第167回:中古の国産ワゴンに乗っているのはいい人か?
『去年の冬、きみと別れ』
2018.03.09
読んでますカー、観てますカー
叙述トリックを映像化した作品
「映像化不可能と言われた原作ですが、脚本を読んだときに、この手があったかと感心しました」
原作者の中村文則が残したコメントである。映像化不可能と自分で言っているのは、俺の小説を簡単に映画化されてたまるかというプライドの高さからではない。『去年の冬、きみと別れ』は叙述トリックといわれる手法を使っていて、文章の仕掛けがストーリーの鍵となっているのだ。
ミステリー小説に付き物なのがトリックである。犯人はアリバイ偽装や死体の入れ替え、凶器の消滅、密室トリックなどの技法を用いて証拠隠滅を図る。知恵を絞って仕掛けを見破り、悪人の前に立ちふさがるのが探偵だ。聡明(そうめい)なヒーローが犯行の際に生じたわずかなほころびも見逃さず、完全犯罪に見えた事件を解決する。読者はトリックをめぐる犯人と探偵の頭脳戦を楽しむわけだ。
叙述トリックは、少し意味合いが違う。トリックを仕掛けるのは犯人ではなく、作者なのだ。ターゲットは読者である。文章表現を駆使して誤った解釈に導き、読者が思い描いていた犯罪の構成要素を最後に反転させる。ニセの設定を使ったり重要な事実を隠したりするのはルール違反で、情報を開示しながら常識や偏見を巧みに利用して間違った認識に誘い込むのだ。
単純なものだと、話し方で登場人物の性別を誤認させるという方法がある。だまされるのはステレオタイプなジェンダー観を持っていた読者の責任だから、作者に文句は言えない。自然に誤解を生むように文章テクニックを駆使するのが腕の見せどころだ。だから、この手法は小説でしか成立しない。映像にしてしまえば、登場人物の姿は観客の目にさらされてしまう。
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燃える女を撮影するカメラマン
映画版『去年の冬、きみと別れ』は、小説版といくつか設定が異なっているところがある。複雑なからくりを映像のみで見せなければならないのだから当然だ。根幹のストーリーや犯罪の構成は変わっていない。主人公は若手記者で、猟奇的な犯罪を行ったとされる木原坂雄大という男を調べている。チョウの写真で賞を取った芸術派カメラマンだ。
彼は女性を焼死させた疑いを持たれている。生きたままで燃えているところを撮影したのだ。彼は芥川龍之介の『地獄変』を読み、芸術のために自分の娘が焼け死ぬさまを冷静に観察した主人公に共感している。木原坂はなぜ人が燃える写真を撮ることに執着するのか。記者は彼の周辺を取材し、真相に迫っていく。
小説では章立てが2つの要素に分かれている。“僕”が物語る本体部分の間に、“資料”が挟み込まれているのだ。拘置所の中の木原坂が姉の朱里や正体不明の人物に送った手紙、子供の頃の作文、被害者女性のツイッターなどである。すべての情報が明かされているが、その役割が不明なので読者は宙づりにされたままだ。
木原坂は2件の女性焼死事件に関わっていて、小説では拘置所にいる彼を記者がインタビューする場面から始まる。映画では2つ目の事件はまだ起きておらず、1つ目の事件は事故扱いとなって木原坂は自由の身だ。演じているのは斎藤 工。セクシー俳優と呼ばれる彼は、性的倒錯傾向を持った天才の役柄が似つかわしいということなのだろう。
若手記者の耶雲恭介役は岩田剛典。EXILEメンバーとしては異端派の色白な優男で、一途(いちず)で線の細い印象が買われたのだ。彼の婚約者である松田百合子には山本美月をキャスティング。『CanCam』専属モデルを務めていたこともある美女だ。耶雲が企画を持ち込んだ編集部のデスク小林良樹は北村一輝。一癖あるキャラクターを演じることが多い。最近では、『羊の木』で殺人を犯した元受刑者の役がハマっていた。
白と黒のSUVと20年落ちのマークII
映画では、このキャスティングにもトリックの役割がある。俳優のイメージで判断していると、思わぬ勘違いをしてしまうからだ。セクシー、優男、美女、一癖。わかりやすい図式が描かれているが、そのまま信用していいかどうかはわからない。
服装や持ち物などが、人物造形を補強する。その中で大きな役割を与えられているのが、彼らが乗るクルマだ。木原坂は黒の「メルセデス・ベンツG350」を所有している。軍事車両をルーツとするGクラスは、力強くマッチョなイメージが強い。黒いボディーカラーだと、威圧感は倍増する。価格の高さから、セレブ系の匂いを感じる人もいるかもしれない。
彼の姉である木原坂朱里(浅見れいな)は、白い「ポルシェ・カイエン ターボ」。弟を溺愛していて近親相姦(そうかん)の疑惑もかけられているほどだから、好みが似ていてSUV好きなのだ。ただし、Gクラスよりは洗練のイメージが強い。彼女は世界を飛び回る投資家で、金はふんだんにある。ボディーカラーが白だからといって、無垢(むく)で純粋であることを意味しているとは言えない。
耶雲は金のない記者だから、クルマは中古だ。「トヨタ・マークII」のワゴンである。5代目モデルなので、最終型だとしても20年落ちだ。こういうクルマを選ぶのは、実直で真面目な人物に決まっている。オンボロであっても、恋人とのドライブは楽しそうだ。
小説では、クルマの描写はほとんど出てこない。木原坂が「青のセダン」に乗っていると書かれているだけなので、キャラクターの性格を判断するのは無理である。恐らく、作者はあまりクルマに詳しくないのだろう。
映画の製作陣には、クルマ好きがいたようだ。Gクラス、カイエン、中古のマークIIワゴンというセレクトは的確である。クルマ選びは地味な作業だが、叙述トリックを使った小説を映像化するという困難な作業を支えた大事な役回りなのだ。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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