第573回:「アルピーヌの基本原則を突き詰める」
アルピーヌの魔術師ジャン‐パスカル・ドゥースに聞く

2019.06.06 エディターから一言
アルピーヌのチーフ・ビークル・エンジニアであるジャン‐パスカル・ドゥース氏。
アルピーヌのチーフ・ビークル・エンジニアであるジャン‐パスカル・ドゥース氏。拡大

当初、ルノーとケータハムカーズのジョイントベンチャーとしてスタートした新生アルピーヌのスポーツカー開発計画。初期段階からプロジェクトに関わっていたチーフ・ビークル・エンジニアのジャン-パスカル・ドゥース氏に、開発の裏側とアルピーヌの未来を聞いてみた。

2018年11月に日本でも販売を開始した「アルピーヌA110」。ラインナップは快適装備を数多く採用した「リネージ」(右)とスポーティーモデル「ピュア」(左)の2グレード。
2018年11月に日本でも販売を開始した「アルピーヌA110」。ラインナップは快適装備を数多く採用した「リネージ」(右)とスポーティーモデル「ピュア」(左)の2グレード。拡大
ジャン-パスカル・ドゥース氏は、2001年にルノーF1チームのエンジニアリングマネージャーに就任。2004年から9年間、ルノー・スポールに在籍し、プロジェクトマネージャーやモータースポーツディレクターの要職に就く。2012年にケータハムとのジョイントベンチャーがスタートした際に合弁会社の副社長を務めた。
ジャン-パスカル・ドゥース氏は、2001年にルノーF1チームのエンジニアリングマネージャーに就任。2004年から9年間、ルノー・スポールに在籍し、プロジェクトマネージャーやモータースポーツディレクターの要職に就く。2012年にケータハムとのジョイントベンチャーがスタートした際に合弁会社の副社長を務めた。拡大
「A110」の誕生50周年を記念し2012年に開発されたコンセプトカー「A110-50」。ベースは「ルノー・メガーヌR.S.」の高性能モデル「トロフィー」だった。このコンセプトカーへの反響が、新生「A110」誕生の後押しになったといえる。
「A110」の誕生50周年を記念し2012年に開発されたコンセプトカー「A110-50」。ベースは「ルノー・メガーヌR.S.」の高性能モデル「トロフィー」だった。このコンセプトカーへの反響が、新生「A110」誕生の後押しになったといえる。拡大

50:50のJVでスタートしたプロジェクト

私のような世代にとって、しかも昔からラリーに引きつけられていたクルマ好きにとって、アルピーヌという名前は特別である。

フレンチアルプスや雪のチュリニ峠、WRC初年度のチャンピオンマシンなどなど、さまざまな言葉が脳裏を駆け巡り、胸の奥が熱くなるような気がするほどだ。私もかつて、素晴らしいコンディションのオリジナル「A110」で、いにしえのイベント同様5日間でコルシカ島を一周する「トゥール・ド・コルス・ヒストリーク」に参加したことがあるが、そういう人間ほど、新型は本当にあのA110の名を再び与えるのにふさわしいのか、といささか斜めに見ていたかもしれない。

アルピーヌ・ブランドが復活するまでには紆余(うよ)曲折があったのはご存じの通り。アルピーヌの復活が明らかにされたのはもう10年余り前だが、当時は本当に可能なのか疑念を抱く人が多く、正直言って私自身もそうだった。だが結果は既に皆さんご承知の通りである。

そもそもアルピーヌ・スポーツカー開発計画は2012年末にルノーとケータハムカーズとのジョイントベンチャーとしてスタートしたもので、折半出資の新会社で開発したスポーツカーを両社でそれぞれ販売する計画だった。ところがスタートから2年後にはケータハムが離脱(ちょうどF1でもロータスをめぐる混乱があった頃)、その後はルノー100%出資の独自プロジェクトとなったが、その初期段階から関わっていたのがジャン-パスカル・ドゥース氏である。

「規模も文化も違う2つの企業が共同出資して計画を進めるのですから、それは難しいことがいろいろありました。ただし、その段階では報告すべき役員陣はルノーから3人、ケータハムから3人の6人だけでした。大きな組織のルノーであればなかなか進まないことも、小さな所帯だったからこそ可能だったのかもしれません」

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