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スポーツカー「コルベット」だけじゃない! 自動車史に残るGMの技術的チャレンジとは?

2021.08.02 デイリーコラム 沼田 亨

アメ車は保守的と思うなかれ

ようやく日本上陸した新型「シボレー・コルベット」。1953年の誕生以来、単一銘柄としては最も長い歴史を持つスポーツカーで、ミドシップに転換したC8こと8代目となる新型は、各方面で非常に高い評価を受けている。webCGの試乗記では、その出来栄えを「隕石(いんせき)級の衝撃作」というタイトルで表現したが、あれを読んで驚いた読者もおられるのではないだろうか。そして、その驚きの背景には、「あのGM(ゼネラルモーターズ)が? アメリカ車が……?」という先入観がないだろうか。

一般的に、日本では保守的と考えられているであろうアメリカンメーカー、そしてその代表格であるGM。だが、かつては世界一の自動車メーカーとして斯界(しかい)に君臨していただけに、次々とスタイリングのトレンドを生み出し、技術的な新機軸を打ち出していた。とりわけアメリカに世界中の富と権力が集中していた1950年代から1960年代にかけての勢いはすごかった。

例えばアメリカ初の量産スポーツカーとして誕生したコルベットは、C1こと初代からFRP製ボディーを採用していた。それ以前からマイクロカーなどの少量生産車にFRPが使われた例はあったものの、量産市販車としては世界初。GMによれば、「重量がスチールボディーの半分近い軽さで、衝撃にも強く断熱性があり、腐食せず音振に対しても有利」などとうたわれたFRPボディー。当初は下請け工場から納入された46ピースもの成形部品をシボレー工場で組み立てたというが、誕生から70年近くを経た今なおコルベットの伝統として息づいているのだ。

C8こと8代目にしてミドシップに転換した新型「シボレー・コルベット」。これは本国仕様だが、同車史上初となる右ハンドル仕様も用意される。
C8こと8代目にしてミドシップに転換した新型「シボレー・コルベット」。これは本国仕様だが、同車史上初となる右ハンドル仕様も用意される。拡大
1953年「シボレー・コルベット」。C1こと初代のボディーはロードスターのみだった。1954年までのパワートレインは最高出力150PS(SAEグロス)を発生する3.9リッター直6 OHVと2段ATの組み合わせしかなく、性能的には物足りなかった。
1953年「シボレー・コルベット」。C1こと初代のボディーはロードスターのみだった。1954年までのパワートレインは最高出力150PS(SAEグロス)を発生する3.9リッター直6 OHVと2段ATの組み合わせしかなく、性能的には物足りなかった。拡大
「C1コルベット」の生産ライン風景。右端にFRP製のフロアユニットが積み上げられている。
「C1コルベット」の生産ライン風景。右端にFRP製のフロアユニットが積み上げられている。拡大
同じく生産ラインより。46ピースの成形部品を組み上げ、塗装を施されたFRP製ボディー。
同じく生産ラインより。46ピースの成形部品を組み上げ、塗装を施されたFRP製ボディー。拡大
シボレー コルベット の中古車

一石を投じたGMの挑戦

1960年、それまでフルサイズしか持たなかったGM、フォード、クライスラーの“ビッグ3”は、そろってコンパクトカーをリリースした。ビッグ3とは大差があるものの全米第4位のメーカーで、小型車では先行していたアメリカンモーターズ(AMC)の「ランブラー」や、「フォルクスワーゲン」をはじめとする欧州製の輸入小型車が伸長している市場を無視できなくなったからだ。

それぞれの持ち駒は、フォードが「T型」以来の伝統で見た目も中身も堅実な「ファルコン」、クライスラーが中身は平凡だが奇抜なルックスの「バリアント」だったのに対し、GMは空冷リアエンジンという、アメリカ車としては前例のないレイアウトを持つ「シボレー・コルベア」を出してきたのである。

重心の低いシルエットとフラットフロアによる広い室内空間を実現し、前輪荷重が小さいためパワーステアリングが不要、熱源となるエンジンが前方にないためエアコンの必要性が減るといった理由から採用されたリアエンジンだが、そこにはフォルクスワーゲンなど欧州車の影響がうかがえる。ただしコルベアのエンジンは、自動車用としては世界初採用となる空冷水平対向6気筒、いわゆるフラット6だった。

そろい踏みしたビッグ3のコンパクトカーだが、初年度の生産台数はファルコンの約44万台弱に対し、バリアントは19万台強で、コルベアは約25万台。単純に数字だけ見れば、オーソドックスなファルコンの圧勝である。だがファルコンが多分に自社のフルサイズの顧客を奪ったのに対して、コルベアは潜在客を含む欧州車のユーザーなど既存の米国車に飽き足らない層を開拓し、シボレーのセールスに上乗せしたといわれている。

後に弁護士・消費者運動家のラルフ・ネーダーの著書『どんなスピードでも自動車は危険だ』で、スイングアクスルの独立式リアサスペンションがもたらす操縦性が危険と糾弾されたことをきっかけにフェードアウトしてしまうコルベアだが、その技術的冒険がアメリカ車の世界に一石を投じたことは間違いない。

1960年「シボレー・コルベア」。ウエストラインのクロームの帯がボディー全周を囲むデザインは一世を風靡(ふうび)し、世界中のメーカーに影響を与えた。サイズは全長×全幅×全高=4572×1699×1303mm、ホイールベース=2743mmだった。
1960年「シボレー・コルベア」。ウエストラインのクロームの帯がボディー全周を囲むデザインは一世を風靡(ふうび)し、世界中のメーカーに影響を与えた。サイズは全長×全幅×全高=4572×1699×1303mm、ホイールベース=2743mmだった。拡大
「コルベア」のカタログより。GMの乗用車では初となるモノコックボディーと4輪独立懸架を採用。ボディーサイズはコンパクトながら、フラットフロアによる広い室内が特徴だった。アルミ合金製ブロックを持つ空冷水平対向6気筒OHVエンジンは2287ccから最高出力80PS/4400rpmを発生、変速機は3段MTまたは2段ATだった。
「コルベア」のカタログより。GMの乗用車では初となるモノコックボディーと4輪独立懸架を採用。ボディーサイズはコンパクトながら、フラットフロアによる広い室内が特徴だった。アルミ合金製ブロックを持つ空冷水平対向6気筒OHVエンジンは2287ccから最高出力80PS/4400rpmを発生、変速機は3段MTまたは2段ATだった。拡大
これは1962年モデルだが、「コルベア」には当初から「クラブクーペ」と名乗る2ドアクーペも用意されていた。
これは1962年モデルだが、「コルベア」には当初から「クラブクーペ」と名乗る2ドアクーペも用意されていた。拡大
1961年に追加設定された「レイクウッド ステーションワゴン」。リアエンジンのため、カーゴルームは浅い。
1961年に追加設定された「レイクウッド ステーションワゴン」。リアエンジンのため、カーゴルームは浅い。拡大
1961年には「グリーンブライア スポーツワゴン」と名乗る、9人乗りのミニバン的な派生モデルも追加された。通称タイプ2こと「フォルクスワーゲン・トランスポーター」と似た成り立ちで、ピックアップも存在した。
1961年には「グリーンブライア スポーツワゴン」と名乗る、9人乗りのミニバン的な派生モデルも追加された。通称タイプ2こと「フォルクスワーゲン・トランスポーター」と似た成り立ちで、ピックアップも存在した。拡大

前例なき一台「ポンティアック・テンペスト」

当時GMは下位からシボレー、ポンティアック、オールズモビル、ビュイック、キャデラックの5部門(ブランド)を抱えていたが、シボレー・コルベアをリリースした翌1961年、今度はポンティアックから話題作を送り出した。部門初のコンパクトカーとなる「テンペスト」。コルベアよりやや大きく、後のインターミディエート(中間サイズ)に近い、いわば上級コンパクトカーだった。

当初GMでは、ポンティアックにはバッジエンジニアリングによってコルベアをそれ風に装ったモデルを売らせるつもりだった。これに反旗を翻したのが、ポンティアック部門のゼネラルマネージャーとチーフエンジニアだったジョン・Z・デロリアン。後に独立して「デロリアンDMC-12」を世に問うた、あのデロリアンである。

既存の米車のダルなハンドリングに飽き飽きしていた彼は、欧州車的なスポーティーな乗り味のモデルをつくりたいと考えていた。ただし開発予算は限られている。そこで思いついたのが、リアエンジンであるコルベアの後輪独立懸架、トランスミッションやデフなどを流用しつつ、それらドライブトレインとフロントに積んだエンジンを、トルクチューブに収めたドライブシャフトで結ぶトランスアクスル方式の採用。アメリカ製市販車としては初の試みであり、欧州でも大衆車には見当たらなかった。

エンジンもユニークだった。大衆車用の4リッター未満のエンジンといえば、直6が一般的だったのに対し、テンペストは戦後の乗用車用ガソリンエンジンとしては最大級となる、3.2リッターの直4エンジンを導入したのだ。実はこれ、既存の6.4リッターV8の片バンクをベースにしたもので、部品も製造ラインもV8のものを流用できるというコストメリットがあった。トランスアクスルにコストがかかるぶん、ほかの部分を低く抑える必要があったからである。

トランスアクスル方式の導入により実現した、50:50の理想的な前後重量配分がもたらす優れた操縦性と乗り心地、フロアトンネルを低く抑えたことによる広い室内などをうたったテンペスト。実際にそれらの特徴は評価され、初年度は10万台以上生産されるというまずまずのスタートを切った。だがヒットには至らず、1964年には早くもフルモデルチェンジを迎える。インターミディエートにサイズアップされた2代目は、トランスアクスルも、後輪独立懸架も、そして直4エンジンも捨て去っていた。

1961年「ポンティアック・テンペスト」。6ライトのサイドウィンドウを持つボディーのサイズは全長×全幅×全高=4810×1835×1360mm、ホイールベース=2845mmだった。
1961年「ポンティアック・テンペスト」。6ライトのサイドウィンドウを持つボディーのサイズは全長×全幅×全高=4810×1835×1360mm、ホイールベース=2845mmだった。拡大
「テンペスト」のトランスアクスル方式を示すイラスト。フロントに積んだ3.2リッター直4エンジンと、「コルベア」から拝借した変速機/デファレンシャルを、角形断面の鋼板プレス製トルクチューブに収めた直径17mmのスチール製ドライブシャフトで連結。スイングアクスルの後輪独立懸架も基本的にはコルベアから流用している。
「テンペスト」のトランスアクスル方式を示すイラスト。フロントに積んだ3.2リッター直4エンジンと、「コルベア」から拝借した変速機/デファレンシャルを、角形断面の鋼板プレス製トルクチューブに収めた直径17mmのスチール製ドライブシャフトで連結。スイングアクスルの後輪独立懸架も基本的にはコルベアから流用している。拡大
ポンティアック75周年記念の小冊子より、「テンペスト」。細いドライブシャフトを収めたトルクチューブが下方に向かって弧を描いていることから“ロープドライブ”と呼ばれた。
ポンティアック75周年記念の小冊子より、「テンペスト」。細いドライブシャフトを収めたトルクチューブが下方に向かって弧を描いていることから“ロープドライブ”と呼ばれた。拡大
「テンペスト」にはセダンのほか、このステーションワゴンと2ドアハードトップが当初から用意されていた。翌1962年には2ドアコンバーチブルが追加された。
「テンペスト」にはセダンのほか、このステーションワゴンと2ドアハードトップが当初から用意されていた。翌1962年には2ドアコンバーチブルが追加された。拡大
1964年にフルモデルチェンジされ、サイズアップして平凡な成り立ちとなった2代目「テンペスト」。2ドアクーペのフロントグリルに「GTO」のエンブレムがあることに注目。マッスルカーとして名高い「ポンティアックGTO」だが、当初GTOはテンペストのスポーティーグレードである「テンペスト ルマン」のオプションパッケージだった。
1964年にフルモデルチェンジされ、サイズアップして平凡な成り立ちとなった2代目「テンペスト」。2ドアクーペのフロントグリルに「GTO」のエンブレムがあることに注目。マッスルカーとして名高い「ポンティアックGTO」だが、当初GTOはテンペストのスポーティーグレードである「テンペスト ルマン」のオプションパッケージだった。拡大

驚異の成果を残したエンジン

1961年には、キャデラックに次ぐ高級ブランドであるビュイックからもコンパクトカーの「スペシャル」が登場した。写真を見ればおわかりと思うが、ボディーシェルは前出のポンティアック・テンペストと共通。加えてポンティアックとビュイックの中間に位置するオールズモビルからも、やはりボディーシェルを共有する「F-85」がデビューしており、キャデラックを除くGM4部門にコンパクトカーがそろったのだった。

高級ブランドだけあって、ビュイックは3.5リッター(215立方インチ)というコンパクトカーにふさわしい排気量の、新開発のV8エンジンを用意した。ショートストローク型のOHVで、当時としては高級な総アルミ合金製。ほぼ同等の排気量の鋳鉄製直6エンジンの重量が200kg近かったのに対し、こちらは約3割も軽い144kgしかなかったのである。性能は標準の2バレルキャブレター仕様で最高出力155HP/4600rpm、最大トルク29.0kgf・m/2400rpm(いずれもSAEグロス)で、高性能版も数種類用意された。

前述したポンティアック・テンペストやオールズモビルF-85にもオプション設定されたこのエンジンは、ビュイック用だけでも3年間に40万基近くがつくられた。だがコストが高いこと、当時の不凍液とアルミの相性によるラジエーターの目詰まりなどの問題もあって1963年には生産終了となってしまう。

しかし、このエンジンには第2幕が用意されていた。1964年に一部の生産設備とともに製造権がイギリスのローバー(後にBL)に売却され、そこで「ローバー3.5リッター」(P5)を皮切りに「レンジローバー」などさまざまなモデルに搭載されたのだ。その後も排気量を3.9リッター、4.2リッター、4.6リッターと徐々に拡大、改良を加えながら最終的に2004年まで使われたのだから、誕生から40年以上も生き延びたわけである。またTVRの「グリフィス」や「キミーラ」用としては、5リッターまで拡大された。

付け加えるなら、オーストラリアのエンジンビルダーである「レプコ」は、このエンジンをベースにOHVからSOHC化するなどした3リッターのレーシングユニットを開発。これを積んだ「ブラバム・レプコ」を駆ったサー・ジャック・ブラバムは1966年、デニス・ハルムは翌1967年と2年連続でF1タイトルを獲得している。このことからも、ベースとなったエンジンの素性の良さが知れよう。

1961年「ビュイック・スペシャル」。「ポンティアック・テンペスト」「オールズモビルF-85」とボディーシェルを共有し、全長×全幅×全高=4785×1815×1345mm、ホイールベース=2845mmというサイズだった。
1961年「ビュイック・スペシャル」。「ポンティアック・テンペスト」「オールズモビルF-85」とボディーシェルを共有し、全長×全幅×全高=4785×1815×1345mm、ホイールベース=2845mmというサイズだった。拡大
「ビュイック・スペシャル」のワゴン。このほか2ドアセダン、2ドアクーペ、2ドアハードトップ、2ドアコンバーチブルなど、ボディーバリエーションは増殖していった。
「ビュイック・スペシャル」のワゴン。このほか2ドアセダン、2ドアクーペ、2ドアハードトップ、2ドアコンバーチブルなど、ボディーバリエーションは増殖していった。拡大
「スペシャル」の上級版である1962年「ビュイック・スカイラーク」の2ドアハードトップ。この年からスペシャル/スカイラークには、アメリカ製乗用車用としては初となるV6エンジン(3.2リッター)も用意された。
「スペシャル」の上級版である1962年「ビュイック・スカイラーク」の2ドアハードトップ。この年からスペシャル/スカイラークには、アメリカ製乗用車用としては初となるV6エンジン(3.2リッター)も用意された。拡大
ビュイックが開発した総アルミ合金製の3.5リッターV8 OHVエンジン。これは英ローバーに売却されて以降のもので、英国製らしくキャブレターはSUツインを備え、最高出力160.5PS、最大トルク28.98kgf・m(いずれもDIN)を発生した。
ビュイックが開発した総アルミ合金製の3.5リッターV8 OHVエンジン。これは英ローバーに売却されて以降のもので、英国製らしくキャブレターはSUツインを備え、最高出力160.5PS、最大トルク28.98kgf・m(いずれもDIN)を発生した。拡大
ビュイック由来の総アルミ合金製3.5リッターV8エンジンを積んだ1973年「MGB GT V8」。MGB本来の1.8リッター直4の2倍近い排気量を持つが、重量は逆に18kg軽く、性能は飛躍的に向上。最高速度199km/h、0-400m加速16.45秒をうたった。
ビュイック由来の総アルミ合金製3.5リッターV8エンジンを積んだ1973年「MGB GT V8」。MGB本来の1.8リッター直4の2倍近い排気量を持つが、重量は逆に18kg軽く、性能は飛躍的に向上。最高速度199km/h、0-400m加速16.45秒をうたった。拡大

市販ターボ車でもパイオニア

翌1962年、今度はオールズモビルから話題作が登場する。前年にデビューした上級コンパクトカーのF-85に追加された「F-85ジェットファイア」。高性能版であろうことが一目瞭然の、いかにもアメリカ的なネーミングだが、この名称は決してこけおどしではなく根拠があった。航空エンジンで発達した技術であるターボチャージャーを導入した、世界初の、ガソリンターボエンジン搭載市販車だったのである。

前ページで紹介した、ビュイック開発の総アルミ合金製3.5リッターV8にギャレット(現ハネウェル)製のターボチャージャーを装着した、その名も“ターボロケット”エンジン。混合気にメチルアルコールの水溶液を噴射し、気化熱で温度を奪って充塡(じゅうてん)効率を高めると同時に燃焼室の温度を下げて異常燃焼を防ぐという、後のレース用ターボエンジンのウオーターインジェクションに似た“フルードインジェクション”と呼ばれる機構を備えており、最高出力215HP、最大トルク41.5kgf・m(いずれもSAEグロス)を発生。自然吸気版の2バレルキャブ仕様が155HP、29kgf・mだったから、それぞれ4割前後増強されていた。

性能はというと、自動車専門誌である『CAR & DRIVER』のテストでは、4段MT仕様が0-60mph(96km/h)加速8.5秒、0-1/4マイル(400m)加速16.8秒、最高速度107mph(172km/h)という、当時としては立派なデータを記録。足まわりは柔らかすぎ、ステアリングはスローでブレーキも頼りないものの、「中速域のトルク増強が著しく、コンパクトカーにスポーツカーの性能を加えた、エレガントで快適なハイパフォーマンスカー」と評された。

フルードインジェクションへのフルード補給の手間や、当時のオイルの品質ではタービンの潤滑が不十分で、時にベアリングが固着してしまうといったトラブルもあって、生産台数は2年間で9607台にとどまった。だが、このF-85ジェットファイアのデビューから2カ月後、GMはもう1台のターボ車を送り出した。それが、2章目で紹介したシボレー・コルベアのターボ版である「モンツァ スパイダー」。ターボ装着により2.4リッター(1961年に2.3リッターから拡大された)のフラット6は、自然吸気版より5割以上も強力な最高出力150PS、最大トルク29kgf・mを発生。こちらは足まわりも固められ、内外装もスポーティーに装っており、1964年までの3年間に約4万台がつくられている。1965年にフルモデルチェンジした2代目コルベアにも、スポーティーグレードである「コルサ」のオプションとしてターボユニットは用意された。

世間には、世界初の市販ターボ車は1973年に登場した「BMW 2002ターボ」とする説があるようだが、実際にはGMがそれより10年以上も前にターボ車を発売している。生産台数も2002の1602台に対してF-85/コルベアは1962年から1964年までの3年間で約5万台とケタ違いに多かったのである。

1962年「オールズモビルF-85ジェットファイア」。正真正銘の世界初のガソリンターボエンジン搭載市販車である。
1962年「オールズモビルF-85ジェットファイア」。正真正銘の世界初のガソリンターボエンジン搭載市販車である。拡大
「オールズモビルF-85ジェットファイア」のカタログ。「フードの下に特別な何かが!」と描かれた表紙を、まさにボンネットを開けるように上方にめくると……。
「オールズモビルF-85ジェットファイア」のカタログ。「フードの下に特別な何かが!」と描かれた表紙を、まさにボンネットを開けるように上方にめくると……。拡大
ターボの説明図が現れる。「今日の路上に、似たものはない!」。たしかにそのとおりである。キャブレターが気化した混合気を、右下のタンクに満たされた水とメチルアルコールを50:50で混合した「ターボロケットフルード」で冷却する。
ターボの説明図が現れる。「今日の路上に、似たものはない!」。たしかにそのとおりである。キャブレターが気化した混合気を、右下のタンクに満たされた水とメチルアルコールを50:50で混合した「ターボロケットフルード」で冷却する。拡大
1962年「シボレー・コルベア モンツァ スパイダー コンバーチブル」。「モンツァ」は自然吸気の高性能版に与えられた名称で、「スパイダー」(SPYDER)はオープンではなくターボ仕様を意味する。よってこのほかに「スパイダー クーペ」も存在した。
1962年「シボレー・コルベア モンツァ スパイダー コンバーチブル」。「モンツァ」は自然吸気の高性能版に与えられた名称で、「スパイダー」(SPYDER)はオープンではなくターボ仕様を意味する。よってこのほかに「スパイダー クーペ」も存在した。拡大
横長のスピードメーターと燃料計だけという他グレードに対して、「モンツァ スパイダー」には円形の速度計、エンジン回転計、インマニの負圧計、シリンダーヘッド温度計、燃料計からなる専用のインパネが与えられた。
横長のスピードメーターと燃料計だけという他グレードに対して、「モンツァ スパイダー」には円形の速度計、エンジン回転計、インマニの負圧計、シリンダーヘッド温度計、燃料計からなる専用のインパネが与えられた。拡大

7年かけてのFF開発

そしてF-85ジェットファイア誕生の翌1963年には、シボレー・コルベットがフルモデルチェンジ。「スティングレイ」のサブネームを持つ2代目(C2)に進化する。ロードスターに加えて新たにクーペも設定されたボディーは、アメリカ車としては1936年に登場した「コード810/812」以来となるリトラクタブルライトを採用。サスペンションはリアに横置きリーフスプリングを使った4輪独立式に進化したが、この形式は先代(C7)まで半世紀以上にわたって受け継がれ、コルベットの伝統のひとつとなる。

1966年に新規車種として登場した「オールズモビル・トロネード」はフルサイズの高級スペシャルティーカーだったが、アメリカ車としてはこれまた「コード810/812」以来となる前輪駆動(FF)を採用していた。となれば、コードが相当に進んだモデルだったことがわかるが、それはともかく、GMはFFの開発に7年をかけて耐久性と信頼性を磨いたという。

全長5.3m超、全幅約2mのボディーに7リッターV8エンジンを積んだスペシャルティーカーにFFを採用する必然性はなかったが、技術力のアピールと将来的な選択肢としてのFF化に向けた実験車的な意味合いが大きかった。3段AT(MT仕様は設定なし)を介してのパフォーマンスは最高速度200km/hを超えたといわれるトロネードは、初年度は4万台以上が生産され、欧州カー・オブ・ザ・イヤーでも3位にランクされた。そして翌1967年には、GMの最高級パーソナルカーである「キャデラック・エルドラド」が、トロナードと基本設計を共有するFFに転換。大排気量、大トルクのFF車のノウハウを積み上げていった。

というわけで、1950年代から1960年代にかけてのGMの技術的チャレンジの足跡を紹介したが、1960年代後半以降はこうした流れは急速に滞ってしまう。安全および公害対策が、研究開発の最優先事項に据えられたからである。

(文=沼田 亨/編集=関 顕也)

1963年「シボレー・コルベット スティングレイ」。「スティングレイ」のサブネームが付けられたC2こと2代目「コルベット」。「ロードスター」に加えて「クーペ」も登場した。
1963年「シボレー・コルベット スティングレイ」。「スティングレイ」のサブネームが付けられたC2こと2代目「コルベット」。「ロードスター」に加えて「クーペ」も登場した。拡大
スタイリッシュなデザインでも注目された1966年「オールズモビル・トロネード」。ちなみにトロネードとは野茂英雄の「トルネード投法」と同じく「竜巻」を意味する“tornado”だが、車名の場合は昔から「トロネード」または「トロナード」と表記されてきた。
スタイリッシュなデザインでも注目された1966年「オールズモビル・トロネード」。ちなみにトロネードとは野茂英雄の「トルネード投法」と同じく「竜巻」を意味する“tornado”だが、車名の場合は昔から「トロネード」または「トロナード」と表記されてきた。拡大
「トロネード」のFFパワートレイン。V8エンジンの後方にトルクコンバーターを置き、そこから幅が約5cmもあるチェーンでエンジンの左側にあるトランスミッションにトルクが伝えられ、その前方のファイナルドライブを介して前輪を駆動する。
「トロネード」のFFパワートレイン。V8エンジンの後方にトルクコンバーターを置き、そこから幅が約5cmもあるチェーンでエンジンの左側にあるトランスミッションにトルクが伝えられ、その前方のファイナルドライブを介して前輪を駆動する。拡大
参考までに1936年「コード810」。「コルベット」や「トロネード」より約30年も前にリトラクタブルライトや4.7リッターV8エンジンによるFFを採用していたモデル。これはトヨタ博物館が所蔵する4ドアセダンだが、ほかに「コンバーチブルフェートン」(4座)と「コンバーチブルクーペ」(2座)があった。
参考までに1936年「コード810」。「コルベット」や「トロネード」より約30年も前にリトラクタブルライトや4.7リッターV8エンジンによるFFを採用していたモデル。これはトヨタ博物館が所蔵する4ドアセダンだが、ほかに「コンバーチブルフェートン」(4座)と「コンバーチブルクーペ」(2座)があった。拡大
沼田 亨

沼田 亨

1958年、東京生まれ。大学卒業後勤め人になるも10年ほどで辞め、食いっぱぐれていたときに知人の紹介で自動車専門誌に寄稿するようになり、以後ライターを名乗って業界の片隅に寄生。ただし新車関係の仕事はほとんどなく、もっぱら旧車イベントのリポートなどを担当。

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