第257回:“幸せなひとりぼっち”のシボレー原理主義者
『オットーという男』
2023.03.09
読んでますカー、観てますカー
いい人が演じる嫌われ者
トム・ハンクスは、ハリウッドを代表する“いい人”である。ファンから頼まれると気軽に写真撮影に応じてくれるし、親切なタクシー運転手を楽屋に招待したこともあった。新型コロナに感染すると、自らの血液をワクチン開発のために提供したいと申し出た。そういうキャラだから、映画でも善人を演じることが多くなる。悪役は似合わない。
『オットーという男』でハンクスが演じるのは、いつも不機嫌で仏頂面の嫌われ者。イメージとは正反対の役柄だが、アメリカの観客は“実はいい人”という展開になることを予想するだろう。いい人っぽく登場しても途中から悪いやつであることが判明するケヴィン・ベーコンとは逆パターンなのだ。それがわかっているからか、ハンクスは最初から感じの悪い男をアピールしまくる。細かい規則にこだわって文句ばかり言っている面倒くさいやつになりきった。
朝5時半に起床すると家のまわりをパトロールし、ゴミの分別や駐車のルール違反をチェックする。犬を連れて散歩している女性にも「IDIOT!」と悪態をつく。『グラン・トリノ』のコワルスキーもかくやと思わせる偏屈男だ。ホームセンターで買い物をすると、ささいなことでクレームをつけて支配人を呼べと怒鳴り散らす。彼が買ったのは、丈夫な太いロープだ。心に決めた“計画”を実行するのに必要なアイテムである。
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下手くそドライバーが“計画”を阻止
ガレージから「シボレー・クルーズ」に乗って向かったのは、勤務先の工場。退職の日で、仲間がリタイア祝いのセレモニーを用意していた。もちろん、笑顔で感謝したりはしない。大企業に買収されて彼の居場所はなくなっており、怒りの退社なのだ。
家に帰ると、電話や電気の契約を解除した。“計画”の後では必要なくなるからだ。ホームセンターで購入したドリルで天井に穴を開け、ロープをつるした。輪っかを作って首を入れる。この世に別れを告げることを決めたのだ。いざ決行という段になって、外が何やら騒がしいことに気づいた。トレーラーをつないだクルマが、縦列駐車しようとして四苦八苦している。
近所に引っ越してきた夫婦が荷物を運んできたらしい。運転している夫のトミー(マヌエル・ガルシア・ルルフォ)は恐ろしく下手くそで、妻のマリソル(マリアナ・トレビーニョ)が誘導しようとしてもハンドルを逆に切ってしまう。見かねたオットーが代わりに駐車してやると、マリソルがお礼にチキン料理を持ってきた。あまりにおいしそうな匂いがするので首つりは後回し。賞味してから実行するが、天井の強度が足りずに壊れてしまう。
それからも、トミーとマリソルの夫婦は何度もオットーの家にやってくる。ガレージで排ガス自殺を試みたときも邪魔されてしまった。ハシゴが必要だというから貸してやったら、トミーが落ちてけがをしてマリソルを病院に送ることに。娘のアビーとルナもついてきて、絵本の読み聞かせを強要される。死ぬ計画は日延べするしかない。
スウェーデン映画のリメイク
オットーは広いベッドの右端に寝ている。半年前まで、左側には妻のソーニャ(レイチェル・ケラー)がいた。彼女がガンで亡くなり、オットーは生きる意味を失ってしまったのだ。映画は現在の物語と並行して若い日の2人を描く。彼らが出会ったのは、駅のホーム。ソーニャが本を落としたのを見て、逆方向の列車に乗り込んで手渡したのだ。
似たような話を本欄で読んだことを覚えているかもしれない。この映画はリメイクなのだ。元になったのは、2016年に公開されたスウェーデン映画『幸せなひとりぼっち』。原題は『オーヴェという男』だったから、主人公の名前が変わっただけである。
妻の名前は同じソーニャだった。落とした本も同じで、ミハイル・ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』である。ソ連時代に執筆されたが出版を禁止され、1970年代になってようやく日の目を見た小説だ。スターリン体制を批判し、今となってはプーチンを予言していたとも解釈できる。ソーニャという名は、『罪と罰』のヒロインと同じである。
あらためて『幸せなひとりぼっち』を観返すと、設定やストーリーがほぼそのまま使われていることがわかった。脚本の出来がよかったので、無理に変える必要はなかったのだ。余計な改変で台無しになってしまったリメイク作品は少なくない。『ザ・バニシング -消失-』のハリウッドリメイク『失踪』がオリジナルのインパクトが薄められてしまっていたことは、本欄でも紹介している。昨年公開された『おみおくりの作法』の日本版リメイクは、絶望的な改悪になっていた。
ハイブリッド車は認めない
『オットーという男』は、成功したリメイクと言っていい。骨格を保ったまま、ハリウッドらしい作法で上質なエンターテインメントに仕上げた。変更点もある。オリジナルでは主人公がサーブ好きで、友人がボルボ派だったことから仲たがいした。本作では、オットーがシボレー、友人がフォードを乗り継いでいる。「サーブvsボルボ=シボレーvsフォード」という図式が成り立つのかどうかはわからないが、ライバル関係なのは確かだ。
オットーは「シボレーのエンジンは世界一頼りになる」と断言していて、頑固なシボレー原理主義者である。友人がフォードに乗っているのは気に入らないが、仲直りしようとしたこともあった。しかし、彼がフォードをやめて「トヨタ・セリカ」に乗り換えたことを知り、再び絶交する。志を貫かないことが何よりも許せない。
ほかにも日本車ディスの場面があった。クルーズを使ってオットーがマリソルに運転を教えるシーンである。ブレーキが遅れて止まっていた「トヨタ・プリウス」に追突しそうになるが、オットーは意に介さない。「かまわない、ハイブリッドだ」と平然としている。電気自動車など絶対に認めないのだろう。
コワルスキーのような偏屈男と書いたが、もうひとつ『グラン・トリノ』的展開があった。シボレーのトラックに乗り換えることになり、クルーズを手放す。愛車を譲る相手は、オットーが魂の継承者と認めた人間だ。それが誰なのかを知ると、この映画が時代の流れに合わせた見事なアップデートをなしとげていることに気づくはずである。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。