幸運がもたらした作品

戦前からの歴史を持ち、戦後は大型商用車の専門メーカーとして再出発したいすゞが、乗用車市場へ進出すべく英ルーツグループと技術提携を結んだのは1953年。そこから始まった「ヒルマン・ミンクス」のライセンス生産から学んだ経験をベースに、1962年初のオリジナル乗用車となる「ベレル」をリリースした。

ベレルはいすゞの社内デザインながらピニンファリーナの影響が色濃いスタイリングだったが、当時国産メーカーの間ではイタリアのカロッツェリアとのコラボレーションがトップファッションだった。先陣を切ったのは1960年のトリノショーにミケロッティの手になる「スカイラインスポーツ」を出展したプリンスで、続いて日野が同じくミケロッティ、ダイハツがヴィニャーレ、日産がピニンファリーナ、マツダがベルトーネと契約。バスに乗り遅れるなといすゞもトリノ詣でを敢行し、1964年10月にカロッツェリア・ギアとデザイン委託契約を結んだ。

そこから後の「フローリアン」、そしてそれをベースとする「117クーペ」が生まれるわけだが、いすゞにとって幸運だったのは、ちょうどそのプロジェクトの最中に、まだ20代の若さながら、すでにベルトーネで数々の傑作を手がけていたジウジアーロがギアに移籍してきたことだった。

いすゞとギアを結びつけたのは、後にジウジアーロらとともにイタルスタイリング(イタルデザインの前身)を立ち上げ、日伊自動車産業の架け橋となった宮川秀之氏である。「ジウジアーロとは、彼がベルトーネ在籍中にマツダとの仕事を通じて知り合い、親しくなった」というその宮川氏から、以前に興味深い話を伺ったことがある。

いわく、ジウジアーロがチーフデザイナーとしてギアに移ってきた1965年後半の時点で、すでにフローリアンとなるモデルのデザインは前任者によってほぼ出来上がっていた。それをベースとする派生モデル、つまり117クーペとなるべきモデルのレンダリングもいくつか存在したが、そのなかに宮川氏を納得させるような、レベルが高く、かつインパクトのある作品は見当たらなかったという。

そこで宮川氏は、派生モデルについては仕切り直して、才気あふれるジウジアーロにやらせてほしいと、ギアの社長だったガスパルド・モーロに頼み込んだ。いすゞは将来有望なクライアントだから、ほかの仕事を後回しにしても最優先すべきという宮川氏の意見にモーロは同意し、その命を受けたジウジアーロも期待に応え、短期間ですばらしいクーペのレンダリングを仕上げた。

そのレンダリングに記された日付は1965年12月15日だったが、翌1966年3月10日に開幕したジュネーブモーターショーのギアのスタンドには、「ギア いすゞ117スポーツ」と名乗る美しい4座クーペが展示されていた。驚くべきことに、3カ月に満たない期間でプロトタイプを作り上げてしまったのである。

1960年のトリノショーでデビューした「プリンス・スカイラインスポーツ」。初代「スカイライン」のシャシーに、ミケロッティがデザインしたコンバーチブルとクーペのボディーを載せている。この2台はミケロッティと協力関係にあったカロッツェリア・アレマーノで製作されたショーモデルそのものである。
1960年のトリノショーでデビューした「プリンス・スカイラインスポーツ」。初代「スカイライン」のシャシーに、ミケロッティがデザインしたコンバーチブルとクーペのボディーを載せている。この2台はミケロッティと協力関係にあったカロッツェリア・アレマーノで製作されたショーモデルそのものである。拡大
1962年に発売された「いすゞ・ベレル」。「クラウン」や「セドリック」、「グロリア」に対抗する5ナンバーフルサイズセダンである。ライバルのスタイリングがみなアメリカ志向だったのに対して、ピニンファリーナ風のデザインが特徴。だが、極端に小さいフロントサイドウィンドウなど、未消化の感が強かった。
1962年に発売された「いすゞ・ベレル」。「クラウン」や「セドリック」、「グロリア」に対抗する5ナンバーフルサイズセダンである。ライバルのスタイリングがみなアメリカ志向だったのに対して、ピニンファリーナ風のデザインが特徴。だが、極端に小さいフロントサイドウィンドウなど、未消化の感が強かった。拡大
1966年秋の東京モーターショーでベールを脱いだ「いすゞ117」。ギアがデザインした「フローリアン」のプロトタイプだが、担当はジウジアーロではなく、前任者のフィリッポ・サピーノ。後方に「117クーペ」のプロトタイプ2号車が見える。
1966年秋の東京モーターショーでベールを脱いだ「いすゞ117」。ギアがデザインした「フローリアン」のプロトタイプだが、担当はジウジアーロではなく、前任者のフィリッポ・サピーノ。後方に「117クーペ」のプロトタイプ2号車が見える。拡大
1966年春のジュネーブショーでデビューした「ギア いすゞ117スポーツ」。つまり世に出たのは前出の、ベースとなった「いすゞ117」より先だった。この時点ではその117のシャシーが出来上がってなかったため、「ベレット」用を改造して用いていた。
1966年春のジュネーブショーでデビューした「ギア いすゞ117スポーツ」。つまり世に出たのは前出の、ベースとなった「いすゞ117」より先だった。この時点ではその117のシャシーが出来上がってなかったため、「ベレット」用を改造して用いていた。拡大
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