第157回:パリの年齢差カップルはA8の中で沈黙する
『静かなふたり』
2017.10.13
読んでますカー、観てますカー
これぞ、フランス映画
洋画といえばハリウッドものという構図が出来上がったのはいつごろからだろうか。かつてアメリカ映画と同じくらいの存在感を誇っていたのがフランス映画である。戦前にはジャン・ルノワールやルネ・クレールといった巨匠たちの作品が称賛されていたし、1960年代にはジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーらによるヌーヴェル・ヴァーグがもてはやされた。男優ならばアラン・ドロン、ジャン=ポール・ベルモンドなど、女優ではカトリーヌ・ドヌーヴ、ブリジット・バルドーと、いくらでも名前が出てくる。
もちろん、日本では今でもフランス映画は公開されている。今年で言えば、話題を呼んだのが『エル Elle』である。イザベル・ユペールが主演するエロティックサスペンスで、暴力と性の生々しい描き方に評価は真っ二つに分かれた。フランスを代表するユペールの演技が絶賛されたものの、監督はハリウッドで成功を収めたオランダ出身のポール・ヴァーホーヴェンである。問題作ではあるが、いかにもフランス映画という作りではない。
9月30日から公開された『エタニティ 永遠の花たちへ』は、19世紀末から数十年にわたってフランスの裕福な家族がたどる運命を描いた作品である。上流階級の華やかな生活が流麗な映像でとらえられている。フランス趣味全開ではあるのだが、全編を通してなぜかスクリーンに湿気が漂う。監督は『青いパパイヤの香り』のトラン・アン・ユンで、ベトナム生まれという出自が漏れ出してしまうのだ。
どちらも優れた作品だったが、フランス映画らしいフランス映画を見たいという欲求には応えられない。もっともっと濃いフランス映画の香りをかぎたいという望みをかなえてくれるのが『静かなふたり』である。
老いた男と若い女の恋?
舞台はパリ5区のカルチェ・ラタン。27歳のマヴィは地方出身で、パリに出てきたばかり。友人の画家フェリシアのアパートに同居させてもらっている。都会での生活は、彼女にとって心地よいものではない。街を歩いていても落ち着かず、自分は受け入れられていないと感じている。突然頭の上からカモメの死体が落ちてきたりすることさえあるのだ。部屋に戻って居間のソファで読書していると、フェリシアの寝室からあられもない声が響いてくる。奔放な彼女は、恋人のミゲルを引き入れて一日中愛の行為にふけっている。
居場所のないマヴィにとって、カフェで読書する時間が最も安らぐ。帰ろうとして、彼女は壁にあった求人の張り紙を見つけた。「貸間:ワンルーム 家賃:数時間の労働」と書いてある。職なし家なしのマヴィには飛びつきたくなる条件だ。勤務先は、裏通りにある古書店「緑の麦畑」。訪ねていくと、書店の経営者ジョルジュからいきなりレジの鍵を渡され、留守番を申し付けられる。どうせ客は来ないから問題ない、と言うのだ。
店は段ボール箱だらけで、商売しようという意欲が感じられない。ジョルジュには事務能力が欠如しているようである。見かねたマヴィは片付けようとするが、彼女も整理整頓の資質は持っていないようで、何日たっても店内は雑然としている。どうやら、ジョルジュは客が来ることを望んでいないようなのだ。
彼はそろそろ70歳になろうかという年齢だが、ふたりは次第に打ち解けて一緒に食事をしたり、散歩に出かけたりするようになる。老齢に入りかけた男と若い女の恋というテーマは、世の男性にとって魅力的だ。30年ほど前、三流作家が経済紙に連載したエロ小説が中年男性から熱狂的に支持され、映画化、ドラマ化までされたことを思い出す。
カルチェ・ラタンには似合わないクルマ
もちろん、この映画はそういった低劣な目的の商業作品とはまったく違う。マヴィとジョルジュの間には、何も起きない。彼らは時に短い会話を交わし、長い沈黙を楽しむ。それだけだ。互いに互いを必要としていることを感じ、愛という関係性が意識されることもあるようだ。しかし、ふたりは肉体を必要としない。哲学と詩によって結ばれているからだ。「愛は苦痛」というフレーズが繰り返され、会話はすぐに途切れて視線だけがさまよう。
街には反原発のデモが行き交う。道端では、チェルノブイリ産とフクシマ産のポテトを販売するというパフォーマンスが行われている。テレビや新聞が報じるのは、アイルランドのハッカーが暗躍しているというニュースだ。カモメは再び空から落下し、不安な空気が街を満たしている。
ジョルジュはたびたび不意にどこかに出かけてしまうことがある。何をしにいったのかは話さない。引っ越してきたマヴィには、何度も封筒に入れた札束を渡した。バブル期の土建屋のような振る舞いだが、それで彼女をどうにかするというわけではない。
彼が乗っているクルマは「アウディA8」である。近所の人々は、だいたいが「プジョー」や「シトロエン」のコンパクトカーに乗っている。ジョルジュはカルチェ・ラタンの中で浮いた存在だ。地域の人々とは交流がない。金はあり余るほど持っているからA8を買ったわけだが、特に愛着のあるクルマということでもなさそうだ。
ユペールの娘とドヌーヴの相手役
ジョルジュはマヴィを誘ってドライブに出かける。車内でも、ほとんど会話は交わされない。彼女は「この沈黙が好き」と心の中で語る。交際を始めたばかりのカップルほどドライブ中に会話が途切れるのを恐れるものだが、彼らは安易に言葉に頼らない。高台からふたり並んでパリの街を眺める時も、黙り込んだままである。
マヴィを演じるのは、ロリータ・シャマ。イザベル・ユペールの娘である。『Droles d'oiseaux(奇妙な鳥)』という原題は、彼女が片足を上げて膝をかくしぐさが鳥に似ていたことから付けられたそうだ。ジョルジュ役は『昼顔』でドヌーヴの相手役を務めたジャン・ソレル。実年齢は83歳だというから恐れ入る。角度によっては、二谷英明にちょっと似ている。
監督のエリーズ・ジラールは、これが長編映画2作目となる新鋭だ。フランスのカルチャーマガジン『レ・ザンロック』は彼女のことを「フランスのジム・ジャームッシュ」と表現している。前作『ベルヴィル・トーキョー』は、妊娠した妻と父親になることを受け入れられない男の物語だった。『静かなふたり』と同様に語り口はミニマムで、自分勝手で器の小さい男と彼を突き放しきれない女の心の動きを丁寧に描いていた。
タイトルにトーキョーとあるが、日本で撮影されたわけではない。男が東京に出張すると妻にうそをつき、パリの移民街ベルヴィルで愛人と暮らしていたことを意味している。ただ、本当に日本が舞台となる企画『Sidonie au Japon』が現在進行中だという。彼女の視線で切り取られた日本はどんな姿を見せるのか、楽しみでならない。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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