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第137回:思い出の「デロリアン」をあの人に返す大作戦!

2010.04.10 マッキナ あらモーダ! 大矢 アキオ
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第137回:思い出の「デロリアン」をあの人に返す大作戦!

幻の「デロリアン」購入計画

「デロリアンDMC-12」といえば映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のタイムマシーンとして有名だが、ボクは本気で「デロリアン」を手に入れようと考えたことがあった。ときは1990年。それまで乗っていた「フィアット・ウーノ」の後継マイカー探しをしていたときだ。

まず候補にあがったのは当時発売間もなかった「トヨタ・セラ」だった。先行したコンセプトカー「AXV-2」そのままの広いグラスエリアをもつガルウィングドアは、えらく魅力的に映った。しかし、フロアパンをスターレットと共用するクルマに、160万円近く出費するのは、少々複雑な気がした。

しばらくして中古車も探してみたが、あいにく走行距離5万km越えばかりだった。そんなに走っていると、ATのオーバーホールも近そうだ。全体のスタイリングも極めて洗練されていたセラだが(今でもそう信じている)、ドアを閉めると、まったくもっておとなしい姿になってしまうのも悲しかった。そうかといって、開けたまま走ったり、意味もなく人前でパカパカ開閉するわけにもいかない。

そこで、悩んだあげく“ガルウィング”ということで連想ゲーム的に思いだしたのが「デロリアンDMC-12」だった。DMC-12はデビュー(1981年)からすでに10年以上が経過していた。でもそのステンレス製ボディパネルが漂わせるハイテク感とほんのりとしたワイルド感は、まったく色あせていなかった。同時に、そのクルマがもつ劇的なストーリーにシビれていたボクだった。

考案者のジョン・ザカリー・デロリアンは、GM在籍中の1960年代、「おっさん・おばちゃんのクルマ」に成り下がっていた「ポンティアック」を、若者向けのスポーティーかつワイルドなブランドとして復活させることに成功。副社長のひとりにまで上り詰めた。
GMの副社長というのは、かなりの人数がいるので、それ自体はたいしたことではない。だが彼のキャラクターは破天荒だった。ハリウッドスターたちと懇意かと思えば、役員会にジーンズの上下で出席してお堅いGMのトップたちからひんしゅくを買ったりした。
なお、彼はGMの内幕を、「晴れた日はGMが見える」という回想録にまとめている。

1970年代前半、GMを突如辞したデロリアンは、数々の著名人に加えて、北アイルランド行政府からも資金をかき集め、同地に自らの名を冠した自動車工場を設立する。延期に次ぐ延期ののち、デロリアンDMC-12は1981年、ようやく日の目を見た。しかし、物語はそこで終わらなかった。ジョン・デロリアン自身は麻薬取引のおとり捜査で現行犯逮捕され、会社も破産してしまう。

のちにデロリアンは裁判で潔白を勝ち取る。だが彼は業界の表舞台への復帰を果たせぬまま、2005年に80歳でこの世を去った。
ミシガンにある彼の墓には、DMC-12のレリーフが埋め込まれている。なお後年、DMC-12の復活プロジェクトが立ち上げられたが、今回は割愛させていただく。

さて、ボク自身の話に戻そう。
その頃デロリアンの中古価格は、中古車情報誌『カーセンサー』で約300万円だったと思う。(ちなみに本稿を書くにあたり調べてみたら、今も相場は同程度らしい)。
当時ボクが勤めていた二玄社の自動車専門誌『SUPER CG』編集部で購入構想をあるスタッフに明かすと、「あれはワックスのかわりに、カネヨンで磨く」と真偽の判断がつきかねる話をしてくれたのを覚えている。

結果をいうと、ボクはデロリアン購入計画を断念した。ボクが住んでいた東京多摩地区からは、信頼できるといわれたサービス工場は遠かった。また「たとえエンジンが汎用ともいえるPRV製であっても、壊れるとえらく費用が掛かる」という忠告を識者から受けたのも、ビビる原因となった。

結局ヤナセで中古の「ビュイック・リーガル(本国名:センチュリー)」を購入、クルマ選びは決着した。

「デロリアンDMC-12」(写真=ITALDESIGN-GIUGIARO)
「デロリアンDMC-12」(写真=ITALDESIGN-GIUGIARO) 拡大
「デロリアンDMC-12」のリアビュー。トリノの仮ナンバー(PROVA)が付いている。(写真=ITALDESIGN-GIUGIARO)
「デロリアンDMC-12」のリアビュー。トリノの仮ナンバー(PROVA)が付いている。(写真=ITALDESIGN-GIUGIARO) 拡大

もう1台のデロリアン

実をいうと、その後ボクは「デロリアン」を手に入れた。翌1991年に最初で最後の親孝行旅行でアメリカに行った折、ミシガンのヘンリー・フォード・ミュージアムの売店で見つけたのだ。へへへ、そう。モデルカーである。
ピューター(しろめ。錫(すず)と鉛の合金)製のそれは、実車の質感を怪しいまでに再現していた。80ドル近くしたにもかかわらず、衝動買いしたのを覚えている。

のちの1996年にボクは会社員を辞めて独立、イタリアに渡るという人生の転機を経験する。それに合わせてミニカーやモデルカーをほとんど手放したが、ついついデロリアン模型だけは持ち続けてしまった。それには、家族旅行の翌年にクルマ好きだった母親がいきなり他界したこと、デロリアンのようにチャレンジしていかねば、という自分へのプレッシャー……など、今になってみると、理由はいろいろあったと思う。
しかし最近になって、「こういう困難な時代だからこそ、過去に固執していてはいかん」と思い始め、この小さなデロリアンも手放すことにした。オークションに出品して小銭を稼ぐ手もあった。でもこれだけ何年も共にしたものが、他人の手に渡るのも内心悔しい思いがある。

そこで思いついたのは、あの人である。デロリアンのスタイリングを手がけたジョルジェット・ジウジアーロご本人だ。
元箱をとうに紛失してしまったボクは、梱包用プチプチクッションにデロリアンを包み、ジュネーブショー会場のイタルデザイン−ジウジアーロ社のスタンドに持参した。
ジウジアーロをつかまえて「ジャーン!」と見せると、
「おお、ステンレスっぽいねぇ〜」と風合いがよく出ていることに彼も感激した。
「どこで見つけたんだい?」と聞かれたので
「その昔、フォード・ミュージアムで見つけたんです」と説明すると、あたらめてしげしげと眺めていた。

あとの客も控えているのでボクが手短に「これ、差し上げます」と告げると、御大は「グラーツィエ!」と言い、なんと丁寧な日本式おじぎをしてくれた。仕事のときは厳しい彼ゆえ、そうしたお茶目なアクションが妙にコントラストとして映る。
かくして、ボクの小さな「デロリアン」は創造主の手元に押し付け……いや、戻っていった。

ボクが持っていたデロリアンのピューター製モデル。
ボクが持っていたデロリアンのピューター製モデル。 拡大
ロードアイランド州ラムフォードのコレクターズケース社製。
ロードアイランド州ラムフォードのコレクターズケース社製。 拡大
2010年ジュネーブショーで。ジョルジェット・ジウジアーロと新作コンセプトカー「エマス」。
2010年ジュネーブショーで。ジョルジェット・ジウジアーロと新作コンセプトカー「エマス」。 拡大
ジウジアーロ氏にデロリアンを贈呈する筆者。
ジウジアーロ氏にデロリアンを贈呈する筆者。 拡大

秘密のカロッツェリア

ところでジウジアーロの手に渡ったその小さなデロリアンは、実は過去に一度「レストア」を経験している。
『SUPER CG』編集部の記者時代、ボクはデロリアンを長いこと机上に飾っていた。ある日、当時の上司『SUPER CG』編集長の高島鎮雄氏が、「ちょっと貸して」と言う。
デロリアンは、ピューターの柔らかさゆえか、片側のピラーが変形して曲がっていた。それはミュージアム売店に陳列してあったときからだった。それを高島氏が直してくれるというのだ。

いくら上司でも、モデルカーのプロではない。ボクは「いいえ、結構です」と最初は丁重に、最後には強硬に断ったのだが「上司の言うことは素直に聞け!」と言う先輩が、すきをみてボクからデロリアンを奪い、高島氏に渡してしまった。

結果とはいうと、上司は机の引き出しにあったミニ工具を器用に操り、あっという間に直してしまった。
ジウジアーロが満足したのも、高島氏のリタッチがあったからに違いない。ついでに思ったのは、あのときすんなりと上司にデロリアンを委ねていれば、社内でもう少し出世していたかもしれない、ということだ。

(文=大矢アキオ、Akio Lorenzo OYA/写真=大矢アキオ、ITALDESIGN-GIUGIAR)

『SUPRER CG』初代高島編集長による修復と、疑心暗鬼で見守る筆者(再現図)。(イラスト=大矢アキオ、Akio Lorenzo OYA)
『SUPRER CG』初代高島編集長による修復と、疑心暗鬼で見守る筆者(再現図)。(イラスト=大矢アキオ、Akio Lorenzo OYA) 拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。

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