ホンダCB1100EXファイナルエディション(6MT)
せめてエンジンだけでも 2022.04.20 試乗記 古式ゆかしき空冷4気筒エンジンを搭載したホンダの「CB1100」。時代の変化により、このほど10余年の歴史に幕を下ろしたクラシックなネイキッドモデルは、今乗るとどんな景色が見えるのだろうか? 見た目も走りもノスタルジックな一台に試乗した。ノスタルジーに刺さる確信犯
「今、まっさらの空冷4気筒が手に入る」
これは、オートバイに疎いというより生来のクルマ好きにすれば、信じ難い話に聞こえるかもしれない。なにしろ四輪業界では、内燃機関=エンジンについて触れること自体が禁忌になりつつある。そしてまた、北欧あたりに住む人々からは「まだエンジン車を買うの?」という声が聞こえてくるとかこないとか。
そんなふうにして、いや応なくエンジン自体もそれに関する話題も消えかかっている現時点で、空冷エンジンを語れるというのは、天使が与えてくれた最後の幸福といえるかもしれない。
ある記述によれば、空冷インラインフォー(直列4気筒)を搭載して1969年に登場した「CB750フォア」の、直系の“継承車”にあたるのがCB1100らしい。2010年に発売されたこのモデルは、実質1140ccもの排気量を有しながら、「“鷹揚(おうよう)”ゆったり乗る・見せる・魅せられる」(当時のプレスリリースより)をコンセプトに、スリルやエキセントリックを川向こうに放り投げた、いわばノスタルジーに刺さることを確信犯的に狙っていた。
その後、何度かの仕様変更を経て、2014年に「2本出しマフラーやワイヤースポークホイールの採用などで、トラディショナルイメージを深めた」という「CB1100EX」を、2017年に「17インチホイールを採用するなど、より軽快感のあるスポーティーな乗り味を実現した」という「CB1100RS」を、それぞれ派生モデルとして追加。今回試乗にあずかったのは、より郷愁感を高めたCB1100EXの、「ファイナルエディション」である。
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エンジンが素晴らしかった記憶
冒頭で述べた言葉は訂正しなければなるまい。その車名が示すとおり、CB1100EXファイナルエディションはCB1100シリーズの最終形で、発売がアナウンスされた2021年10月8日から半月もたたない同月25日に予約受注が終了。そのすべてがオーナーの手元に届いたかは定かじゃないが、いずれにせよ2022年の今日時点で、まっさらの空冷4気筒は買えなくなった。
ふむ。ファイナルだからなのか、またはこのモデルの本質的な魅力のたまものか。とにかく最後のCB1100が瞬く間に売り切れたことに驚いている。そんなにいいのか? と、これは僕の心に巣くう悪魔が放ったささやきだ。
いや、よかった記憶がある。初期型を試乗させてもらったときだから10年以上前になるけれど、エンジンの雰囲気が素晴らしかったのだ。それは、存外に大きいオイルクーラーが装着されながらも、シリンダーブロックの外壁全域に刻んだ薄いフィンで冷却を賄うよう設計された、空冷エンジンならではの機能美だけにとどまらなかった。レスポンスのよさを感じさせる低くうなるような排気音。パワーとトルクの滑らかな盛り上がり。あえてセーブされたのか、はたまたスペック的に劣る空冷エンジンのせいなのか。その判別はできなかったにせよ、果てしない扱いやすさに感銘を受け、このエンジンだけは欲しいと思った。
そう書いたよねとwebCGのホッタ青年に確かめたら、「ウチじゃないですね。webCGでCB1100を扱うのは初めてですから」と冷静に返されてしまった。まぁ、いい。なんであれ僕は正直に、つまりは心に巣くう悪魔を押しのけた天使の心の領域でCB1100のエンジンをたたえた。その記憶が久しぶりの試乗でよみがえった。
その刹那(せつな)、「エンジンだけ?」と再び悪魔がつぶやいた。人は、少なくとも僕は、たやすくダークサイドに聞き耳を立てやすいのかもしれない。
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安心感に一点の曇りなし
エンジン同様、乗った感じも果てしない扱いやすさに満ちている。表現を変えれば、破綻の予感がまるでしない。そもそものライディングポジションが的確な設計となっているのだろう。後にヨーロッパでも販売されたそうだが、もとは国内専用車として開発されたから、日本人の体格を研究しつくした成果が表れているのだと思う。ペダルやクラッチもスムーズ。せっつかないエンジンと楽な操作系が醸し出すのは、緊張からの解放だ。たぶん長距離を走っても、疲労は最小限に抑えられるはず。
いわばすべてがホンダコード。ずいぶん前、日本人の元MotoGPライダーに聞いたのだが、レーシングマシンであってもホンダは、誰が乗っても均一な速さを出せるよう開発するらしい。だから「スーパーカブ」であれCB1100であれ、誰にとっても扱いやすい乗り物に仕立て上げられるのだろう。
「それって、遅かったらライダーのせいってことにされるんじゃないの?」。これはあくまで僕の中の悪魔の声である。「それよりもCB1100EX、アリかナシかでいったらどうなの?」。どうやら悪魔は、天使より声が大きいうえにおしゃべりみたいだ。
悪魔も天使も押しのけて、正直に言う。果てしない扱いやすさが生み出す安心感に一点の曇りなし。乗車機会が多い方には最良の一台になるだろう。そしてまた、このタイプに反応するのが人生のベテラン組だとして、リッター超えの排気量ながら比較的小ぶりな車格の取り回しのしやすさは、「今日は走ろう」という意欲を大いに支えてくれるはずだ。大型かつ高性能なモデルを手に入れたことで“所有欲”は満たされても、止めてある場所から動かすのがおっくうになってしまい、“乗車欲”を失っていく。そんな傾向は、大人になるほど顕著である。
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このエンジンでもう少し遊べたら
「だから、アリよね」と天使。ふ~むと僕。今は悪魔の口をふさぎながら話しているが、困ったことに生身の自分は、CB1100EXに物足りなさを感じてしまっているのだ。どこに? ルックス?
「国産のオートバイだと、クラシックなネイキッドモデルでもとがったテールカウルが付くのが多いんですよ。そのなかでCB1100は、昔ながらの丸いリアフェンダーでしょう。そういうの、クラスに関係なくほぼ皆無なんです」
これはホッタ青年の解説。そうだ、忘れていた。もとよりCB1100はノスタルジーに刺さるデザインで、派生モデルのEXはさらに郷愁感を高める仕様を施していた。しかし、だからといってこれほど色気がなくていいのか? 同じような形のワンピースでも、風が吹くと「おっ」となりそうな、もう少し薄手の生地でもよかったのではないか?
「CB1100EXのような仕立てが、オジサンの心をつかんで離さないんですよ」。そうつぶやいたのが悪魔かと思ったら、ホッタ青年だった。出会った頃は文字どおり青年だった彼も今やオジサンの領域にあるから、要するにホッタ青年も心をつかまれたということだろうか。つかまれなかった僕はといえば、年齢的にはまごうことなきオジサンゾーンに入っているけれど、そこは好みの違いということなのだろうか。想像するに、たぶんホンダのマーケティングには、心に天使と悪魔の共存を許す人間の入る余地はないのかもしれない。
それでもと最後に言いたいのは、趣味にも持続可能性は必要で、僕もオジサンゾーンなのでそろそろ最後の一台を選ぶ局面に差しかかってきて、この空冷エンジンでもう少し遊べたらよかったのに、ということだ。
ホンダは、CB1100ファイナルエディションの発表に際し、生産終了の理由をアナウンスしていない。次なる排ガス規制強化に鑑みての判断、というのが周囲の見方だが、それもまたエンジン終焉(しゅうえん)の予感を強めるトピックになるだろう。
「でも、もう買えないんだよ」。そうボヤいたのは悪魔だったか天使だったか。いずれにしても初試乗で「せめてこれだけ欲しい」と思った最後の空冷4気筒は、ウイングマークよろしく羽を生やして飛び去ってしまうようだ。
(文=田村十七男/写真=荒川正幸/編集=堀田剛資)
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