「マツダ・ロードスター」が長寿でいられる要因は?
2025.01.07 あの多田哲哉のクルマQ&A2024年9月に、マツダのFRスポーツカー「ロードスター」が国内デビュー35周年を迎えました。スポーツカー開発に取り組まれた多田さんは、この2シーターオープンが4代にわたって続いたことをどう思いますか? 長寿の要因となる点や、エンジニアとして感心することがあればお聞かせください。
マツダのロードスターについては、初代のシンプルな思想といいますか、クルマ好きの王道を行くコンセプトがしっかりと守られていて、4代目では原点回帰的な取り組みも行われています。そういう、思想が全くブレないところがユーザーに支持されているのだろうと思います。歴代ロードスターのチーフエンジニアである平井敏彦さん、貴島孝雄さん、山本修弘さんにもその思想は脈々と受け継がれていました。
そして何より、ファンを大切にしていますね。開発者とファンとの距離が近い。私もそうした考え方を貴島さんから教わり、トヨタの「86」において、それをマネさせてもらいました(笑)。
振り返れば、マツダは会社の都合でスポーツカーを“お休み”したり、逆に「会社の調子がいいからスポーツカーでもやってみるか」なんてことをしたりせずに黙々と取り組んできました。組織としては、経営的に浮き沈みの激しい会社だと思うのです。なのに、そういうところは見せずにロードスターをずっとつくり続けてきた。それが30年以上たって、お客さんにしっかり伝わったということでしょう。言うのは簡単ですが、何十年も続けるって、本当に大変なことですよ。
それが可能となったのは、マツダの社風……というのも何だか違うような気がします。実際は、「たまたま“熱量の大きな個人”がつながって現れた」というのが大きいのでしょう。もし貴島さんがいなかったら、今のこういう状況にはなっていなかったと思うのです。ホンダの「N-BOX」にしたって、今の成功があるのは初代モデルをつくった浅木泰昭さんがいたからです。ああいう情熱を持った人が、しっかり基盤をつくったからにほかならない。
クルマを見ていると人が見えてくるといいますか……その思いが感じられるクルマには興味が持てるものですし、そうでないクルマは、いくらスペックがすごくても関心を持ちづらい。クルマというのは、そんなつくり手の情熱や思いが感じられる数少ない工業製品であり、つくづく、そこが大いなる魅力だと思いますね。
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多田 哲哉
1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。