そしてマツダだけが残った 誕生35周年を迎えた「ロードスター」とそれに挑んだモデルたち
2024.06.12 デイリーコラム35年前のライトウェイトオープンスポーツ市場
1989年に「ユーノス・ロードスター」(NA)、輸出名称「MX-5」(米国では「MX-5ミアータ」)がデビューしてから、今年で35年。35周年記念車の登場も確実視されている。
NAロードスターの誕生は日本のみならずワールドワイドな話題となり、発売と同時に世界中で大ヒット。初年度に4万5000台以上、2年目の1990年には9万5000台以上がつくられて早々に累計生産10万台を突破するという、スポーツカーとしては異例の成功作となったのだった。これには当事者のマツダも驚いたと思うが、つまりはマーケットがそれほどまでにリーズナブルなオープン2座のライトウェイトスポーツを渇望していたということだろう。ここで当時の状況を簡単に振り返ってみよう。
戦前から軽量級のオープン2座スポーツを得意としていたイギリスのMG。代表的なモデルだった1962年デビューの「MGB」は1980年に、ひと回り小さい「MGミジェット」はひと足早く1979年に生産終了しており、MGブランドの先行きも怪しくなっていた。
申し訳程度の+2シートが付いてはいたが、同類と考えていい1966年デビューの「フィアット124スポルト スパイダー」。「ピニンファリーナ・スパイダー ヨーロッパ」と名称を改めて継続生産されていたが、1985年に生産終了。着脱式トップを備え、オープンも楽しめるミドシップスポーツとして1972年に登場した「フィアットX1/9」も「ベルトーネX1/9」名義で生き残っていたが、NAロードスターと入れ替わるように1989年に生産終了した。
NAロードスターやこれまでに名を挙げたモデルよりやや大きく、性格的にもスポーツカーというよりパーソナルカーに近いが、唯一存在していたのは1966年デビューの「アルファ・ロメオ・スパイダー」(105系)。ちなみにこちらは1993年までつくられている。
というわけで、見るからに旧式な成り立ちながらも1960~1970年代からなんとか生き永らえていたオープン2座のライトウェイトスポーツがほぼ絶滅……。NAロードスターが誕生した1989年の市場は、そんな状況だったのである。
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マツダだけがチャレンジした
当時とて、市場にスポーツカーがなかったわけではない。日本車に限っても「日産フェアレディZ」(Z31、Z32)と「マツダ・サバンナRX-7」(FC7S)が存在したし、後者には「カブリオレ」も設定されていた。またメーカーでは“ミドシップ・ラナバウト”と名乗ってはいたものの、国産初のミドシップスポーツだった「トヨタMR2」もあった。オープンカーということなら、「ホンダ・シティ カブリオレ」や「マツダ・ファミリア カブリオレ」のような手軽な4座モデルもラインナップされていた。
しかし、“軽量、コンパクトで比較的安価なオープン2座”という、スポーツカーの原点ともいうべきライトウェイトスポーツに限っては死滅していたのだ。もちろんクラシックカーになりつつあった既存のモデルの愛好家は存在したし、マニア向けの自動車専門誌などではその魅力が語られていた。だが、世界中のどのメーカーも新たにつくろうとはしなかった。
ここで疑問に思うのが、1980年代ともなると世界中のメーカーが盛んに“マーケティング”を行っていたはずなのに、なぜライトウェイトオープンスポーツの潜在需要がすくい上げられなかった? ということである。勝手に想像するならば、おそらく望む声はあったことだろう。とはいえ大枚はたいて開発するだけのリターンを得られるかという点で、みな尻込みしてしまっていたのではないだろうか。
ご存じのように歴代マツダ・ロードスターは一貫してFRである。ライトウェイトスポーツの命ともいえるハンドリングを実現するための選択だったわけだが、小型車の多くがFRだった1960年代と違って、1980年代にはほとんどがFFとなっていた。そんな状況のなかでFRの専用プラットフォームを開発することなど、大メーカーといえども考えられなかったのであろう。
そうした「誰もが思いつくが、誰もやろうとしなかった」企画に唯一手を挙げたのが、日本のマツダだった。きっかけはアメリカ西海岸の現地法人からのリクエストだったそうだが、それを実現にこぎ着けたのはマツダの開発陣の情熱とバブル前夜の好景気の後押しを受けた経営陣の英断にほかならなかった。
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2年弱で14万台以上を販売
1989年5月にアメリカでMX-5ミアータ、そして同年9月に日本ではユーノス・ロードスターの名で初代NAロードスターが発売された。キャラクター的にはMGのような比較的気軽に楽しめる古典的なライトウェイトスポーツに近かったが、リトラクタブルライトを備えたそのボディーは初代「ロータス・エラン」にも通じるスタイリッシュでモダンな雰囲気を持っていた。
パワーユニットは開発コストを抑えるべく既存の1.6リッター直4 DOHCを流用していたので動力性能はそこそこだったが、開発陣が掲げた“人馬一体”というコンセプトを具体化した軽快なドライブフィーリングは高く評価された。そこにMade in Japanならではの品質と信頼性の高さ、そして割安な価格が加わったのだから、とりわけ海外市場においては鬼に金棒だった。
ちなみに国内でのNAロードスターの価格は170万円。基本的に同じエンジンを積む同門の「ファミリア1600GT」の150万円前後と比べても20万円くらいしか違わなかったのだ。
デビューと同時に世界的な話題となり、注文が殺到。企画段階でアメリカからは「月販3000台はいけるだろう」という話だったが、ふたを開けてみたら冒頭に記したように1990年までの2年弱で生産台数14万台以上というスポーツカーとしては類を見ない大ヒットとなったのである。
当のマツダ自身、ここまで売れるとは想像していなかったかもしれない。だがそれ以上に驚いたのは、マツダを除く世界中の自動車メーカーだったのではないだろうか。「あんなのでいいのならウチだってつくれた」「ウチならもっと……」などという負け惜しみがそこかしこで発せられたのではないかと思うが、マツダからすれば「寝言は寝て言え」といったところだろう。
とはいうものの、他社とてNAロードスターが飛ぶように売れていくのを愚痴りながら指をくわえて眺めているわけにもいかない。急いでオープン2座スポーツの開発を始めた。
時系列でいえば一番手は1990年に登場した2代目ロータス・エラン(M100)。当時ロータスと同じくGM傘下にあったいすゞ製のパワーユニットを積んだFFスポーツカーだが、デビュー時期からも明らかなようにNAロードスターの出現以前に開発が始まっていたに違いなく、フォロワーとはいえない。
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フォロワーの登場は1995年から
NAロードスターの成功を横目に開発されたであろうモデルが登場するのは1995年。この年にイギリスから「MGF」、イタリアから「フィアット・バルケッタ」がデビューする。前者はミドシップ、後者はFFと駆動方式こそNAとは違えども、どちらも全長4m未満のボディーに1.8リッター前後の直4エンジンを搭載したライトウェイトスポーツだった。
翌1996年にはドイツから「メルセデス・ベンツSLK」と「BMW Z3」、そして「ポルシェ・ボクスター」がそろってデビューする。電動開閉式メタルトップを備えたSLK、オーソドックスなロードスターのZ3、フラット6ユニットをミドシップしたボクスター、いずれも性能的にも価格的にもNAロードスターと直接は競合しない。とはいえ各社のラインナップに長らく不在だった、あるいは初となるエントリークラスのオープン2座モデルだった。
1999年には日本で「トヨタMR-S」と「ホンダS2000」が発売された。前述したように“ミドシップ・ラナバウト”とうたって誕生した初代MR2は、2代目に進化するにあたってボディーサイズ、エンジンともに拡大してリアルスポーツの方向にかじを切った。だがその後継となるMR-S(海外ではMR2の名を継承していた)はサイズを縮小してオープン化、ライトウェイトスポーツに方向転換したのだ。いっぽうS2000は、ホンダとしては「S800」以来およそ30年ぶりとなるFRのオープンスポーツだった。
洋の東西を問わず、こうしたモデルの商品企画に際してNAロードスターの成功が影響を与えたであろうことは想像に難くない。言い換えれば、1990年代の世界的なオープン2シーターの隆盛はNAロードスターが創出したと言っても過言ではないのである。
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さまざまなフォロワーのその後
NAロードスターは43万台以上がつくられた後、1998年に「マツダ・ロードスター」に改称した2代目NB型に世代交代。2000年には累計生産53万台以上を達成し、“世界で最も多く生産された小型オープン2座スポーツカー”に認定された。その後2005年に3代目のNC型、2015年に4代目のND型に進化し、2016年には累計生産100万台を突破。現在も記録を更新し続けている。
いっぽうフォロワーはどうなったかというと、フィアット・バルケッタは2005年に生産終了。MGFは2002年にマイナーチェンジして「MG TF」に改名した後、MGブランドが中国資本になるなどの紆余(うよ)曲折を経て2011年に生産終了。日本勢のトヨタMR-Sは2007年に、ホンダS2000も2009年に生産終了。いずれも基本的には1代限りでモデルが消滅している。
ちなみにこれらの累計生産台数がどれくらいだったのかというと、バルケッタが5万8000台弱、MGF/MG TFが11万7000台弱、MR-Sが7万8000台弱、S2000が11万台以上。マツダ・ロードスターはまさにケタ違いだったのである。
ドイツ勢はメルセデスのSLKが2004年に2代目、2011年に3代目となった後、2016年に「SLC」と改名したが2020年に生産終了。BMW Z3は2002年に上級移行した「Z4」に発展し、今は2019年にデビューした3代目が現役。ポルシェ・ボクスターは2018年以来の4代目となる「718ボクスター」となっている。マツダ・ロードスターとは戦う土俵が異なるが、BMWとポルシェは健在というわけだが、双方ともNAロードスターに触発されたのが誕生のきっかけとはいえ、一過性のブームではない独自の市場を確立した結果だろう。
そのほか遅れてきたフォロワーとして、NCロードスター時代の2006年にアメリカから「ポンティアック・ソルスティスGXP」が登場している。本国の「サターン・スカイ」のほか欧州では「オペルGT」、韓国では「大宇G2X」という兄弟車を持つGMからの刺客だったが、GMの経営破綻もあり2010年に生産終了。ポンティアックとサターンの両ブランドも消滅してしまった。
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フィアットからのオーダー
名乗りを上げたチャレンジャーが次々と敗走していくなか、先駆者利益に長年にわたって築き上げたブランド力が加わって、オープン2座のライトウェイトスポーツ市場ではひとり勝ちとなったマツダ・ロードスター。その存在の大きさを再認識されられたのは2013年のことだった。マツダとフィアットが提携、2015年にロードスターをベースとするオープンスポーツ(スパイダー)をアルファ・ロメオブランドからリリースすると発表されたのである。
その後フィアットグループ内でブランドがアルファからフィアット/アバルトに変更されたが、2016年に「フィアット124スパイダー」とハイパフォーマンス版の「アバルト124スパイダー」として結実した。どちらもマツダ・ロードスター(ND)と共用するプラットフォームに独自のボディーを載せ、フィアット製の1.4リッター直4ターボユニットを積むが、広島にあるマツダの工場で生産される国産車となる。
およそ30年ぶりにその名が復活したフィアット124スパイダーだが、初代がトリノショーでデビューしたのは、その時点からちょうど半世紀をさかのぼる1966年のことだった。いっぽうそのころのマツダはといえば、戦前からの歴史があるとはいえ、乗用車をつくり始めてからまだ6年。やがて世界に通じるパスポートとなるロータリーエンジンを社運を賭して開発していたが、「コスモスポーツ」として商品化されるのは翌1967年のこと。海外で“MAZDA”を知る人間などごくわずかだったことだろう。
それから半世紀。そのマツダが黎明(れいめい)期から自動車をつくり続けてきたイタリア最大のコングロマリットであるフィアットに請われてスポーツカーをつくるまでになったという事実に、筆者を含むリアルタイマーのクルマ好きが驚きと感動が入り交じった気分になったのはまだ記憶に新しい。
そんなフィアット/アバルト124スパイダーという兄弟を加えて、マツダ・ロードスターはますます無双状態に……と思いきや、この日伊ハイブリッドの兄弟は、あまり盛り上がらないままデビューからわずか4年後の2020年に生産終了してしまったのだった。
そうした結果、現在のライトウェイトオープンスポーツ市場は、「そしてマツダだけが残った」と言っていい状況になっている。そのマツダ・ロードスターも純エンジン搭載車は現行ND型が最後で、2026年以降の登場が予想される次期NE型(?)は何らかの電動化が施されるだろうといわれている。果たしてそのときが来ても、マツダ・ロードスターはライトウェイトオープンスポーツの代名詞的存在であり続けることができるのだろうか?
(文=沼田 亨/写真=マツダ、ステランティス、トヨタ自動車、ロータスカーズ、BMW、ゼネラルモーターズ、TNライブラリー、webCG/編集=藤沢 勝)
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沼田 亨
1958年、東京生まれ。大学卒業後勤め人になるも10年ほどで辞め、食いっぱぐれていたときに知人の紹介で自動車専門誌に寄稿するようになり、以後ライターを名乗って業界の片隅に寄生。ただし新車関係の仕事はほとんどなく、もっぱら旧車イベントのリポートなどを担当。
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