「日産ローレル」を通して学ぶ 国産ハードトップ車通史
2020.07.08 デイリーコラム![]() |
2020年6月21日、東京都武蔵村山市にある東京日産 新車のひろば 村山店で「日産ローレル ハードトップ 生誕50周年」記念イベントが開かれ、歴代「ローレル」のハードトップが集結した。それらを眺めながら、あらためてローレルというモデル、そしてハードトップというボディー形式について考えてみた。
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ハードトップとは?
“ハードトップ”という自動車用語には基本的に2つの意味がある。ひとつは「マツダ・ロードスター」などのオープンカーに装着する取り外し可能なトップ。布製のソフトトップの対義語で、樹脂や金属などで作られた文字通り“固い屋根”である。もうひとつは、原則としてボディー側面からセンターピラー(Bピラー)を取り去り、ドアをサッシュレスとしたボディー形式。サイドウィンドウを下ろすと側面にピラーやサッシュが残らず、開放感のあるルックスが得られるというものだ。
ここで取り上げるハードトップは後者である。その元祖は1949年に登場した2ドアハードトップの「キャデラック・クーペ ドゥビル」といわれているが、1956年には4ドアハードトップの「キャデラック・セダン ドゥビル」もデビュー。1950年代末までには、シボレーやフォードなど大衆ブランドを含むアメリカ車のほとんどのメイクが2/4ドアハードトップをラインナップしていた。
アメリカ車以外では、意外なことにメルセデスが早く、1957年「300d」(W189)で4ドアハードトップを、1961年「220SEbクーペ」(W111)で2ドアハードトップを採用している。
日本では、トヨタが1965年に発売した「トヨペット・コロナ ハードトップ」で先鞭(せんべん)をつけた。続いて1968年には「コロナ マークII」および「クラウン」にも同様の2ドアハードトップを設定。翌1969年に登場した「マツダ・ルーチェ ロータリークーペ」は、フロントドアの三角窓も取り去っていた。前後サイドウィンドウを下ろせば遮るものが何もないこのスタイルが、以後ハードトップの標準となった。
1970年に入ると、5月に三菱から「コルト・ギャラン ハードトップ」が登場。翌6月に日産から、今回の主役である「ローレル ハードトップ」がようやくデビュー。日産初のハードトップではあるが、日産はその流行には明らかに後れをとっていた。ちなみに翌1971年にはダイハツが「フェローMAXハードトップ」をリリース。軽からクラウンや「セドリック/グロリア」級まで、しゃれたクルマといえばハードトップ、という時代がやってきたのである。
元祖ハイオーナーカー
1970年6月22日、つまりこのイベントの開催日からほぼ50年前に日産初のハードトップであるローレル ハードトップがデビューした。初代ローレル(型式名C30)については、約2年前に筆者が寄稿した「祝! 生誕50周年 いまや希少な初代『ローレル』を振り返る」をお読みいただきたいが、1968年に日本初の「ハイオーナーセダン」をうたって誕生したモデルである。
前がマクファーソンストラット、後ろがセミトレーリングアームの4輪独立懸架にクロスフロー、ヘミヘッドの直4 SOHCエンジンという当時のBMWばりの進歩的かつ高級なメカニズムを備えていた初代ローレル。だがボディーは4ドアセダンのみ、エンジンも1.8リッターだけでグレードは2種しかなく、およそ半年後に当初からワイドバリエーションをそろえて登場したコロナ マークIIに市場では押されていた。
劣勢を挽回すべく追加設定されたのが2リッターエンジン搭載車を含むハードトップというわけである。テコ入れがいささか遅すぎた感は否めないが、それを逆手にとったのか、登場時のキャッチコピーは「ほんもの登場」だった。
ヨーロピアンからアメリカンへ
欧米に追い付き追い越せとばかりに日進月歩していた日本車の高性能化がひと息ついた1972年、「ゆっくり走ろう」というキャッチコピーを掲げて、ローレルは2代目(C130)に進化。初代ローレルは、日産本体と日産が1966年に吸収合併したプリンスとの混血のような成り立ちだった。対して2代目からは、櫻井眞一郎氏が率いた旧プリンスの開発陣が手がける「スカイライン」と基本設計を共有するようになった。
車体はひとまわり大きくなり、「スカイライン2000GT」と同様に2リッター直列6気筒SOHCのL20エンジン搭載車も設定。ただしサスペンションは、ハードトップは初代と同じ4輪独立懸架を受け継いだものの、セダンのリアはリーフリジッドに格下げされた。
そしてスタイリング。“和製BMW”などとも呼ばれた初代は直線的でクリーンな姿だったが、2代目はコークボトルラインを採り入れアメリカンないでたちとなった。特にハードトップは「ダッジ・チャレンジャー」などのモパー(クライスラー)のマッスルカーを縮小したような雰囲気で、中古車になってから街道レーサー(チューニングカー)のベース車として絶大な人気を博すことになる。それはともかくとして、これ以降、ローレルはヨーロピアンとアメリカンの間を行ったり来たりすることになるのである。
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4ドアハードトップ登場
石油危機と排ガス対策という自動車業界を襲った危機をどうにか切り抜けた1977年、ローレルは3代目(C230)に進化する。基本的には先代からのキープコンセプトで、アメリカンな雰囲気のボディーは従来からの4ドアセダン、2ドアハードトップに加え、新たにピラーレスの4ドアハードトップが設定された。4ドアハードトップは1972年、ローレルの兄貴分であるセドリック/グロリア(230)に加えられたのが国産初。2ドアハードトップでは後れをとった日産が、4ドアでは先駆者となったのである。
これに対抗して、ライバルのトヨタ・クラウンも1974年に4ドアハードトップを出すが、「ピラードハードトップ」という名称のとおり、従来のハードトップの定義に反してBピラーが残されていた。実質的にはサッシュレスドアの4ドアセダンと変わらないが、側面衝突など安全性の観点では有利ということもあって、やがてこの形式が4ドアハードトップとして広まっていく。
行ったり来たり
1980年に登場した4代目ローレル(C31)は、「アウトバーンの旋風(かぜ)」というキャッチコピーのとおり、2代続いたアメリカンルックから欧州調に宗旨替え(先祖返り)。4ドアセダン、4ドアハードトップともに6ライトウィンドウを持ち、このクラスとしてはクリーンで空力に配慮したスタイリングとなる。また、需要の減った2ドアハードトップは廃止された。
その4代目のクリーンな欧州調が好評とは言い難かったため、1984年にフルモデルチェンジした5代目(C32)では、押し出しの強いスタイリングに戻ってしまった。「ビバリーヒルズの共感ローレル」というキャッチコピーを掲げて正面からアメリカンな雰囲気をアピールしたものの、角張って光り物が多いいでたちから仏壇調と揶揄(やゆ)する声もあった。ボディーは先代と同じく6ライトウィンドウを持つ4ドアセダンと4ドアハードトップである。
主力となる2リッター直6エンジンは、L20型に代えて新世代のRB20E型を兄弟車のスカイラインに先駆けて搭載したが、当初は自然吸気版しかなく、ターボ仕様はセドリック/グロリアからV6のVG20ET型をもってきた。モデルサイクルやスカイラインとの関係から、ローレルは往々にして“後回し”にされることがあった。そうした事情はともかく、欧州調とアメリカ調を行ったり来たりのスタイリングと同様、こうした直6とV6の混在のような事象(3代目Z31型「フェアレディZ」にもあったが)が、ローレルのキャラクターをあいまいにさせた感は否めない。
ちなみにこのころはライバルの「トヨタ・マークII」とモデルサイクルがほぼ一致していたが、先方(5代目X70)は“スーパーホワイトのハードトップ”がハイソカーブームの中心的存在として大ヒット。その背中は、はるかかなたに遠ざかってしまった。
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4ドアハードトップに一本化
バブル絶頂期の1989年に世代交代した6代目(C33)。ハイソカーブームに加えて、1985年登場の「トヨタ・カリーナED」に始まる背が低い4ドアハードトップが流行したこの時代は、後から考えればハードトップの全盛期でもあった。6代目ローレルも「時代の真ん中にいます」というキャッチコピーのとおり、時流に合わせてボディーをキャビンが小さい4ドアハードトップに一本化。サイドウィンドウが2代続いた6ライトから4ライトとなったこともあって、スッキリとスタイリッシュに変身した。なお、ピラーレスの4ドアハードトップはこれが最終世代となった。
ボディーカラーはスーパーホワイトの全盛期にもかかわらず、イメージカラーだったグリーンやベージュなどをフィーチャー。人工スエードのエクセーヌ(アルカンターラ)の国内初採用が話題となったインテリアもシックな印象で、総じて落ち着いた大人のクルマに仕上げられていた。ヨーロピアンでもアメリカンでもない、ようやくたどりついたジャパンオリジナルといった趣で、セールスも上々。ほぼ同時代のR32スカイライン、S13「シルビア」、P11「プリメーラ」などと並んで、日産が推進していた「901運動」(1990年代までに技術の世界一を目指す)から生まれた佳作といえる。
ピラードハードトップに
1993年に登場した7代目(C34)は、税制改変を受けてボディーを3ナンバー化し、側面衝突時の安全性を確保するため、ピラードハードトップとなった。同時に前後ウィンドウを起こすなどしてグリーンハウスを拡大。先代の室内空間、特に後席の狭さを指摘する声に対応した結果だが、キャビン部分の大きさが目立つ、いささかアンバランスなプロポーションとなってしまった。こうした流れは、シェイプアップしてスポーツセダンに回帰したR32の室内が狭いと評されたため、次のR33ではボディーを拡大すると、今度は肥大化したといわれた兄弟車のスカイラインと同じ。ユーザーの声を聞くのは当然だが、それに振り回されてしまうのが、当時の日産の問題だった。
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ハードトップの終焉とともに
1997年に登場した、8代目にして最後のローレル(C35)。4ドアピラードハードトップボディーは、実用性重視で不評を買った先代の反省から前後ウィンドウが寝かされてグリーンハウスが小さくなり、シャープな印象を取り戻した。ただし先代より低く見えるが、実際は20mm高められた全高をはじめ、スリーサイズは先代よりわずかに拡大している。
先代よりスタイリッシュにはなったものの、バブル崩壊以降続いている景気の低迷、主役がミニバンへと移行した市場の変化、さらに日産自身の経営危機が加わって販売は伸びず、2002年夏に生産終了。元祖「ハイオーナーセダン」は誕生以来34年の歴史にピリオドを打った。
ローレルは車種自体が消滅してしまったが、21世紀を迎えるのと前後して、国産メーカーのラインナップからハードトップが消えていった。パイオニアだったトヨタを見ると、クラウンは1999年に登場した11代目(S170)から、マークIIは2000年に出た9代目にして最終世代(X110)から4ドアセダンのみとなった(ワゴンを除く)。言い換えれば、ローレルはハードトップと運命を共にしたと見ることもできる。
例外はハードトップとは名乗っていないものの、サッシュレス4ドアを長らく使っていたスバルだが、それも2009年に生産終了した4代目「レガシィ」が最後となった。それ以降、日本車に4ドアハードトップ(サッシュレス4ドア)は存在していない。
そのいっぽう、ヨーロッパでは2004年デビューの「メルセデス・ベンツCLS」を皮切りとして、アウディ、BMW、フォルクスワーゲンといったドイツメーカー、あるいはマセラティやアストンマーティンなどからも、続々と4/5ドアのサッシュレスドアを持つ背の低いモデルが登場している。
かつては欧米のファッションに敏感だった日本のメーカーも、4ドアクーペなどと呼ばれるこの種のモデルについては、「昔、散々やったんだけどね……」とばかりに静観を決め込んでいるように見える。セダン需要が冷え込んで久しい国内市場はもとより、海外市場でも開発コストに見合うセールスは見込めないとそろばんをはじいているのだろうか。今後国産の“ハードトップ”が復活するか否かは、興味深いところではある。
世界初の栄誉
以上、ローレルの変遷をハードトップとからめて振り返ってみたが、ひとつ大事なことを言い忘れた。ローレルはその歴史において、後にあらゆるメーカーに導入されることになる機構/装備を世界初採用しているのだ。それが何かというと、電動格納式ドアミラーである。今では世界標準となっているこれを初めて装備したのは、3ページで紹介した1984年デビューの5代目C32型。「仏壇調と揶揄する声もあった」と記したモデルである。残念ながらその栄誉について語られる機会は少ないが、紛れもない事実なのである。
(文=沼田 亨/写真=沼田 亨、日産自動車、ゼネラルモーターズ、ダイムラー、トヨタ自動車、ダイハツ工業/編集=藤沢 勝)
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沼田 亨
1958年、東京生まれ。大学卒業後勤め人になるも10年ほどで辞め、食いっぱぐれていたときに知人の紹介で自動車専門誌に寄稿するようになり、以後ライターを名乗って業界の片隅に寄生。ただし新車関係の仕事はほとんどなく、もっぱら旧車イベントのリポートなどを担当。
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