車両開発に大きな影響を与えた「ユーザーの一言」(その2)
2024.11.26 あの多田哲哉のクルマQ&Aユーザー側から伝えられた言葉・要望で、車両開発に多大な影響を与えたものや、今でも忘れられないほど印象的だったものはありますか? それが実際に製品をどう変えたかも含めてお聞かせください。
過去を振り返ってみると、あるデザインの話がパッと思い浮かびます。それは、「トヨタ86」を開発するにあたって、「スポーツカーのデザインはどうあるべきか」をユーザーの皆さんに聞いて回っているときのことでした。
皆さん、「すごく気に入っているクルマを運転していても、ドライバーがその姿を(外から)見ることはできない」と嘆いているわけです。「それは残念なことなので、せめて、愛車と自分が映るようなガラス張りのビルが建っている交差点に、赤信号で止まるようなタイミングでアプローチしては眺めて楽しんでいる」のだとか。私も、そんな気持ちがわからないわけでもありませんが、そういう方は、ひとりではなく、けっこうたくさんいらっしゃるんです。
そのなかで、「なにもガラス張りの建物に映さなくても、愛車の中で運転中に見られる部分はありますよ」という人がいました。聞けば、「それはドアミラーに映るリアフェンダー」で、「その〝ミラー越しのリアフェンダー”がカッコよく見えるクルマをマイカーに選ぶようにしています」と続けたのです。
これは、言われてみるまで思ってもみなかったことでした。たしかに、リアフェンダーの印象というのは、クルマから離れて眺めたときと、運転席からドアミラー越しに見たときとではまるで違う。その方は、「カッコいいという評価を得ているスポーツカーは例外なく、ドアミラー越しに見えるフェンダーのデザインがいいんですよ」とも教えてくれました。
この経験から私は、86でも「GRスープラ」でも、リアフェンダーの形については全体的な外観だけを見てデザインするのではなく、ドアミラー越しに見た際どうなのかという点にも気を使ってほしいと、繰り返しデザイナーにお願いしました。実際、モデラーも交えて何度もつくり直してもらいましたね。
これは本当に忘れがたい“気づき”でした。トヨタで私と一緒に仕事をしたデザイナーは、その点を今でも意識してクルマづくりに生かしてくれていると思います。
→連載記事リスト「あの多田哲哉のクルマQ&A」

多田 哲哉
1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。