クルマの理想的な前後重量バランスとは?
2024.11.12 あの多田哲哉のクルマQ&A走行性能が自慢の新車に関して、メーカーが「理想的な前後重量配分を実現している」などと言うとき、その数値は「50:50」だったり「42:58」だったり、必ずしも一致しないようです。なぜでしょうか? “理想”の値はひとつかと思うのですが……。
「前後50:50にこだわっている」と主張するメーカーは多いですよね。私が「トヨタ・スープラ」の開発を取りまとめた時も、「BMWがかかわっていることもあって50:50です」みたいなことは言いました。
しかし、クルマの重量配分というのは、走行中、ずっと変化し続けているのです。ちょっとブレーキをかければフロントへと移るし、加速すれば逆になる。スポーツカーの運転のだいご味は、そうした荷重変化をいかにうまくコントロールし、クルマが置かれている状況(アンダーステア/オーバーステアなど)を制するかにあり、それが上手にできる人を「運転がうまい人」と呼ぶわけです。
「変わり続けているのだから、50:50にこだわる必要なんてない」という人もいて、それは一理あります。では逆に「50:50がベストになる状態」は何かといえば、それは「ぐるぐると定常円旋回を続けているとき」でしょう。それ以外の状況では50:50でなくともそれほど困らない、というか、大きな差は生じないといっていいと思います。45:55から55:45の間におさまっていれば、うまくドライバーのコントロール下におけるはずです。
むしろ、クルマの運動性能にかかわる要素として重要なのは、重心高です。これは乗り手がコントロールできるものではなく、低ければ低いほどクルマの運動性能が向上します。そのため開発者にとってはクルマの重心高を1mmでも低くするのが大きな課題なのです。
前後重量配分については50:50がいいのは確かですが、45:55~55:45の範囲におさまってさえいれば、あとは「ドライバーが御しやすい仕様になっているかどうか」のほうが大事ともいえます。例えば、ペダルのタッチ。アクセルとブレーキの操作によって、重量の移り変わりをうまく、理想どおりにコントロールできるようになっているか。それを実現しやすいレスポンスが得られるかが決め手です。
ちなみに、後輪駆動のクルマは、ハイパワー車ともなれば、リア荷重が絶対的に不足してきます。最高出力が400PSを超えると、「0-100km/hの加速タイムは後ろに砂袋(重り)を積めば積むほど速くなる」という感じなんです。
そのため、高出力な後輪駆動車は重量配分をリアヘビーにしたほうがいい。とはいえ、40:60以上のリア寄りになると、加速はよくてもコーナーで突如オーバーステアになる危険性が出てきます。まさに、かの「ポルシェ911」が悩んできたネガですね。
現実的には(ハイパワーな後輪駆動車は)45:55くらいが理想。200PSほどのクルマなら50:50に近いところで、リアが多少軽くてもいい。これが60:40になると、雪道のちょっとした坂でも登れないという事態になりかねません。そんな前提もあって、前述のとおり、おさめたい範囲は45:55~55:45になります。
ちなみに初代「トヨタ86」は、ボクサーエンジン(水平対向エンジン)をフロントに積んだ宿命で、FRスポーツカーとしてはけっこうフロント寄り(フロントの割合が55~56ほど)です。あまり触れてほしくない点なので、ひたすら「重心高が低いです」などと力説していましたが(苦笑)。なおスープラについては、2リッター直4ターボモデルがぴったり50:50。3リッター直6ターボモデルになると若干フロントが重いです。それでも51まではいかず、50.6くらいですね。
特にスポーツカーの開発では、重量配分は“1丁目の1番地”といえる重要なポイントです。動力性能を上げたら、プラットフォームも一新して重量配分を見直さなければ最適なパフォーマンスは得られない。例えば「GR86」は、先代のプラットフォームを流用したために、現状の235PSがギリギリ限界で、250PSまで上げたらアウトというレベル。重量配分にはパワーとの兼ね合いという面もあり、しかもそれはシビアなものなのです。
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多田 哲哉
1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。