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第156回:さらば「アルファGT」−大矢アキオの思い出−

2010.08.21 マッキナ あらモーダ! 大矢 アキオ
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第156回:さらば「アルファGT」−大矢アキオの思い出−

ついに生産終了

「アルファ・ロメオ アルファGT」の生産がこのほど終了した。
2003年ジュネーブ・ショーでデビューしたこのモデルは、アルファ・ロメオの現行ラインナップ中で最年長だった。

アルファGTの生産台数は、2008年の5305台に対して、2009年は1767台にとどまった。エキゾチックカー「8C」を除き、最近のアルファ・ロメオで最も生産台数が少ないモデルだったことになる。イタリアでの累計販売台数は7年間で2万5000台だった。たしかにイタリアの路上で見かける機会が少ないモデルであった。

アルファGTは、過去10年のフィアットと運命をともにしたモデルともいえる。開発がスタートした1990年代末は、フィアットの業績に陰りが出始めていたものの、まだまだ決定的に深刻なレベルではなかった。2000年に締結されたGMとの提携も、当初は明るい兆しととらえられていた。

当時フィアット社内では、アルファGT以外にも、ランチアの新型「フルヴィアクーペ」計画や、アルファ・ロメオのSUV計画など、のちの経営危機でお蔵入りとなってしまったプレミアムカー計画が前後して、いくつも誕生していた。
そうしたなかでアルファGTが無事市場に送り出されたのは、1997年にデビューした「156」の恩恵で当時のアルファ・ロメオが前途洋々だったことと、156のプラットフォームを活用するというシンプルな企画だったために他ならない。

シエナ市街にたたずむ「アルファGT」。
シエナ市街にたたずむ「アルファGT」。 拡大
ピニンファリーナともジウジアーロとも違う、ベルトーネのアルファに対する解釈が感じられる。
ピニンファリーナともジウジアーロとも違う、ベルトーネのアルファに対する解釈が感じられる。 拡大

後継モデルはなし

アルファGTの滑り出しは好調だった。事実、イタリアではデビュー翌年の2004年、月間登録台数のクーペ部門でたびたびシェア30%超を記録してトップの座に躍り出た。

いっぽうで2003年の「156」や、2005年に「147」に行われたような、ブランドイメージ統一のための大規模フェイスリフトは施されなかった。姉妹車である156が2005年に「159」へとバトンタッチし、その“副産物”である「ブレラ」「スパイダー」が誕生しても、アルファGTはその陰に隠れながら生き続けることになる。

背景にはフィアットの危機があった。開発・経営ともアルファ・ロメオ首脳陣がめまぐるしく変わり、予算的・マンパワー的にアルファGTのモダナイズや販促に手が回らなくなってしまったことがある。一部の日本メーカーで起きる、「ラインナップにあるけど忘れられてしまう」クルマたちと同じ現象だ。

約7年カタログに載り続けたGTの生産終了は、フィアットのマルキオンネCEOが2010年初めに言及したアルファ・ロメオ経営改善計画におおいに関係があろう。
「ドイツのプレミアムブランドに対抗するため、すでにアルファ・ロメオには投資しすぎた」と振り返る彼は、「2010年は苦しい年になる」としてここのところ不振のアルファ・ロメオに対する改革の決意を示した。
なお、後継モデルは目下計画されていないという。

路上で遭遇した陸送中の「アルファGT」。2005年撮影。
路上で遭遇した陸送中の「アルファGT」。2005年撮影。 拡大
ベルトーネの1999年コンセプトカー「ベッラ」。ベースは「アルファ166」。
ベルトーネの1999年コンセプトカー「ベッラ」。ベースは「アルファ166」。 拡大

最後のコラボ作品

デザインを担当したベルトーネにとって、アルファGTは苦い思い出の残るモデルとなった。同社は当初、過去の「フィアット850スパイダー」や「フィアットX1/9」「アルファ・ロメオ モントリオール」のように、デザインしたクルマを自社工場で受託生産できるものと考えていた。しかし、フィアットはベルトーネに委託せず、156と同じ自社の南部ポミリアーノ・ダルコ工場で生産することを選んだのだ。これはベルトーネがのちに経営危機に陥る原因のひとつなった。

ボク個人としては、デザイン的にアルファGTはベルトーネによる1999年のコンセブトカー「ベッラ」のグラマラスなムードを継承したモデルであると思っている。
同時にアルファGTは、戦後さまざまな名車を生んだアルファ・ロメオ×ベルトーネという黄金のコラボレーションの伝統を引き継いだ、(現段階では)最後の作品であることに疑いの余地はない。

また、6月にアルファ・ロメオの故郷ミラノで開催された創業100周年イベントには、アルファGTもヒストリックモデルに混じって多々来場した。とくにたびたび見かけた国外ナンバーのGTに、このモデルが国境を越えてアルフィスタを魅了していたことを感じさせた。

2010年6月26日、ミラノのアルファ100周年祭。英国からの「GT」が「156」に続いて到着。
2010年6月26日、ミラノのアルファ100周年祭。英国からの「GT」が「156」に続いて到着。 拡大
翌27日朝に行われたミラノ環状線パレードで疾走する「アルファGT」。
翌27日朝に行われたミラノ環状線パレードで疾走する「アルファGT」。 拡大

今日の良き日に

アルファGTといえば、ボクにはもうひとつ思い出がある。知人キアラの結婚式だ。当日、式場である市役所で待っていると、挙式開始前にシルバーのアルファGTが通りの向こうから登場した。そしてドアが開くと新婦のキアラが、運転してきた弟のエスコートで降り立った。
弟に聞けば、アルファGTを持っている友達に頼み込んで、今日の良き日にと借りたのだという。

イタリアで結婚式というと、とかく大きなセダンをチャーターしたがるものだが、クーぺを選ぶとは。キアラの白でなくベージュのウェディングドレスと相まってなんとも粋に映った。
加えて、彼らが大学生と高校生だった時代から知っているボクとしては、ケンカが絶えなかった姉と弟が、仲良くタイトなGTの室内に収まっているのには感激した。

イタリアでは結婚式の記念写真撮影に、日本とは比べ物にならないくらい気合を入れ、それは後日分厚いアルバムとなる。そして長年にわたり、家族や新しく知り合った友人に見せては楽しむ。キアラもいつか成長した子供や孫たちにアルバムを見せるに違いない。銀のアルファGTで颯爽(さっそう)と現れた日を。

(文と写真=大矢アキオ、Akio Lorenzo OYA)

結婚式当日、弟の運転する「アルファGT」で現れたキアラ。
結婚式当日、弟の運転する「アルファGT」で現れたキアラ。 拡大
弟のエスコートでパセンジャーシートから降りる。
弟のエスコートでパセンジャーシートから降りる。 拡大
市役所内で記念撮影。
市役所内で記念撮影。 拡大
気がつけば、ハッチは花であふれていた。
気がつけば、ハッチは花であふれていた。 拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。

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