第272回:クライスラーブランドの「イプシロン」は、日本人の買い物センスに対する挑戦状だ!
2012.11.23 マッキナ あらモーダ!第272回:クライスラーブランドの「イプシロン」は、日本人の買い物センスに対する挑戦状だ!
新アメ車のライバルは「クラウン」と「フーガ」
筆者の新刊『イタリア発シアワセの秘密』の記念講演とラジオ出演のためにやってきた東京。偶然にも、ふたつのアメリカンブランドの日本発表があるという話を聞いた。日本生活時代に2台の「ビュイック」の中古車を乗り継いだボクとしては、聞き捨てならない。早速、足を向けることにした。
ひとつはキャデラックの「ATS」、もうひとつはクライスラーの「300」である。キャデラックATSは全長4.68メートルの2リッターターボ、対してクライスラー300 はATSよりひと回り大きい全長5.07メートルの3.6リッター車だ。直接のライバルではない。
しかし、ベースモデルの希望小売価格はATSが439万円から、300が398万円からで、いずれの広報担当者も「トヨタ・クラウン」「日産フーガ」と十分競合できる価格であることを強調していたのが印象的だった。これからセールスの現場でも、そうしたトークが展開されるに違いない。
余談だが、このほどクライスラーのブランドアンバサダーとして、俳優の浅野忠信氏が選ばれた。発表会場で話しかけてみようと思ったものの、自分が結婚以来16年も嫁シャン(嫁さんのシャンプー)を使い続けていることに気付き、思いとどまった。
イギリス仕様がベース
フィアット クライスラー ジャパンは、300の発表に合わせて、もう1モデルの日本仕様を発表した。ニュース記事を読んでご存じの方も多いと思うが「クライスラー・イプシロン」である。
クライスラー・イプシロンは、イタリアでは2011年夏から販売されている「ランチア・イプシロン」のバッジを替えたものだ。製造もランチア・イプシロンや「フィアット500」と同じ、ポーランドのティヒ工場製である。さらに詳しく言うと、日本と同じ右ハンドルの国であるイギリス仕様をベースに、保安基準に適合させるなどして、日本市場向けにしたものである。
イギリスおよびアイルランド市場においてランチアブランドは、1990年代中盤から輸入が途絶えていたが、2010年にフィアット・オート本社が下した方針により、クライスラーブランドで販売が再開されているのだ。
また、右ハンドル仕様という以外に、クライスラーブランドで販売する理由について、フィアット クライスラー ジャパンの担当者が筆者に語ったところによれば、日本で一般的に知名度が高くないうえ、ゼロからディーラー網を構築する必要があるランチアに対し、クライスラーブランドなら一定の認知度があり既存ディーラー網があるという判断から、クライスラーの名前をつけたという。
クライスラーと欧州の深い関係
そこいらに駐車しているイプシロンが当然のごとくランチアである“本場”に住むボクとしては、もちろん今回の「クライスラー・イプシロン」の日本導入に驚かなかったといえばウソになる。加えて昨日今日に始まったクルマ好きではないため、“クライスラー=ビッグなアメリカ車”のイメージが拭いきれない。たとえフィアットとクライスラーがひとつのグループであることは認識していても、である。
しかし、クライスラーの歴史をひもといてみると、欧州とクライスラーの関係は決して唐突なものではないことがわかってくる。
まずは1960年代後半。当時のクライスラーは、ライバルのゼネラル・モーターズやフォードに比べ後れをとっていた欧州進出を急ピッチで企てていた。そしてイギリスでルーツグループを、フランスではシムカを買収することで1967年にクライスラーヨーロッパを形成した。
この突貫作業のような欧州オペレーションは、1970年代末になってクライスラーが倒産寸前の状態に陥り、名経営者として知られるリー・アイアコッカによって再建された際、経営危機を引き起こした一因として取り上げられたものだ。
だが、ヨーロッパ製クライスラーの当時を知るフランス人によると、堅実なメカニズムゆえに信頼性が高く、それなりの定評があったという。また、今日PSAプジョー・シトロエン工場になっている、パリ西郊ポワシーにあった旧シムカのクライスラー・フランス工場で働いていた従業員たちは、「当時クライスラーヨーロッパでの開発は、ポワシーの敷地内にあった専用の開発センター主導で行われていた」と胸を張る。デトロイト本社の単なる出先による、縮小コピーでは決してなかったのである。
クライスラーとヨーロッパの関係は続く。1987年に誕生した3代目「クライスラー・ルバロン」には、それをベースにした「TC バイ マセラティ」というスペシャルモデルが造られた。あくまでもルバロンの豪華版的存在だったが、イタリア系移民の子息だった前述のアイアコッカが、当時マセラティ社を所有していたアレハンドロ・デ・トマゾと意気投合して造った。また、クライスラーの低価格戦略車として1994年に発表され話題を呼んだ初代「ネオン」は、欧州市場でも販売されていた。
欧州でなかなか良い「クライスラー」のイメージ
すでに記したように、日本でイプシロンがクライスラーブランドとして発売されると聞いていささか驚いたボクであるものの、「クライスラー」というブランドに失望しているわけではない。なぜなら、クライスラーのイメージは、イタリアやフランスで決して悪くないからだ。
それにはダイムラー・クライスラー時代にオーストリアのユーロスター社(のちにマグナ・シュタイアに吸収される)で生産がスタートしたMPV「ボイジャー」(3代目および4代目)のヒットが大きく貢献している。
ちなみに、逆にボクが欧州市場で心配なのは、そうした純粋クライスラーよりも、クライスラーとランチア両ブランドの統合政策により誕生した“ランチアブランドをまとったクライスラー”である。
イギリス、アイルランド以外の欧州でフィアットは、「クライスラー300」を「ランチア・テーマ」、「クライスラー200コンバーチブル」を「ランチア・フラヴィア」として販売している。もちろんいずれも往年に存在したランチアの同名車とはまったくの別もので、もともとドイツ車が支配していたうえ、経済危機という暗雲がたちこめる高級車市場で販売は芳しくない。2012年6月のイタリア国内登録台数をみると、「アウディA6」の478台に対して、「ランチア・テーマ」はわずか38台である。
変われるか、日本人
さて、話を戻そう。ボクが考えるに、クライスラーのイプシロンは、日本人がもつ旧来の自動車メンタリティーへの「挑戦状」である。
イタリア市場でのイプシロンは、販売台数は減少気味ではあるが、2012年上半期で2万7000台以上を売り上げ、3位にランクインする人気車種である。特に女性ユーザーに人気が高い。
先代イプシロンはイタリアのシチリア島にあるテルミニ・イメレーゼ工場で生産されていたが、労使問題と、島ゆえの悪い輸送効率性に長年悩まされていた。そのためフィアットは、現行モデルから前述のポーランド工場に生産を移してしまった。
ポーランド工場は、フィアットグループのなかでもそのクオリティーコントロールのレベルが高く、イタリアの工場ほどの労使問題もないことから識者によって高く評価されている。イプシロンより先にポーランドで生産されていた新型「500」の高い品質評価は、それを裏付けたかたちだ。つまり、イプシロン自体は、製品としては定評があるクルマなのだ。
昨今クルマ以外の製品ジャンルに目を向ければ、価格と品質のバランスがよく、デザインに優れた商品なら、生産国は問われない時代に突入している。それはアップル製品が決して安くないにもかかわらず、生産工場がどこであるかにこだわる人間が極めて少ないのを見れば、わかることだ。
ブランドだけで判断する時代が、終焉(しゅうえん)を迎えようとしている。日本における輸入車の世界も、この潮流に乗れなければ、危うくなってゆくだろう。「クライスラーの“ランチア・イプシロン”」は、日本の輸入車ファン、いや日本人全体の買い物センスに突きつけられた、挑戦状である気がしてならないのだ。
(文=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA/写真=大矢アキオ、フィアット クライスラー ジャパン)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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