第49回:『唯一無二』日野コンマース(1960-62)(その4)
2006.09.13 これっきりですカー第49回:『唯一無二』日野コンマース(1960-62)(その4)
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■自慢の機構がアダに?
新しいコンセプトのトランスポーターとして、1960年2月に発売された日野コンマース。だがそのセールスははかばかしくなかった。
原因として考えられるのは、まずは日野の販売力の弱さ。大型トラックやバスでは実績があったものの、小型車に関してはコンマース以前にはルノーしか経験がなかったため、市場調査から生み出された商品とはいえ、実際の販売にあたっては戸惑いや見込み違いなどがあったのかもしれない。
そしてこれまた推測に過ぎないのだが、製品自体にも何か問題、というか敬遠される要素が存在したのかもしれない。その可能性が高いのが、自慢の新機軸だった前輪駆動(FF)である。前輪が駆動と同時に操舵も行うFFでは、ドライブシャフトに角度が可変する「ユニバーサルジョイント(自在継ぎ手)」を使う必要があるが、このユニバーサルジョイントはある程度の角度が付くと、伝わる回転が等しくなくなる。つまりステアリングを大きく切ると前輪の回転が一定でなくなり、振動を起こしてしまうのである。
こうした現象は古いFF車に共通する問題だったのだが、この弱点を是正するために開発されたのが「等速ジョイント」、すなわち操舵角に関係なく回転を等速で伝える継ぎ手だった。当初は高価だった等速ジョイントも、59年に誕生した今日のFF小型車の原点といえるBMCミニ(ADO15)以降、次第に小型車にも普及していくのだが、コンマースが登場した時点では、日本ではまだ部品自体が作られていなかった。
コンマースでは高級な等速ジョイントを使わずとも、比較的シンプルな特殊ユニバーサルジョイントによってトルク変動を完全に吸収し、「急坂路をフルトルクで登坂中、舵取り角度をいっぱいにハンドルを切ってもスムーズに運転できます」と謳ってはいた。だが、新しいうちは問題なかったとしても、ジョイントが摩耗するにしたがって異音や振動を発した可能性は、ヘビーユーザーが多いであろうトランスポーターゆえに十分に考えられる。
また初期のFF車といえば、ステアリングの重さも欠点として挙げられることが多かった。コンマースでは適当なホイールアライメントとステアリングレシオにより、操舵力は軽く戻りも良好とされていたが、はたして実際はどうだったのか。
さらにもうひとつ考えられるのは、「その1」の冒頭に記したトラクションの問題。通常の使用では問題なくとも、過積載によって前輪荷重が軽くなってしまい、その結果十分な駆動力が得られなくなってしまう……というような事態も、当時の日本の状況では考えられないことではなかったと思われる。
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■当初からカルトカー
などと、FFを採用したことに対するネガティブな推論を並べ立ててしまったが、日野がコンマースで見せた進取の精神には敬意を表しており、けっして悪意はない。ただ、あまりにコンマースの販売が振るわなかったゆえに、あれこれ考えてしまうのだ。
では実際どれだけ売れたのか? という話をする前に、発売後のコンマースの動きについて触れておきたい。
「その1」でも述べたように、日野はコンマースの発売から1年ちょっとを経た61年4月、初のオリジナル乗用車である「コンテッサ」を発表する。コンテッサはルノー同様のRRだったが、そのエンジンはコンマース用のストロークを延長(60×79mm)した893ccで、最高出力35ps/5000rpm、最大トルク 6.5kgm/3200rpmを発生した。さらにそのコンテッサ用エンジンをラダーフレームのフロントに積み、後輪を駆動するオーソドックスなボンネットトラック「ブリスカ」も同時に発売された。
時期は定かではないが61年中に、これら2車の後を追ってコンマースのエンジンも893ccに換装される。たいして大きさの違わないエンジンを2種作るのは、考えるまでもなく不合理なので当然の措置だが、これによって最高速度は82km/hから90km/hに向上、バンの最大積載量は2人乗りが500から 600kgに、5人乗りが300から400kgに引き上げられた。また型式名はPB10からPB11となった。
それにしても、GP型と呼ばれるこのエンジンは、RR、FR、FFという3種類の駆動方式のモデルに同時期に並行して積まれたことになる。世界的に見ても、これはかなり珍しいことだろう。
さてコンマースだが、こうしたエンジン増強もカンフル剤とはならず、これまた時期は特定できないが62年中には生産中止されてしまった。2年といくばくかの生涯における総生産台数は、日野の資料によればわずか2344台。ちなみに「これっきりですかー」の第16回から19回にかけて紹介した「ハンドメイドの大衆車」こと「スズキ・フロンテ800」の生産台数は、約3年半で2717台。これについて筆者は「60年代以降に生まれた国産車、それも特殊なスポーツカーなどではなく実用サルーンとしては、おそらくこれは最少記録ではないだろうか」と記したが、生産期間および乗用車と商用車の違いはさておくとして、コンマースはこの記録を塗り替えてしまったわけだ。これではとてもじゃないが、開発費の回収など不可能だったに違いない。
ちなみに日野はその後64年に「コンテッサ」の後継モデルである「コンテッサ1300」、65年に「ブリスカ」をモデルチェンジした「ブリスカ1300」を発売した。しかし66年にトヨタと業務提携を結んだ結果として、コンテッサは67年に生産中止され、ブリスカも一時期トヨタブランドで生産したのちに68年には消滅。乗用車、商用車とも小型車部門からは撤退してしまった。つまりコンマースからのフィードバックが活かされる機会は、少なくとも一般生産車に関してはなかったのである。
新車当時から言ってみれば「レア車」「カルトカー」の類いだったコンマースの残存車両は、きわめて少ないと言われている。筆者が確認しているのは、八王子にある日野自動車の歴史ミュージアム「日野オートプラザ」に展示してあるバン1台のみだが、はたして実働車両はあるのだろうか。もしあるのなら、ぜひとも拝見したいものである。(おわり)
(文=田沼 哲/2006年2月)

田沼 哲
NAVI(エンスー新聞)でもお馴染みの自動車風俗ライター(エッチな風俗ではない)。 クルマのみならず、昭和30~40年代の映画、音楽にも詳しい。
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第53回:「これっきりモデル」in カローラ・ヒストリー〜その4「謎のスプリンター」〜 2006.11.23 トヨタ・スプリンター1200デラックス/1400ハイデラックス(1970-71)■カローラからの独立1970年5月、カローラが初めて迎えたフルモデルチェンジに際して、68年に初代カローラのクーペ版「カローラ・スプリンター」として登場したスプリンターは、新たに「トヨタ・スプリンター」の名を与えられてカローラ・シリーズから独立。同時にカローラ・シリーズにはボディを共有する「カローラ・クーペ」が誕生した。基本的に同じボディとはいえ、カローラ・セダンとほとんど同じおとなしい顔つきのカローラ・クーペに対して、独自のグリルを持つスプリンターは、よりスポーティで若者向けのムードを放っていた。バリエーションは、「カローラ・クーペ」「スプリンター」ともに高性能版の「1200SL」とおとなしい「1200デラックス」の2グレード。エンジンは初代から受け継いだ直4OHV1166ccで、「SL」にはツインキャブを備えて最高出力77ps/6000rpmを発生する3K-B型を搭載。「デラックス」用のシングルキャブユニットはカローラとスプリンターで若干チューンが異なり、カローラ版は68ps/6000rpm(3K型)だが、スプリンター版は圧縮比が高められており73ps/6600rpm(3K-D型)を発生した。また、前輪ブレーキも双方の「SL」と「スプリンター・デラックス」にはディスクが与えられるのに対して、「カローラ・クーペ・デラックス」ではドラムとなっていた。つまり外観同様、中身も「スプリンター」のほうがよりスポーティな味付けとなっていたのである。しかしながら、どういうわけだか「スプリンター1200デラックス」に限って、そのインパネには当時としても時代遅れで地味な印象の、角形(横長)のスピードメーターが鎮座していたのだ。
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第52回:「これっきりモデル」in カローラ・ヒストリー〜その3「唯一のハードトップ・レビン」〜 2006.11.15 トヨタ・カローラ・ハードトップ1600レビン(1974-75)■レビンとトレノが別ボディに1974年4月、カローラ/スプリンターはフルモデルチェンジして3代目となった。ボディは2代目よりひとまわり大きくなり、カローラには2/4ドアセダンと2ドアハードトップ、スプリンターには4ドアセダンと2ドアクーペが用意されていた。このうち4ドアセダンは従来どおり、カローラ、スプリンターともに基本的なボディは共通で、グリルやリアエンドなどの意匠を変えて両車の差別化を図っていた。だが「レビン」や「トレノ」を擁する2ドアクーペモデルには、新たに両ブランドで異なるボディが採用されたのである。カローラはセンターピラーのない2ドアハードトップクーペ、スプリンターはピラー付きの2ドアクーペだったのだが、単にピラーの有無ということではなくまったく別のボディであり、インパネなど内装のデザインも異なっていた。しかしシャシーはまったく共通で、「レビン」(型式名TE37)および「トレノ」(同TE47)についていえば、直4DOHC1.6リッターの2T-G/2T-GR(レギュラー仕様)型エンジンはじめパワートレインは先代から踏襲していた。ボディが大型化したこと、および双方とも先代ほど簡素でなくなったこともあって車重はレビン930kg、トレノ925kgと先代より60〜70kg前後重くなった。
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第51回:「これっきりモデル」in カローラ・ヒストリー〜その2「狼の皮を被った羊(後編)」〜 2006.11.10 トヨタ・カローラ・レビンJ1600/スプリンター・トレノJ1600(1973-74)■違いはエンブレムのみ1972年3月のレビン/トレノのデビューから半年に満たない同年8月、それらを含めたカローラ/スプリンターシリーズはマイナーチェンジを受けた。さらに翌73年4月にも小規模な変更が施されたが、この際にそれまで同シリーズには存在しなかった、最高出力105ps/6000rpm、最大トルク14.0kgm/4200rpmを発生する直4OHV1.6リッターツインキャブの2T-B型エンジンを積んだモデルが3車種追加された。うち2車種は「1600SL」と「1600SR」で、これらはグレード名から想像されるとおり既存の「1400SL」「1400SR」のエンジン拡大版である。残り1車種には「レビンJ1600/トレノJ1600」という名称が付けられていたが、これらは「レビン/トレノ」のボディに、DOHCの2T-Gに代えてOHVの2T-B型エンジンを搭載したモデルだった。なお、「レビンJ1600/トレノJ1600」の「J」は「Junior(ジュニア)」の略ではないか言われているが、公式には明らかにされていない。トランクリッド上の「Levin」または「Trueno」のエンブレムに追加された「J」の文字を除いては、外から眺めた限りでは「レビン/トレノ」とまったく変わらない「レビンJ/トレノJ」。だがカタログを眺めていくと、エンジンとエンブレムのほかにも「レビン/トレノ」との違いが2点見つかった。
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第50回:「これっきりモデル」in カローラ・ヒストリー〜その1「狼の皮を被った羊(前編)」〜 2006.11.6 誕生40周年を迎えた2006年10月に、10代目に進化したトヨタ・カローラ。それを記念した特別編として、今回は往年のカローラおよびその兄弟車だったスプリンター・シリーズに存在した「これっきりモデル」について紹介しよう。かなりマニアックな、「重箱の隅」的な話題と思われるので、読まれる際は覚悟のほどを……。トヨタ・カローラ・レビンJ1600/スプリンター・トレノJ1600(1973-74)■スパルタンな走りのモデル型式名TE27から、通称「27(ニイナナ)レビン/トレノ」と呼ばれる、初代「カローラ・レビン1600/スプリンター・トレノ1600」。英語で稲妻を意味する「LEVIN」、いっぽう「TRUENO」はスペイン語で雷鳴と、パンチの効いた車名を冠した両車は、2代目カローラ/スプリンター・クーペのコンパクトなボディに、セリカ/カリーナ1600GT用の1.6リッターDOHCエンジンをブチ込み、オーバーフェンダーで武装した硬派のモデルとして、1972年の登場から30余年を経た今なお、愛好家の熱い支持を受けている。「日本の絶版名車」のような企画に必ずといっていいほど登場する「27レビン/トレノ」のベースとなったのは、それらが誕生する以前のカローラ/スプリンターシリーズの最強モデルだった「クーペ1400SR」。SRとは「スポーツ&ラリー」の略で、カローラ/スプリンター・クーペのボディに、ツインキャブを装着して最高出力95ps/6000rpm、最大トルク12.3kgm/4000rpmを発生する直4OHV1407ccエンジンを搭載したスポーティグレードだった。ちなみにカローラ/スプリンター・クーペには、1400SRと同じエンジンを搭載した「1400SL」というモデルも存在していた。「SL」は「スポーツ&ラクシュリー」の略なのだが、このSLに比べるとSRは装備が簡素で、より硬い足まわりを持った、スパルタンな走り重視のモデルだったのである。
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第48回:『唯一無二』日野コンマース(1960-62)(その3) 2006.9.13 1959年10月に発表され、東京・晴海で開かれた「第6回全日本自動車ショー(東京モーターショー)」でも注目を集めたコンマースは、翌60年2月に発売された。
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