第959回:「うすらデカいフィアット」がもたらしてくれたもの
2026.04.30 マッキナ あらモーダ!「ティーポ」終了のお知らせ
今回は、ちょっと大きめなフィアット車のお話である。
ステランティスの2026年第1四半期の暫定出荷台数が4月15日に発表された。それによると、前年同期比12%増の約140万台となった。伸び率として最も高いのは北米の17%増で、欧州圏は12%の増加を記録した。いっぽう台数では、欧州圏の63万7000台が首位で、北米は37万9000台であった。
ステランティスによると、欧州圏の乗用車台数の増加は、「スモールカー」と呼ばれるプラットフォームを使用した「シトロエンC3/C3エアクロス」「オペル/ヴォクスホール・フロンテラ」「フィアット・グランデパンダ」によるところが大きく、それら全体で約4万8000台、年率で85%増加したという。また中国企業との合弁によるリープモーターのバッテリー電気自動車も好調だという。
イタリア在住の筆者が覚える、年初からの路上における肌感覚を記せば、なかでもシトロエンC3およびC3エアクロスが目立つようになった。
そうした新型車攻勢の陰で、フィアットのCセグメント乗用車「ティーポ」が2026年6月をもって生産終了することが、イタリアの報道機関を通じて報じられている。
現行ティーポは1988年に登場した初代の名称を復活させるかたちで、2015年に発売された。生産はトルコのトファス社との合弁工場が担当。参考までに、姉妹車としてステランティスのメキシコ工場では3代目「ダッジ・ネオン」の名で生産された。
イタリアで当初ティーポは、トルコ市場向けの姉妹車「イージア」をベースにした3ボックスのセダンのみが投入された。しかし3代目「パンダ(パンディーノ)」「500」といったロングセラー車の陰に隠れてしまった。それを挽回すべく、後年5ドアとステーションワゴンが追加され、2020年の部分改良では、より今日的なディテールが加えられた。それでも、比較的年齢層が上の人のクルマ、という印象が拭えなかった。個人需要に関していえば、日本における「日産ブルーバード シルフィ」や「トヨタ・プレミオ」的印象が、定着してしまったのだ。各地の都市警察に納入されたのも、プライベートカーとしてのイメージを薄くした。
「ブラーヴァ」を自家用車にして
とかくフィアットというと、Bセグメント以下のモデルを想起する人が大半だろう。しかし歴史的な車種系列をみると、常に今日でいうところのCセグメント相当、もしくはそれ以上のサイズの乗用車が存在した。当連載第939回で紹介した「124」も一例である。
実は前述のティーポの3代前にあたるフィアット車を、筆者は2000年代にイタリアで自家用車としていた。5ドアハッチバック車「ブラーヴァ」である。同車は1995年、姉妹車「ブラーヴォ(日本名:ブラビッシモ)」とともに発売された。翌年にはセダンおよびステーションワゴン版の「マレア」も市場投入されている。
筆者が中古車で購入したブラーヴァは、1998年式の1.7ターボディーゼルで、走行8万3000km、価格は6200ユーロだった。当時の邦貨換算にして……歴史的ユーロ高/円安の今日では信じ難いが、82万円だった。
シートはカーブを曲がるたびにレール周辺からギシギシと音をたて、運転席ドアも開閉のたびキーキーと悲鳴を上げた。エアコン操作部の透過照明は早いうちから消えてしまった。いずれも、同程度の走行距離の日本ブランド車では、あまりお目にかからない品質であった。装備に関していえば、カセットテープのプレーヤーがA面B面オートリバースでないことに目を疑った。後輪のグリップはけっして良好といえず、過激な運転はしていないのにワインディングロードで冷や汗をかいたこともあった。
それでも、クラッチ抜けによる自動車専用道路での立ち往生以外、致命的なトラブルには見舞われなかった。スイス、 フランス、スロベニア、クロアチア……と、国境越えの旅にも幾度となくお供してくれた。モンツァサーキットのコースで取材のためにロータスやランボルギーニを追い回して走り、観客席の大笑いを誘ったことも含め、ブラーヴァとのさまざまな思い出は、2005年に『カンティーナを巡る冒険旅行』(光人社)に記した。
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パスタ・ビアンコのようなクルマ
ブラーヴァはブラーヴォとともに、1996年の欧州カー・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。しかしながら「うすらデカいフィアット」の宿命で、やはりブラーヴァは地味だった。市場では新車当時から、妹分である「プント」の人気の陰に隠れていた。タクシーによく使われていたうえ、わが家のクルマが業界の標準色である白だったことから、街のおばあさんに間違えて手を上げられたこともあった。
ところで、イタリア人によるパスタの食し方にビアンコというのがある。スパゲティなどをゆでたところに、エクストラバージンオリーブオイルと塩、コショウをかけるだけだ。しかし筆者はこれがいちばん自然体で、好きである。
“ヌオーヴァ500”や初代パンダがコテコテのイタリア料理だとすると、ブラーヴァは、ビアンコで食べるパスタのようなクルマだった。「普通がうれしい/普通が幸せ」という思いを与えてくれたのである。それは日々のさまざまなストレスから筆者を解放してくれた。実際、わが家のアルバムを見返すと、歴代自家用車のなかでいちばん写真点数が多く、脇にいる筆者や女房の表情がいちばん楽しそうだ。たった75HPだったのに、小トラブルが次々と降りかかったのに、である。
鮮烈な個性をもつクルマは素晴らしい。反面、時間が経過したとき、クルマの性能・装備といったハードの思い出のほうが強烈に残ってしまう。対して、さりげないクルマは、乗っていたときの生活がより記憶に刻まれる。
残念ながら昨今、さりげないクルマが少なくなっている。年をとるほど意気がって、高級車や高性能モデルに乗ろうとするおっさんは格好悪いと思うし、もはやそんなことで幸せは手に入れられると信じていない。ゆえに、いつかまたそういう“ビアンコなクルマ”が欲しい。一時、ルノーのサブブランドであるダチアに乗れば、ブラーヴァに似た感覚をふたたび得られるのでは? と考えた時期があったが、近年のモデルは妙に立派になってしまって残念だ。
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地味系フィアットが与えてくれた交わり
ところで、手放してから20年がたつブラーヴァだが、いち家族車とは思えない“形なき宝”も筆者にもたらしてくれた。
ひとつは購入した店である。モデナの自動車販売店、スタンゲリーニだ。そのルーツは第2次大戦前後にフィアットベースのレース用モデルやフォーミュラジュニアで名をはせた名門コンストラクターである。取材で知己を得た創業一族のフランチェスコ・スタンゲリーニ氏は気さくな人で、筆者の無謀ともいえる低予算を嫌な顔ひとつせず聞いて、中古車を手配してくれた。惜しいことに2020年に天国の住人となってしまったが、氏の人柄が今も懐かしい。
もうひとつは、手放して10年以上たってからのことだ。ブラーヴァ発売時にフィアットが制作した冊子を見返していたら、イメージスケッチの横にデザイナーの署名を発見した。その名はマイケル・ロビンソン。ランチアのデザインを統括していた時代には、最高級車「テージス」やそれをもとにしたローマ教皇専用車を手がけ、のちにベルトーネのデザイン責任者も務めた人物である。
本人に聞けば、フィアット入社後にインテリアのチーフデザイナーとして手がけたのがブラーヴァ/ブラーヴォだったという。「フィアットに初めて曲線基調のダッシュボードをもたらしたのは私でした」とロビンソン氏はうれしそうに説明してくれた。わが家の自家用車は名デザイナーの駆け出し時代の仕事だったのである。
「フィアットに乗ってます」と言えば多くの人がパンダや500を想起するイタリアでは、依然としてうすらデカいフィアットの影は薄い。しかし、思い出は知名度や人気度と比例しない。だからこそ自動車は楽しいのである。
(文=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/写真=大矢麻里<Mari OYA>、Akio Lorenzo OYA、ステランティス/編集=堀田剛資)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、25年間にわたってリポーターを務めあげる。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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