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「技術の日産」が開花 日産の黄金期を生み出した「901運動」

2020.10.21 デイリーコラム 沼田 亨
「プロジェクト901CAR'sパレード2020」で、日産村山工場跡地の周辺道路を連なって走る「スカイライン」(R32)、「ローレル」(C33)、「セフィーロ」(A31)、そして「スカイラインGT-R」(BNR32)。
「プロジェクト901CAR'sパレード2020」で、日産村山工場跡地の周辺道路を連なって走る「スカイライン」(R32)、「ローレル」(C33)、「セフィーロ」(A31)、そして「スカイラインGT-R」(BNR32)。拡大

2020年10月4日、東京都武蔵村山市にある東京日産 新車のひろば 村山店で「プロジェクト901CAR'sパレード2020」と称するミーティングが開かれた。このイベントの参加車両を通じて日産の自動車づくりを考えてみた。

1967年「ブルーバード1300デラックス」(510)。前マクファーソンストラット、後ろセミトレーリングアームの4輪独立懸架にSOHCエンジンなど、量産小型車としては世界的に見ても進歩的かつ高級なメカニズムを採用していた。
1967年「ブルーバード1300デラックス」(510)。前マクファーソンストラット、後ろセミトレーリングアームの4輪独立懸架にSOHCエンジンなど、量産小型車としては世界的に見ても進歩的かつ高級なメカニズムを採用していた。拡大
1969年「スカイライン2000GT-R」(PGC10)。並走するプロトタイプスポーツ「R380A-III」用をベースに量産化された、2リッター直6 DOHC 24バルブという市販車としては例のない高度なスペックのエンジンを搭載していた。
1969年「スカイライン2000GT-R」(PGC10)。並走するプロトタイプスポーツ「R380A-III」用をベースに量産化された、2リッター直6 DOHC 24バルブという市販車としては例のない高度なスペックのエンジンを搭載していた。拡大
1989年「スカイラインGT-R」(BNR32)。4輪マルチリンク式サスペンションに電子制御4輪操舵の「スーパーHICAS」、2.6リッター直6 DOHC 24バルブ ツインターボエンジン、電子制御トルクスプリット4WDなどハイテク仕込みの最先端メカを詰め込んだ、901運動の集大成ともいえるスーパーマシン。
1989年「スカイラインGT-R」(BNR32)。4輪マルチリンク式サスペンションに電子制御4輪操舵の「スーパーHICAS」、2.6リッター直6 DOHC 24バルブ ツインターボエンジン、電子制御トルクスプリット4WDなどハイテク仕込みの最先端メカを詰め込んだ、901運動の集大成ともいえるスーパーマシン。拡大

日産の黄金時代

「技術の日産」。現在も「やっちゃえ日産。技術の日産が人生を面白くする」という形で使われている、日産の伝統的な企業スローガンである。あくまで個人的な意見だが、日産がそのスローガンにふさわしいメーカーだと感じた時期が2度ある。最初は3代目「ブルーバード」(510)、初代「ローレル」(C30)、「スカイライン2000GT-R」(PGC10)、初代「フェアレディZ」(S30)などが登場した、1967年から69年にかけてである。

もう1回はそれから約20年後。「ATTESA(アテーサ)」と呼ばれるフルタイム4WDシステムを搭載して1987年に登場した8代目「ブルーバード」(U12)を皮切りに、5代目「シルビア」(S13)、8代目「スカイライン」(R32)、4代目「フェアレディZ」(Z32)、「インフィニティQ45」(G50)、初代「プリメーラ」(P10)などが続々と登場した、1980年代後半から90年代初頭にかけての時期である。

この時期はバブル景気とも重なっており、豊かな経済を背景に他社からも「ユーノス・ロードスター」や初代「トヨタ・セルシオ」、初代「ホンダNSX」といった日本車史に語り継がれる傑作が数多く登場した。そのため後に「日本車のヴィンテージイヤー」とか「日本車のルネサンス期」などと呼ばれることになる。

自動車業界全体にそうした時代の空気があったのは確かだが、それにしても日産からはこの時期に多くの優れたモデルが輩出したように思える。それは単に個人的な印象ではなく、当時、日産にはその根拠となる動きがあったのだ。「901運動」とか「901活動」、あるいは「プロジェクト901」などと呼ばれる社内活動である。

日産 の中古車

マルチリンクの衝撃

あくまで社内活動であり、正式名称はないそうだが、ここでは901運動と呼ぶことにしよう。その901運動とは、「1990年代までに世界一の動的性能を実現する」ことを目標に掲げ、1980年代半ばから日産が始めた活動で、それから90年代までに開発される車種を対象に実施された。その活動がカバーするところは、シャシー、エンジン、ドライブトレイン、ボディー構造といった機構面からデザイン、品質まで車両全体にわたる。なかでもマルチリンク式サスペンションの導入をはじめとする新次元のシャシー設計がもたらした高度なハンドリングは、今も語り草となっている。

これには理由がある。マルチリンク式サスペンションは、1982年にデビューした「メルセデス・ベンツ190E」が量産車としては世界で初めて後輪に導入した。日産のシャシー設計部で、これを前後輪に採用することを目標に開発がスタートしたのが、そもそも901運動の始まりなのだそうだ。その計画が社内的に認められたのが1980年代半ばで、計画書には「今日の苦境を打破するためには商品力の高いモデルが必須で、それには新たなサスペンションを備えた世界トップレベルの高度なシャシーが必要」といった趣旨のことが記されていたという。つまり、まずはシャシーありきで、それに注力した結果、力作が生まれたのだろう。

具体的な技術としては、R32スカイラインやZ32フェアレディZなどに採用された4輪マルチリンク式サスペンション、中級以上の多くに車種の駆動輪に採用されたマルチリンク式サスペンション、そして上級車種の多くに設定された電子制御4輪操舵機構の「HICAS(ハイキャス)」などであろう。

これらを採用したモデルの操縦安定性は、専門家筋から高い評価を受けた。例えば『CAR GRAPHIC』誌では、「スカイラインGTS」を「世界的に見ても量産車のベストハンドリングカー」、「プリメーラ2.0 Ts」を「高度なハンドリングはFFをまったく感じさせず、このクラスの実用車の国際水準を抜いた」と、それぞれのテスト記事で評していた。

1982年「メルセデス・ベンツ190E」(W201)。日本の5ナンバー規格に収まるメルセデス初となるDセグメント(当時)のセダンで、後輪に量産車としては世界初となるマルチリンク式サスペンションを採用していた。
1982年「メルセデス・ベンツ190E」(W201)。日本の5ナンバー規格に収まるメルセデス初となるDセグメント(当時)のセダンで、後輪に量産車としては世界初となるマルチリンク式サスペンションを採用していた。拡大
「スカイライン」(R32)の前輪に採用されたマルチリンク式サスペンション。メーカーによる新型車解説書には「アッパーリンクとロアリンクで構成される従来のダブルウイッシュボーン式サスペンションに第3のリンク(サードリンク)を加えてマルチリンク化することにより、路面の不整に対して進路が乱れない直進性と限界コーナリング時の安定性を高次元で両立させた」と記されていた。
「スカイライン」(R32)の前輪に採用されたマルチリンク式サスペンション。メーカーによる新型車解説書には「アッパーリンクとロアリンクで構成される従来のダブルウイッシュボーン式サスペンションに第3のリンク(サードリンク)を加えてマルチリンク化することにより、路面の不整に対して進路が乱れない直進性と限界コーナリング時の安定性を高次元で両立させた」と記されていた。拡大
1989年5月にメインマーケットである北米で先行発売され、日本では7月にデビューした「フェアレディZ 300ZX」(Z32)。4輪マルチリンク式サスペンションに「スーパーHICAS」を採用。パワーユニットは3リッターV6 DOHC 24バルブの自然吸気とツインターボ版が用意され、後者はこれ以降長らく日本車の自主規制値となる最高出力280PSを発生した。
1989年5月にメインマーケットである北米で先行発売され、日本では7月にデビューした「フェアレディZ 300ZX」(Z32)。4輪マルチリンク式サスペンションに「スーパーHICAS」を採用。パワーユニットは3リッターV6 DOHC 24バルブの自然吸気とツインターボ版が用意され、後者はこれ以降長らく日本車の自主規制値となる最高出力280PSを発生した。拡大
1990年「プリメーラ2.0 Te」。英国工場でも生産された欧州戦略車で、FFながらフロントにマルチリンク式サスペンションを採用。初期型の上級グレードは、自動車メディアに「欧州基準、ドイツ車以上」と評されるほど締め上げられたセッティングが特徴だった。
1990年「プリメーラ2.0 Te」。英国工場でも生産された欧州戦略車で、FFながらフロントにマルチリンク式サスペンションを採用。初期型の上級グレードは、自動車メディアに「欧州基準、ドイツ車以上」と評されるほど締め上げられたセッティングが特徴だった。拡大

リアルタイム世代以外にも刺さる

901運動から生まれた代表的なモデルをそろえたミーティングが、このたびのプロジェクト901CAR'sパレード2020である。これを企画したのは、去る6月に同会場で「日産ローレル ハードトップ 生誕50周年」を実施したローレルC30クラブの野村充央氏。R32スカイラインの「セダンGTE」のオーナーでもある彼は、901運動から送り出されたモデルに以前から愛着と興味を抱いており、機会をうかがっていたのだという。

当日集まったのは、以下の8台。冒頭の年月はモデルの発売時であり、参加した個体の年式とは異なる。

  • 1988年5月 シルビア(S13)
  • 1988年9月 セフィーロ(A31)
  • 1989年1月 ローレル(C33)
  • 1989年4月 180SX(RS13)
  • 1989年5月 スカイライン(R32)
  • 1989年7月 フェアレディZ(Z32)
  • 1989年8月 スカイラインGT-R(BNR32)
  • 1990年2月 プリメーラ(P10)

もちろん、これらのほかにも901運動の成果が表れたモデルはある。だがこれら8台に限定しても、わずか2年弱の間に立て続けにリリースされていたことに、いまさらながら驚く。新車がめったに出ない近年の日産の状況からすれば、まるで別世界の話のようだ。ちなみに8台の共通点は、いずれも駆動輪(R32とZ32は4輪)にマルチリンク式サスペンションを採用していることである。

意外だったのは、R32を新車で購入した(現在所有しているものとは別)リアルタイム世代である呼びかけ人の野村氏を除く参加者の多くが20~30代で、しかも180SXとZ32のオーナーは女性だったこと。901運動など知る前から純粋に自分の乗るモデル、ひいてはこの時代の日産車に引かれ、ほれ込んで乗っているというのだ。

「プロジェクト901CAR'sパレード2020」の参加車両。先頭から「フェアレディZ」(Z32)、「シルビア」(S13)、「180SX」(RS13)、「プリメーラ」(P10)。
「プロジェクト901CAR'sパレード2020」の参加車両。先頭から「フェアレディZ」(Z32)、「シルビア」(S13)、「180SX」(RS13)、「プリメーラ」(P10)。拡大
イメージカラーのライムグリーンをまとった1989年「シルビアK's Sパッケージ」。オーナーは20代だが、小学生の頃からS13が好きで、現在はこれを含めて4台所有しているそうだ。ツインカムターボ搭載のトップグレードながら、標準ではホイールがキャップ付きのスチールだったところに時代を感じる。
イメージカラーのライムグリーンをまとった1989年「シルビアK's Sパッケージ」。オーナーは20代だが、小学生の頃からS13が好きで、現在はこれを含めて4台所有しているそうだ。ツインカムターボ搭載のトップグレードながら、標準ではホイールがキャップ付きのスチールだったところに時代を感じる。拡大
そのシルビアの室内。最初のオーナーが年配者だったのか、この種のモデルには珍しく、シートは純正オプションのレースカバー付きである。
そのシルビアの室内。最初のオーナーが年配者だったのか、この種のモデルには珍しく、シートは純正オプションのレースカバー付きである。拡大
1993年「プリメーラ2.0 Tm Lセレクション」。オーナーの好みでヘッドライトとテールライトを英国仕様に替えるなどマニアックなモディファイが施されている。アルミホイールはボルボ用とか。
1993年「プリメーラ2.0 Tm Lセレクション」。オーナーの好みでヘッドライトとテールライトを英国仕様に替えるなどマニアックなモディファイが施されている。アルミホイールはボルボ用とか。拡大

夢の時代をもう一度

これらの8台が新車で販売されていた当時、市場における人気と評価は、ともに上々だったといえる。S13シルビアは3代目「ホンダ・プレリュード」とデートカー市場の人気を二分したいっぽうで、走り屋からも支持された。既存の高性能車の常識を覆したハイテクウエポンのGT-Rを頂点とするR32スカイラインは、スポーツセダンへの回帰に成功。Z32フェアレディZは量産スポーツカーとしては世界トップレベルに達し、井上陽水をイメージキャラクターに起用したデビュー時のCMが話題を呼んだA31セフィーロは、スポーティーでパーソナルな新たなセダン像を提示した。C33ローレルは、オヤジグルマからスタイリッシュながら落ち着いた大人のセダンに脱皮。P10プリメーラは日本製欧州車ともいうべき出来栄えだった。

しかし、日産の技術者たちが901運動に込めた志は、長くは続かなかった。クルマとしての評価は高かったものの、セールスとなるとトヨタの壁は厚かった。さらにはバブルが崩壊、景気悪化によって開発コストは削られていく。またある世代でシェイプアップして走りを重視すると、居住性や快適性に不満を感じた声に押されて、次の世代では大型化・肥大化するという、日産のお家芸ともいえる悪癖もあって、製品は徐々に「ぬるく」なっていった。そして気付いたときには、出口の見えないトンネルにはまり込んでしまったのだった。

日産がルノーと資本提携を結び、カルロス・ゴーンを最高執行責任者(COO)に迎えてリバイバルプランを発表したのは1999年3月だから、901運動によるニューモデルラッシュからちょうど10年後。十年一昔というが、これでもかとばかりに続々と自信作を送り出していた当時は、まさか10年後にこんな事態がやってこようとは、夢にも思わなかったことだろう。

そして、それから二十年余。日産のサイトを開くと、キムタクの姿とともに「やっちゃえNISSAN ―― 上等じゃねえか、逆境なんて。待っても来ない夜明けなら、こっちから迎えに行こうぜ。さあ行くぞ、もう一度。」という、いささか乱暴だが威勢のいいメッセージが飛び込んでくる。その意気込みがホンモノかどうかは、今後出てくる製品で明らかになっていくわけだが、果たして901運動のときのような、いい意味での驚きを与えてくれるだろうか?

(文=沼田 亨/写真=日産自動車、ダイムラー、沼田 亨/編集=藤沢 勝)

会場に並んだ車両。手前から「スカイライン」(R32)、「ローレル」(C33)、「セフィーロ」(A31)、そして飛び入りを加えた2台の「スカイラインGT-R」(BNR32)。
会場に並んだ車両。手前から「スカイライン」(R32)、「ローレル」(C33)、「セフィーロ」(A31)、そして飛び入りを加えた2台の「スカイラインGT-R」(BNR32)。拡大
1992年「セフィーロ2000SE」。オーナーのおじいさんが新車で購入したという後期型の下位グレード。走行16万kmとのことだが、内外装ともフルオリジナルで程度もすばらしかった。
1992年「セフィーロ2000SE」。オーナーのおじいさんが新車で購入したという後期型の下位グレード。走行16万kmとのことだが、内外装ともフルオリジナルで程度もすばらしかった。拡大
イベントの発起人である野村氏が縁あって数年前に手に入れたという1992年「スカイライン2000GTE」のRB20Eエンジン。シンプルな自然吸気SOHCだが、彼自身がかつて新車で購入して乗っていた「2000GTS」のRB20DE(DOHC)に比べ、鼻先が軽い分ハンドリングはいっそう軽快とのこと。
イベントの発起人である野村氏が縁あって数年前に手に入れたという1992年「スカイライン2000GTE」のRB20Eエンジン。シンプルな自然吸気SOHCだが、彼自身がかつて新車で購入して乗っていた「2000GTS」のRB20DE(DOHC)に比べ、鼻先が軽い分ハンドリングはいっそう軽快とのこと。拡大
2021年に発売予定の「アリア」。日産初となるクロスオーバーEVは、「技術の日産」復活ののろしとなるだろうか。
2021年に発売予定の「アリア」。日産初となるクロスオーバーEVは、「技術の日産」復活ののろしとなるだろうか。拡大
沼田 亨

沼田 亨

1958年、東京生まれ。大学卒業後勤め人になるも10年ほどで辞め、食いっぱぐれていたときに知人の紹介で自動車専門誌に寄稿するようになり、以後ライターを名乗って業界の片隅に寄生。ただし新車関係の仕事はほとんどなく、もっぱら旧車イベントのリポートなどを担当。

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