アストン・マーティン DBS(FR/6MT)【海外試乗記(前編)】
ヒーローの条件(前編) 2008.04.29 試乗記 アストン・マーティン DBS(FR/6MT)「ヴァンキッシュ」に置き換わるべく誕生したアストン・マーティンのフラッグシップ「DBS」。『CG』高平高輝が英国からリポートする。
『CG』2008年1月号から転載。
美しく精緻な“ECU”
ステンレススチールとサファイアガラスで作られたアストン・マーティンDBSのキーを握った瞬間、やられた、と思った。上等な腕時計のように滑らかで重い長方形の電子キー。いや、正しくは電子キーとかスマートキーと呼んではいけないらしい。ミニ・モノリスのようなキーの正式名称は「ECU」。といっても、エンジンを制御するチップが詰まったエンジンコントロールユニットのことではなく、“Emotional Control Unit”の略であるという。
そこまで気取るといくらなんでもちょっと嫌らしくないか、という気もしたが、見事な出来栄えがそれを補って余りある。美しく精緻だが、外からは窺い知れない機能を秘める硬質なECU。なるほど、世の中が40年前ほど単純ではなくなった現代に活躍するジェームス・ボンドのポケットに納まるものとして真に相応しくはないだろうか。
初めて訪れたゲイドンの本社工場は明るく活気に溢れていた。周知のように、アストン・マーティン・ラゴンダ社は、親会社であるフォードの経営難を受けて、2007年の3月にプロドライブの創設者であるデイヴィド・リチャーズ率いる投資家集団に売却されたが、それによる不安の影は現場には微塵も感じられなかった。
活気あるゲイドン
伝統的な英国ブランドは押し並べてそうだが、会社組織の変更やM&Aには慣れっこというか、しぶといというか、とにかく少々の苦難にはへこたれずに生き延びる力強さを持っている。1913年の創立以来、これまでに7回に及ぶという倒産、あるいは倒産寸前の経営危機を乗り越えて、今や見事に復活を遂げたアストン・マーティンにとって、オーナーシップの変更ぐらいではまったく驚いたり慌てたりするに及ばないということなのだろう。
実際、ざっと2000人の従業員の雇用にまったく影響はないし、すでに新生アストン・マーティンを率いて7年になるウルリッヒ・ベッツ現社長も今後少なくとも5年は引き続きその任に当たるという。2009年末にデビューすると言われる新型4ドア・アストン、すなわち伝統の名前を復活させた「ラピード」プロジェクトも予定通り進行中だという。
2003年春から本格稼動したゲイドンの整然とした工場では、DB9クーペとヴォランテ、V8ヴァンテージのクーペとロードスターが続々と生産されていた。その一角にはラインと呼べないほどこぢんまりとした、DBS用生産設備の設置作業が行なわなれた。アストン・マーティンは2006年には年間7000台余りを生産(うち約300台がニューポート・パグネルでのヴァンキッシュS)、2007年はそれ以上を見込んでいるという。むしろ心配すべきは隣接した敷地に建つジャガーとランドローバーの将来である。
ちなみに1954年以来の伝統を持つニューポート・パグネル工場はすでに7月一杯でヴァンキッシュSの生産を終了しており、その敷地は今後売却される予定だが、そこから道を一本挟んだ向かい側に建つワークス・サービス(1950年以降のあらゆるアストン・マーティンのレストア、メインテナンスを引き受けるオフィシャル・ワークショップ)は、現状のままビジネスを続けるという。
新世代のフラッグシップ
これまでのヴァンキッシュに代わる旗艦モデルのDBSは、ひと足先に「カジノ・ロワイヤル」でダニエル・クレイグ扮するジェームス・ボンドの愛車としてスクリーンにデビューしているが、実物が初めてお披露目されたのは、2007年夏のペブルビーチ・コンクール・デレガンスだった。
その後のフランクフルト・ショーまではつぶさに見る機会がなかったために、DB9にコスメティック・チェンジを施して、よりスポーティに仕立てただけの派生モデルではないかと訝る向きもあっただろう。私自身も多少疑わなかったといえば嘘になるが、その価格と詳しいスペックを聞いて納得させられた。
先に言ってしまえば、すでに発表されている日本での価格は3270万円。これはベースモデルとなったDB9(6MTで1892万円)どころか、ヴァンキッシュSをも軽く上回る。ずいぶんと高いんじゃないかと広報氏に思わず漏らしたら、「DBSではスタンダードのカーボン・セラミック・ブレーキだけでフェラーリは10000ポンドの追加料金を取るよ」と笑った。
とはいえ、あの宝石のようなキーを見せつけられては呻るしかない。デザイン・ダイレクターを務めるマレック・ライヒマンによれば、車そのもののデザインと同じぐらいの手間隙をECUにかけたというが、矯めつ眇めつしてばかりいてはエンジンもかけられない。さっそく始動の儀式を始めよう。
どんな手管に乗ってもいい
センターコンソールの一等地にあるスロットに件のECUを差し込み、LEDの赤い光が透けて点ると準備完了、そのまま押し込めばDB9など他のアストン同様、一瞬の咆哮とともに、だがより猛々しいブリッピングとともに6リッターV12が目覚める。少々演出過剰気味といえなくもないが、その排気音にはどんな手管に乗ってもいいと思わせる引力がある。
DBSのパワーユニットは、ヴァンキッシュやDB9と基本的には同じオールアルミ製5935ccV12だが、バイパスバルブを設けたエアインテークと形状を見直した吸気ポートの採用、圧縮比アップ(DB9の10.3→10.9:1)などの改良によって、DB9の456psから517ps(380kW)/6500rpm、570Nm(58.1mkg)/5750rpmへ一気に強化された。もっともヴァンキッシュSは528psを生み出していたから、それほど無理なチューンではないだろう。アストン・マーティンは伝統的に絶対的なパワーではなくバランスを追求してきたブランドである。
ギアボックスは今のところグラツィアーノ製6段MTのみ、もちろんアルミ・ダイキャストの頑丈なトルクチューブに収められたカーボン・プロペラシャフトがリアマウントのギアボックスにつながるトランスアクスル方式である。将来的には通常のマニュアル・ギアボックス以外の変速機も考慮しているというが、それがDB9のようなATベースになるのか、いわゆるセミATになるのかは未定だという。(後編につづく)
(文=高平高輝/写真=アストン・マーティン/『CG』2008年1月号)
