第608回:災い転じて福となす!?
大矢アキオ、“駐在所”にて夜を明かす
2019.06.14
マッキナ あらモーダ!
民宿でオーバーブッキング?
1990年代後半イタリアに住み始めた頃、ホテルの予約といえば「旅行代理店でクーポン」か「ファクス」、もしくは「施設に直接電話」であった。こうすることで語学力が鍛えられたといえばそれまでだが、ちゃんと予約が入っているか、到着するまで不安が伴ったものである。
気がつけば近年はホテル検索サイトのおかげで、ヨーロッパにおける旅の計画が格段に便利になった。
しかし先日の旅では予期せぬことが起きた。2カ月前に検索サイト経由で予約しておいた宿が、自動キャンセルとなったという旨の通知メールが舞い込んだのだ。それも出発の2日前である。ついでにいえば、当該サイトで普段使っているイタリア語や日本語ではなく、珍しく英語でのメッセージだった。
理由は「オーバーブッキングのため」であるという。航空会社の宿泊プランや国際会議を引き受けるような一流宿ではあるまいし、数室しかない田舎宿で「オーバーブッキング」とは何事だ。筆者にとっては初めて泊まる宿であり、それを表向きの理由に断られるような、またはサイトのブラックリストに載るような不適切行為をした記憶もない。その宿にスムーズに到達すべく、「Googleストリートビュー」で、インターの出口やルートまでイメトレしていたのに。やり場のない怒りがこみ上げてきた。
やや心を落ち着けて通知メールを読み進むと、「おすすめの代替施設」が表示されている。予定していた宿と比べると、料金は3泊分で円換算にして約3300円のプラスである。
再び納得できない気持ちに見舞われたが、もはや悠長に他施設をネット検索している暇はない。繰り返すが、出発の2日前である。ボタンをクリックし、予約を完了した。
民宿は“駐在所”だった
当日、「おすすめの代替施設」に宿泊すべくわが家から420km、イタリア北部のコモにクルマで向かった。
道路沿いの宿に到着し、外壁の色を見て「あれ?」と思った。イタリアの道路公団「ANAS(アナス)」の管理小屋と同じ色である。
筆者の到着を待っていてくれたのは、パオロさん&ダニエラさん夫妻であった。「もしかして、この建物は元ANASですか?」という筆者の問いに、夫妻は即座にうなずいた。
ダニエラさんは話す。「イタリアではムッソリーニ時代、道路環境の改善を図るためにANASの前身にあたる組織を創立して、一定区間ごとにカントニエレ(道路監視員)を配備したのです」
補足すると、ANASの前身は1928年、ファシスト政権下で設立された「AASS(国家道路公社)」である。最初の任務は、劣悪だった未舗装道路の補修および管理と近代的道路の建設であった。
ファシスト政権崩壊後の1946年には、AASSとほぼ同様の意味の略語であるANASへと改称される。
往年のカントニエレには、道路管理や交通管制だけでなく、警察に準じた権限も与えられていた。
ANASは管理用資材や機材を保管する小屋をイタリア全国に設置した。ちなみに筆者は長年、各地でこの「ANAS小屋」を見つけるたび、スナップを撮るのを楽しみにしてきた。
加えて、カントニエレを駐在させる家をイタリア全国に建てた。ちょうど日本の警察における駐在所のようなイメージである。小屋も家も、外壁色は濃い赤だ。
「ANASが建てたカントニエレの駐在所には、いくつかの規格があって、建てる場所に応じて使い分けていたのです」とダニエラさんは説明する。
もともとは息子のために
イタリアの民営化ムーブメントに乗る形で、2002年にANASは株式会社化された。昨2018年からは筆頭株主がイタリア経済・財務省からイタリア国鉄に代わり、イタリア国鉄グループを構成する一企業となっている。「鉄道」が「道路」を傘下に収めるという摩訶(まか)不思議な構造だ。
現在ANASは、総延長3万kmの国道および一部の高速道路を運営・管理している。全国に21の管理センターを保有し、約6000人の従業員を抱えている。管理下にあるイタリア国内のトンネル数1952本は、全ヨーロッパのトンネル数の半分にあたる。
そうした流れの中、近年各地ではANASの施設小屋や駐在所の廃止が相次ぐようになった。
パオロ&ダニエラ夫妻の民宿に話を戻そう。パオロさんの家は、19世紀半ばのイタリア統一前から、地元で代々エンジニアの職にあったという。彼はリタイア後の8年前、その3階建ての元駐在所を手に入れた。ダニエラさんによると、通常国道沿いのANAS物件は払い下げされないという。しかし彼らの物件の場合は、目の前を走る道路の行政上の管轄が、国から州へと移管されたのを受けて、競売が実施された。
落札に成功した夫妻は、長きにわたって放置されていた駐在所を約1年かけて瀟洒(しょうしゃ)な邸宅へとよみがえらせた。すべての窓には防音工事を施した。
当初から民宿経営を目指していたのかと思ったら、そうではなかった。パオロさんは説明する。「はじめは息子に住んでもらえればと思って購入したんです。しかし、彼はアメリカに移住してしまいました」。彼らの子息は現在、ピッツバーグで父と同様エンジニアの職にあるという。参考までに長女もパリ在住だ。
そのため、民宿を営むことに計画変更したのだという。名前は、ANAS当時の呼称を流用し、カントニエレの家を意味する「カーザ・カントニエラ」とした。筆者もそれを知っていれば、出発前に旧ANASの駐在所と想像できただろうに。冒頭のキャンセル騒ぎによるドタバタもあり、所在地のみをカーナビにぶち込んでやってきた自身に赤面した。
イタリアの“昨日”をいたわる
建物内にはゲスト用の部屋が3つあり、夫妻はチェックイン時と朝、それに続くチェックアウト時だけ旧市街の家からやってくる。
筆者の宿泊中、ドイツからのバイクツーリング客やベルギー人観光客、自転車レースに随行してきた慈善団体のスタッフ……といった、バラエティーに富んだゲストが訪れた。夫妻も彼らとのふれあいを心から楽しみにしているようだった。ホテルではあまり見られない光景である。
ダニエラさんは、外壁色に関する面白い話も教えてくれた。夫妻は、ANAS時代に設置された「起点からの距離」を記した標識を残したいと考えた。そこでANASに確認したところ「標識を残す場合、駐在所の外壁色はオリジナルを維持すること。逆に標識を消去するのであれば、外壁は他色でも可」という規定を聞かされた。歴史を好む彼らが選んだのは、当然前者であった。
「外壁色は、ANASのオリジナル色に近いものを自分たちで配合しました」とダニエラさんは語る。
古代ローマ以前であるエトルリア時代の遺跡も珍しくないイタリアで、20世紀史はとかく軽んじられる傾向にある。対してパオロ&ダニエラ夫妻は、イタリア人にとっては昨日のことのような、第2次大戦後の建築物をいたわっている。筆者も、前述のような歴史からすれば、ANASの駐在所は、自動車に彩られた20世紀におけるひとつの残像と考える。
話すうち、彼らは初代「アルファ・ロメオ・スパイダー デュエット」や「フォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)」、さらにはオーストリアの「シュタイヤー・プフ・ハフリンガー」まで所有する自動車愛好家であることもわかった。
“駐在所”への宿泊体験は、冒頭のドタキャン騒ぎからすると、筆者にとってまさに「災い転じて福となす」であった。旅の楽しさは、こうしたストーリーあふれる人々との出会いである。筆者にとってクルマはそれを実現するための一手段であり、古いか新しいか、立派かボロいかはさして重要でないのである。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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