自動車メーカーがアピールする「ちょうどいいクルマ」って何ですか?
2026.07.14 あの多田哲哉のクルマQ&A新型車のプレスリリースやカタログを見ていると、時々「ちょうどいい」といううたい文句を目にします。「車両開発において限界・最高を目指した」というのではなく、あえてメーカーが「ちょうどいいものに仕上げました」とアピールするのはなぜでしょうか? 理由をお聞かせください。
大前提として、今のクルマの技術というのは非常に成熟していて、極端に言えば「何だってできる」というレベルに達しています。
ユーザーの方から「次は、どのクルマを選べばいいですか?」と聞かれても、正直なところ、自分の好きなメーカーやなじみのセールスマンがいるからといった、プロダクト以外の要素で選んでも、まず「大失敗した」ということにはならないでしょう。好きなものを選べばいい、というのが今の自動車の完成度です。メーカー間の性能差というものも、現実にはさほどありません。
だからこそ、今は“何でもできる技術”を使って、いかにライフスタイルに合った“ちょうどいいクルマ”を提案できるかが重視されます。自分の生活にちょうどフィットするクルマが選べれば、結果的にユーザーの満足度は高くなるからです。
いわゆるクルマ好きは、走行性能を高めたり、走りの味を突き詰めたりといったことを議論しがちですが、実のところ、一般のユーザーでそうした部分に価値を見いだす人はどんどん減っています。それよりも、毎日使っているスマホとの相性がいいとか、スマホを含めたちょっとした荷物がスマートに置けるとか、充電が簡単にできるといった「生活におけるちょうどよさ(フィット感)」のほうが、はるかに重要視されている。それが今の時代です。
であればこそ、メーカーは「あなたの生活にちょうどいい、非常にバランスのとれたクルマですよ」という意味でそのような宣伝文句を使っていますし、クルマの味つけも、ユーザーの生活の工夫や変化に合わせて変えていっています。ひと昔前のように「走行性能を少しでも上げれば商品性が上がる」という時代は、もう過ぎ去っているのです。
逆に、その「ちょうどよさ」をひっくり返して、何かの性能をものすごく尖(とが)らせるとどうなるか? 「スズキ・ジムニー」のようなクルマが、そのいい例でしょう。
ジムニーは、あのユニークな形と「悪路をタフに走れる」というイメージで人気を博し、クルマ好きともいえない若い方や女性までもが購入しています。しかし、中古車市場を調べてみると、走行距離が短くて年式の新しいジムニーがたくさん売りに出されているのです。
転売目的で売る人も一部にはいますが、お店の人などによくよく話を聞いてみると、「買ってびっくりした。こんなの普段使いでは乗っていられない」と言って手放してしまう人が一定数いるらしいのです。
ジムニーは悪路走破性に特化してつくられているため、サスペンションも今時珍しい「リジッド」です。それに初めて乗った一般の人は、「ハンドルを切ってもまともに曲がらない」「どこに行くんだこのクルマは!」と驚きます。あまりにも足まわりがバタバタしていて、乗り心地が普段使いでは悪すぎるように感じるでしょうし、あの形と重さですから燃費も悪く、アクセルを踏んでも期待どおりに走らない、となる。
そこで「こんなはずじゃなかった、とても乗っていられない」と思って乗り換えてしまう。つまり、ジムニーは「一般の方の生活にとっては、まったくちょうどよくない」という典型的なクルマなのです。高性能スポーツカーもしかり。何かに特化するということは、そういうことです。
普通のメーカーが目指す「ちょうどいい」というのは、尖った性能ではなく、ユーザーのライフスタイルや日常の使い勝手を考慮し、そこにベストバランスさせたクルマのこと。だからこそ、あのコマーシャルや宣伝文句は、ひとつの常套(じょうとう)句として使われているのだと思います。

多田 哲哉
1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。