モータースポーツの巨人NISMOの40年の歩みをたどる
2024.09.30 デイリーコラムはじまりは1984年
2024年9月17日、日産自動車と日産モータースポーツ&カスタマイズは、NISMO(ニスモ)ブランドが誕生40周年を迎えたと発表。同日、日産グローバル本社ギャラリーで「NISMO 40周年記念レセプション」を実施した。
日産のモータースポーツ活動を統括する部門として、そして日産のハイパフォーマンスカーのブランドとして、クルマ好きの間ではすっかり浸透しているNISMO。今ではモータースポーツ由来のブランドを抱えるメーカーは珍しくはないが、NISMOは日本では数少ない定着しているブランドといえるだろう。それは一朝一夕になしえたものではなく、40年という歴史があってのものというわけだ。
2024-40=1984、ということでNISMOブランドが誕生したのは1984年9月17日。それまで日産のモータースポーツ活動は、追浜工場内の実験課に所属する通称“追浜ワークス”と、宣伝部管轄の通称“大森ワークス”(所在地が京浜急行電鉄の大森海岸駅の近くだったことから)という2つの部署によって運営されていた。大ざっぱにいうと追浜は一軍、大森は二軍扱いだったが、後者を母体にモータースポーツ活動を統括する子会社として1984年に設立されたのが日産モータースポーツインターナショナル(Nissan Motorsports International Co., Ltd.)。NISMOはその略称だったのだ。
初代社長は難波靖治氏。実験部員だった1958年に日産初の国際舞台へのチャレンジだったオーストラリア モービルガス トライアル(豪州一周ラリー)にドライバーとして参戦。「ダットサン富士号(210型)」をクラス優勝に導いたのを皮切りに、一貫して日産のモータースポーツ活動を率いてきた人物である。
モータースポーツ活動のサービス会社とうたった新会社の業務内容は、レースおよびラリー車両の開発と実戦参加をはじめ、モータースポーツ用部品の開発および販売、モータースポーツ用車両の販売、レンタルおよび整備、レーシングスクールの企画・運営など。要するにモータースポーツ関連の一切合切というわけで、契約ドライバーの所属先もNISMOとなった。
その後2022年には、やはり日産の子会社である株式会社オーテックジャパンと経営統合して社名を日産モータースポーツ&カスタマイズに改めたが、NISMOブランドは継続して使われている。
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栄光の歴史を彩るマシン
国内外のモータースポーツにおけるNISMOの活躍については、よく知られているところだろう。40周年を祝してグローバル本社ギャラリーに展示されている、その栄光の歴史を代表する車両を紹介すると、まず「スカイラインGT-RグループAカルソニック」(BNR32)。1990年、グループA時代の全日本ツーリングカー選手権(JTC)で星野一義/鈴木利男組が駆り、全6戦中デビューウィンを含む5勝を挙げてタイトルを獲得したマシンだ。なおカルソニック以外も含めたR32GT-Rは、デビューした1990年からグループAによるJTCが終了する1993年までの4シーズン、全29戦を完全制覇するという偉業を成し遂げている。
NISMO設立1年前の1983年から始まった日産のグループCレーシングカー。その活動の頂点といえるのが、長谷見昌弘/星野一義/鈴木利男組がドライブした「R91CP」による1992年デイトナ24時間の総合優勝。日本人・日本車としては初の快挙だった。
ルマンへのチャレンジも1986年にスタートした。最も好成績を残したのが1998年。4台の「R390 GT1」が参戦し、星野一義/鈴木亜久里/影山正彦組が日産のルマン挑戦における最上位となる総合3位表彰台を獲得。残る3台も総合5位、6位、10位と全車が10位以内で完走した。
そしてレセプションが行われたステージ上には、現在の日産/NISMOのモータースポーツ活動のツートップとなるフォーミュラEとSUPER GTのGT500に参戦中のマシン。2018-2019年シーズンから国内メーカーとしては唯一参戦しているフォーミュラEでは、2024年4月に念願の初優勝を飾った。GT500マシンはエースナンバーである23(ニッサン)を付けた「モチュール オーテックZ」。今季のNISMO勢はまだ1勝だが、日産/NISMOは1994年に始まった前身となる全日本GT選手権から数えて、これまでにGT500のドライバーおよびチームタイトルをそれぞれ11回獲得している。
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往年のNISMOロードカーシリーズ
現在はモータースポーツで培ったノウハウをフィードバックしたハイパフォーマンスカーのブランドとしても定着しているNISMO。現時点では6車種に「NISMO」を名乗るロードカーが設定されているが、その歴史をさかのぼった3台のモデルもギャラリーに展示中である。
1994年にNISMO創立10周年記念プロジェクトとして限定30台がリリースされた「NISMO 270R」。「シルビア」(S14)をベースとするコンプリートカーの第1弾で、車名は2リッター直4エンジンが発生する270PSの最高出力、そしてグループBラリーカーとして活躍したS110型シルビアがベースの「240RS」にちなんだという。
それに続いたのが、「スカイラインGT-R」(BCNR33)をベースに1996年に登場した「NISMO 400R」。N1耐久やスパ24時間耐久レースの経験から、ロードカーとしての耐久性が確保できると確信した400PSを発生する2.8リッター直6ユニットを積んだコンプリートカーで、99台が限定販売された。
もう1台は2007年に登場した「フェアレディZバージョンNISMOタイプ380RS」。コンプリートカーだが3.5リッターエンジンはノーマルと同じだった「フェアレディZバージョンNISMO」に、スーパー耐久用に開発した3.8リッターV6ユニットを公道走行用にデチューン(といっても350PS)して積んだモデルで、300台限定だった。
それら歴代モデルに加えて、ギャラリーには現行のNISMOロードカーである「フェアレディZ NISMO」と「アリアNISMO B9 e-4ORCE」も展示されており、ロードカーの歴史も俯瞰(ふかん)できるようになっている。しかし、後者の価格が944万1300円というのにはいささか驚かされた。
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レセプションにはサプライズゲストも
最後に、NISMO 40周年記念レセプションの様子を簡単に紹介しておこう。ステージに最初に登壇したのは、日産自動車代表執行役社長の内田 誠氏。「日産/NISMOはフォーミュラEを通じての電動化技術に加えて、カーボンニュートラル燃料のレーシングカー開発も続け、今後のモータースポーツの発展に貢献していく。NISMOのロードカーに関してもグローバルに広げていく予定。これまでの40年の支援に感謝するとともに、次の40年もワクワクを提供していきたい」と語ったところで、サプライズゲストを紹介した。
そこで登場したのは、なんと豊田章男氏。本人いわくトヨタ自動車会長ではなくスーパー耐久未来機構(STMO)理事長としてNISMOの40周年を祝うべく来場したそうで、「N1耐久の時代からスーパー耐久は日産/NISMOに支えられてきたと言っても過言ではない。参加型レースの先駆者として、今後もシリーズを引っ張っていただきたい」と祝辞を贈った。
続いては日産モータースポーツ&カスタマイズ代表取締役社長の片桐隆夫が登壇。フォーミュラEとSUPER GTのGT500クラスをピラミッドの頂点に据えたNISMOのレース活動について今後の抱負を述べた。
その後に行われたのは、トークセッション。出席者はNISMO誕生より20年近くをさかのぼる1965年に大森ワークスに加入、一時期離れたものの1970年に追浜ワークスに復帰し、ドライバー、そしてチーム監督として長らく日産/NISMOで活動を続けた長谷見昌弘氏。1970年に大森ワークスに加入、“日本一速い男”の異名をとり、現在もチーム総監督を務める星野一義氏。そして奇しくもNISMO設立と同じ1984年にレースデビューし、今や国内レース界の重鎮のひとりとなった近藤真彦氏。
それら3人のOBドライバーに対して、現役組は日産のドライバー育成プログラムであるNDDP出身の2名。GT500でエースナンバーの23号車を駆る千代勝正選手と、今季の第2戦富士で勝利を挙げている高星明誠選手である。以上の5人にフォーミュラEのチーフパワートレインエンジニアである西川直志氏を加えた6人が、それぞれの記憶に残るエピソードを語った。
日産グローバル本社ギャラリーでは、NISMO 40周年記念特別展示を2024年10月15日(火)まで実施している。そして1997年に始まり、今年で25回目となる恒例のファン感謝イベントであるNISMOフェスティバルは、NISMOブランド40周年をテーマに12月1日(日)に富士スピードウェイで開催される。
(文=沼田 亨/写真=日産自動車、沼田 亨/編集=藤沢 勝)

沼田 亨
1958年、東京生まれ。大学卒業後勤め人になるも10年ほどで辞め、食いっぱぐれていたときに知人の紹介で自動車専門誌に寄稿するようになり、以後ライターを名乗って業界の片隅に寄生。ただし新車関係の仕事はほとんどなく、もっぱら旧車イベントのリポートなどを担当。
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