネスは、常に順風満帆というわけではなかった。メーカーの海外政策にたびたび翻弄(ほんろう)されてきたのも事実だった。2013年12月、兄の店がホンダとともに扱っていたGMデーウ製シボレーは、GMの国際戦略変更により欧州販売をとりやめることになった。そのため――のちにグループの大きな幹になるのだが――代わりにキアの代理権を手に入れて再スタートすることを余儀なくされた。
エンツォ氏の店にも同様の問題が生じた。スバルの後に取り扱いを始めていたダイハツが2011年1月、欧州での新車販売を2013年1月末で打ち切ることを発表したのだ。
普及価格で広い顧客に人気があったダイハツは、ニッチな顧客に訴求した高価格なスバルとともに良好な“両輪”となっていた。それが欠落することは、エンツォ氏の店にとって大きな痛手だった。
なにしろスバルの年間販売台数は当時50台から60台。これでは販売店の営業が成り立たない。「家族経営の小さなスバル販売店とは違い、従業員の生活がかかっていました」とエンツォ氏は振り返る。
ただ、彼自身はダイハツ車の完成度の高さを今もしっかりと覚えている。そして言葉の間から、もし欧州でダイハツが販売を再開することがあったら、再び喜んで扱いたいという気持ちをにじませた。
日本車を支える真面目なスタッフ
のちに幸運をもたらしてくれたのはマツダだった。
2015年、マツダのフォードとの資本関係解消は、イタリアでの販売政策にも変化を及ぼしたのだ。
「従来マツダ車は、フォード販売店の目立たない片隅で売られているのが常でした。マツダのイタリア法人は、フォードとの併売ではない独自の販売チャンネルづくりを模索し始めたのです」
エンツォ氏はマツダの地区販売代理権を獲得した。スバルとマツダでは、顧客にどんな違いがあるのだろうか?
「スバルのお客さんはAWDや水平対向エンジンに共感する技術志向。一方でマツダのお客さんは、洗練されたデザインと高い質感に引かれる方です」
新たに店を支えることになったブランド、マツダに期待するとともに、かつて成功のきっかけとなったスバルには感謝している。
「スバルのイメージはブランドの方針もあり、初代インプレッサ時代のスポーティーさから安全性へと変化しました。しかし私は、スバルのフィロソフィーと結婚したのです」
日本車とともに生きた31年の人生を、エンツォ氏はそう結んだ。
エンツォ氏と別れたあと、販売店の中を再び見学することにした。ジャンニ・バンディーニ氏は自動車販売歴30年。近年のマツダ車のクオリティーにほれ込んで、この店のマツダ取り扱い開始とともに転職した。パーツ係のステファノ氏は勤続11年だ。頭上にはWRCで疾走するスバルのポスター、脇には「スバル・トレセッサンタ」、つまり「スバル360」のモデルカーが置かれている。
「常にストックを調整しながら、消耗部品は決して切らさないようにしておくのが仕事です」と熱く語る。
たしかにイタリアで日本車のイメージは、ハイパフォーマンスカーやコンペティションカーがけん引してきた。しかし街角にエンツォ氏とスタッフのような真面目な人たちがいたからこそ、その確固たる信頼を獲得できたのである。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=関 顕也)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、25年間にわたってリポーターを務めあげる。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
-
第970回:クルマの背中に浮かぶ文字たち――空いた字間が語るもの 2026.7.16 アナタは自動車のボディー背面に施されたメーカー/ブランドのロゴについて考えたことがあるだろうか? 字間を詰めたり、広げたり、時代によって変わるそのトレンドと、その背景にあるメーカーの思惑を、自動車史にも精通する大矢アキオが語る。
-
第969回:裏地に『大脱走』! ピッティ・イマージネ・ウオモと自動車模様 2026.7.9 イタリアで開催された世界屈指の紳士モード見本市「ピッティ・イマージネ・ウオモ」を、現地在住の大矢アキオが取材。自動車にまつわるアパレルの最新トレンドを探り、新興ブランドのひたむきさと、老舗の刻んできた年輪に触れた。
-
第968回:初代「ルノー・トゥインゴ」は「フィアット500」と同じ旋風を起こせるか? 2026.7.2 リバイバルデザインの新型「ルノー・トゥインゴ」がデビューしてはや3カ月。このクルマの登場により、オリジナルにあたる初代がネオヒストリックとして脚光を浴びることはあるのか? 「フィアット500」の例を振り返りつつ、欧州在住の大矢アキオが考察する。
-
第967回:初代「トヨタ・クラウン」や“ヨタハチ”が「ミッレミリア」を走った! 2026.6.25 イタリアの歴史あるヒストリックカーラリー「ミッレミリア」に、日本のクルマが初めて参加! 石畳の道を行く初代「トヨペット・クラウン」に「トヨタ・スポーツ800」「2000GT」「スープラ」の姿を、現地在住の大矢アキオがリポートする。
-
第966回:フェラーリ・ルーチェ 地元イタリアで一般人はこう見た&大矢的こころ 2026.6.18 その斬新すぎるデザインで物議を醸している、フェラーリ初の量産電気自動車「ルーチェ」。このクルマは、おひざ元のイタリアではどのように受け止められているのか? かの地において自動車史と自動車文化をつぶさに見てきた大矢アキオがリポートする。
-
NEW
電気自動車の人工的な走行音はどうあるべきか?
2026.7.21あの多田哲哉のクルマQ&AEVの走行時に車内で聞こえてくる人工的な“音”は、本来、どうあるべきなのか? やはり、疑似エンジン音が最適なのか? トヨタでさまざまなクルマを開発してきた多田哲哉さんの考えを聞いてみた。 -
NEW
アストンマーティン・ヴァンテージS(FR/8AT)【試乗記】
2026.7.21試乗記アストンマーティンの擁するFRスポーツ「ヴァンテージ」が、より高性能な「ヴァンテージS」に進化。よりたくましいエンジンを獲得し、卓越したコーナリング性能に磨きをかけつつ、“優しさ”も身につけた最新モデルの走りを報告する。 -
第340回:一にエンジン、二にカッコ
2026.7.20カーマニア人間国宝への道清水草一の話題の連載。マツダ渾身(こんしん)のラージ商品群を応援するカーマニアのひとりとして、「CX-60」と「CX-80」の動向は常に気になっている。3列シートSUV、CX-80の最新モデルにあらためて試乗して感じたこととは? -
日産は“再挑戦”でホンダは“終了” 新型「エルグランド」発売に見る、プレミアムミニバンの今
2026.7.20デイリーコラムトヨタが圧倒的なシェアを占める上級ミニバンの世界において、新型「エルグランド」で復権をねらう日産。しかし、なぜフルモデルチェンジは16年ぶりになったのか? ホンダはどうするのか? この市場の今を考察する。 -
ホンダ・インサイト(FWD)【試乗記】
2026.7.20試乗記3000台の限定で販売される新型「インサイト」は、クロスオーバー風のフォルムと、これまでのホンダ車にはなかった内外装のデザインテイストが新鮮だ。中国で生産され、日本独自の名前が与えられた新型電気自動車の走りと仕上がりを、ロングドライブで確かめた。 -
ポルシェ911カレラT(後編)
2026.7.19ミスター・スバル 辰己英治の目利きスバルとSTIでクルマの走りを鍛え、モータースポーツにも積極的に取り組んできた辰己英治さん。彼の目に、“スポーツカーの水準器”こと「ポルシェ911」はどのように映ったのだろう? 走りの楽しさを追求した「カレラT」グレードに乗っての印象を聞いた。














