第751回:フィアットの商用車がもたらした「金運上昇」 あるイタリア人木工職人の場合
2022.04.07 マッキナ あらモーダ!「カングー」のイタリア版ライバル
近年の日本における人気フランス車として「ルノー・カングー」がある。知人のフランス人にそれを話すと、かなり面白がる。彼のなかでカングーといえばMPV仕様よりも、商用車仕様のイメージが強いらしい。ガス会社や電力会社のサービスカー、もしくは郵便配達車として走りまわっているのと同じクルマがウケているのが不思議なのだ。
そのカングーにイタリアで相当するものといえば、フィアット プロフェッショナルの「ドブロ」である。旧フィアット時代からの長い関係を持つトルコのトファス社で生産され、各国に輸出されている。
初代のデビューは遠く2000年にまでさかのぼる。1997年登場のルノー・カングーに対抗する商品企画であったのは、誰が見ても明らかだった。ただし、ブリスターフェンダーに代表されるアクの強いデザインは、ソフトな印象のカングーとは一線を画していた。イタリアのテレビCMではレゲエ音楽のBGMとともに、一時注目を浴びたジャマイカのボブスレーチームを起用することで差異化を図った。
2009年には、全長・全幅ともに拡大された現行の2代目に進化した。プラットフォームには米国ゼネラルモーターズ(GM)との提携時代に生まれた「FGAスモール」を採用。つまり「アルファ・ロメオ・ミト」などと同じである。2022年現在のエンジンは、後述するとおりモデル末期ということもあって4気筒ディーゼル1種で、最高出力90HPの1.3リッターと、105HPまたは120HPの1.6リッターの全3タイプがある。イタリア国内価格は税別2万1500ユーロ(約290万円)からだ。仕様は貨客両用の「コンビ」と貨物用の「カーゴ」、ピックアップトラック、そして特装車用シャシーがあり、それぞれにショートとロングボディーが用意されている。
この2代目ドブロには姉妹車として、先のGMとの提携時代に誕生した4代目「オペル・コンボ」が数年前まで存在した。なおイタリアの自動車メディアによると、近い将来登場する3代目ドブロは、先にモデルチェンジしてしまったオペル・コンボの姉妹車となる。旧グループPSAがオペルを吸収していなければ、このような展開にはならなかったわけで、思わず「くされ縁」という言葉が頭をよぎる。
もうひとつ面白いのは、北米に2代目の姉妹車が存在することだ。フィアット・クライスラー時代に企画されたラム(RAM)ブランドから販売されている「プロマスター シティ」である。エンジンと変速機はいずれも米国製の2.4リッターガソリン4気筒と9段ATだ。これには国情に合わせるということ以上の背景がある。商用輸入車の完成車を対象とした米国当局による「チキン・タックス」といわれる高額な関税を回避するため、トルコからはあえて未完成の状態で輸出するかたちがとられているのである。
ステランティスによると、ドブロの初代以来の販売台数は180万台以上にのぼる。
「Doblo」とは16世紀にまでさかのぼるスペインの金貨「ドブローネ」にちなんだものである。第745回で記した内容と重複するが、フィアットは商用車の車名に歴史的通貨の名称を多用してきた。「Ducato(デュカト)」はベネチアの、「Fiorino(フィオリーノ)」はフィレンツェの、いずれも中世における通貨である。「Talento(タレント)」は古代ギリシアの通貨や度量衡の単位に由来する。コマーシャルカーという性格上、金運上昇の願いを込めているのである。
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木工職人フィリッポさんの愛車
ここに紹介するフィリッポ・ロマニョーリさんは、フィレンツェ県サン・カッシャーノ・ディ・ヴァル・ディ・ペーサ村に工房を構える木工職人である。弟子はとらず、独りで働いている。
彼の愛車は2代目フィアット・ドブロである。2010年12月、それまで乗っていた「プント」を手放して購入した。「なぜフィアットに?」という筆者の質問に、フィリッポさんは一瞬答えに窮してしまった。やがて彼の口から出てきた答えは、「昔、おやじが1960年代に持っていた『フィアット1100』から、うちはずっとフィアット車でしたから」というものだった。
イタリアではフィリッポさんのように、なぜ自分がフィアットに乗っているのか、あまり考えたことがない人が数多く存在する。彼のように、あえて言えば親の代からフィアットだったから、という人が少なくない。筆者は、こうした肩に力が入っていないフィアットユーザーが好きだ。
ちなみに、住居も兼ねた工房の脇に「グランデプント」が置かれているので聞けば、「あれは女房用。2017年に購入したんです」と教えてくれた。
ドブロの美点を尋ねると、フィリッポさんは「とにかく仕事に便利です。製作した家具だって楽々載せられますからね」と教えてくれた。加えて、イタリアで多くのフィアットユーザーが評するように「よく回り、故障知らずのモトーレ(エンジン)もいい」とも証言する。
最も遠い旅行先は、2年ほど前に家族で休暇のために向かった隣国クロアチアだという。
「昔はフェリーで(アドリア海沿岸の)アンコーナから渡ったことがあったけど、ドブロでは家族を乗せて、陸路を片道7~8時間ノンストップで走っていきましたよ!」と振り返る。まさに仕事にレジャーにとフル活用だ。フィリッポさん本人はまったく意識していないが、MPVの正しい使い方を実践している。
幻のパスタ
そのフィリッポさんが今日最も力を入れて取り組んでいるのは、「コルツェッティ」をつくるための木型である。コルツェッティとは、リヴィエラ海岸沿いのリグーリア州の名物パスタだ。円盤の形をしていて、表面には模様が押されている。一説には、中世貴族たちが家柄を誇るべく、家紋を押して客に供したのが始まりといわれる。
リグーリアの富裕層は、コルツェッティの木型を、17世紀からの長い伝統を誇るフィレンツェの家具職人につくらせた。家具を特注するついでに木型も、という流れだったのである。フィリッポさんの祖父も第1次大戦後、フィレンツェでの修業時代にコルツェッティの木型づくりを覚え、独立してからも家具製作の傍らで、リグーリアの顧客のためにつくり続けた。
ただしフィリッポさんの父の代になると、コルツェッティ木型の依頼は次第に減っていった。食品としてのコルツェッティの存在感が希薄になっていったためだった。より詳しく言えば、つくるのに手間を要することと、安価な量産乾燥パスタの普及が背景にあった。実際、今日リグーリア地方を訪ねても、生パスタ店でコルツェッティを見つけるのは容易ではない。そのため、フィリッポさんの工房も約20年間にわたり、コルツェッティ木型はつくらず、家具や額縁づくりに専念するようになった。
ところが頼みの家具市場も次第に先細りとなっていった。平均所得が伸び悩むなか、たとえイタリアといえど注文家具への関心が後回しになるのは、ある意味当然であった。
そのような窮地に立たされたフィリッポさんだが、あるとき転機が訪れた。
もしかして「ドブロ」効果も?
6年ほど前のことだった。
「フィレンツェの商工会議所が主催していたeコマースの講座に参加したのです」
美術学校を出てはいたものの、インターネットに関する知識はほぼゼロだった。それでもニューヨークのブルックリンに本拠を置くインターネット通販会社の関心を獲得することができた。量よりも質重視の、いわば“アンチアマゾン”のサイトだった。
フィリッポさんは、そこに祖父や父がかつて製作していた、あのコルツェッティの木型を出品してみた。すると驚いたことに、大西洋の向こう側から注文が次々と舞い込むようになった。フィリッポさんいわく「イタリア人以上に研究熱心な」アメリカ人の料理愛好家やジャーナリストたちの間で交わされるブログやSNSで話題となったのが引き金となった。
「今では年に1500~2000個くらいつくっています」。特にプレゼント需要が盛り上がるクリスマスには、200個近いオーダーが入る。「だから毎年夏の終わりには、早くもフル製作態勢に入らなければなりません」とフィリッポさんは語る。
顧客の大半は今もアメリカである。時には製作現場をひと目見ようと、外国の料理愛好家が人口わずか1万7000人の彼の村に訪ねてくるまでになった。
そうしたなか、フィアット商用車の名前と同じフィオリーノ金貨を模したコルツェッティ型も人気デザインのひとつだ。
人気作家になってもおごることなく、独りでひたすら彫刻刀を握り続けるフィリッポさんには、ドブロの実直なイメージが重なる。当然のことながらフィリッポさんの成功は、職人としての腕と、時代を読み取った才覚によるたまものだ。だが同時に、彼によって10年以上も大切にされてきたドブロが恩返しのため、フィアットが意図したとおり金運をもたらした、というファンタジーも浮かんでくるのである。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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