第279回:「ムルティプラ」が“おやじボイス”だった頃。涙なみだの欧州カーナビ史
2013.01.18 マッキナ あらモーダ!第279回:「ムルティプラ」が“おやじボイス”だった頃。涙なみだの欧州カーナビ史
起亜自動車とGoogleマップ
2012年末から2013年初めにかけて、ヨーロッパ自動車界の話題をさらったものといえば、意外にも韓国の起亜自動車だった。
まずは2012年12月28日、アウディ在籍時代に「アウディTT」を手がけたことで知られるドイツ人デザイナー、ペーター・シュライヤー氏を社長に抜擢したこと。もうひとつは、カーナビに関することだった。2013年1月3日、グループ内のヒュンダイとともに2013年中盤から北米で販売する車両に、「Google(グーグル)」および「Googleマップ」機能を搭載したインフォテレマティックシステムを採用することを発表したのだ。
グーグルは、すでに2010年からアンドロイドOS搭載スマートフォン向けに「Googleマップナビ」サービスの提供を始めている。また、いわゆるスタンドアローンのカーナビと違い、パケット通信料は発生することも事実だ。
しかしメーカー純正カーナビと、世界一有名な地図アプリとの統合は、従来通信式カーナビのハード/ソフトに高いお金を払っていた人や、それ以前に、ボクのように純正装着カーナビの地図ソフトが年を追うごとに古くなって悲しい思いをしたことのある人にとっては、かなりの朗報である。
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値段は家賃の3倍だった
話はかわって、東京で編集記者をしていた1994年、いち早くカーナビ専門誌の立ち上げに参画したボクである。1996年にイタリアへ渡ると、早速当地のカーナビ事情に注目した。
当時日本のアフターマーケット市場では、GPS測位方式だけなら、すでに10万円以下の普及機が出回り、人気ボーナス商品のひとつに数えられていた。いっぽうイタリアはといえば、まだその存在すら一般に知られていなかったと言ってよかった。
渡航した同年に開催された1996年ボローニャ・モーターショーでようやく見つけたのは、ランチアの最高級車「カッパクーペ」に誇らしげに装着されていた「ルートプランナー」という機種である。フィアットがマニエッティ・マレリ社と共同開発したものだった。写真でご覧のとおり、画面に対して、ディスプレイ本体は弁当箱のようにデカかった。
そんなことを言っていたら、4年後の2000年に、そのルートプランナーのお世話になる日が来た。前述のカーナビ専門誌の最新号で、誕生したばかりの「フィアット・ムルティプラ」に乗ってイタリア北部からスイスを旅する企画を実現することになった。そのムルティプラには純正カーナビとして、GPS+自律航法のルートプランナーが付いていたのだ。
ムルティプラ用ディスプレイは4年前のカッパ用よりシェイプアップされていたうえ、ダッシュボードの中央とステアリング正面両方に差し替えられるようになっていた。フィアットのインテリアデザイナーのアイデアを、カーナビ開発チームが見事に実現したものだろう。ただし、画面はタッチパネルではなく、リモコンですべてを操作する方式だった。さらに音声は男声、つまりおやじボイスのみだった。
ちなみに手元のメモによると、工場装着オプション価格は360万リラ(約18万円)で、大卒平均初任給のほぼ2倍であった。ついでにいうと、当時ボクが借りていたアパート家賃の3.6カ月分であった。
地図データはオランダのナブテック社によるものだったが、記録媒体はまだCD-ROMだった。収録エリアは原則として国別で、国境を越えるごとにシート下に潜り込み、本体のCD-ROMを入れ替えなければならなかった。ルート探索時間も国境越えを含んでいると、小さなキャンディーをなめ終わるくらいの時間を要したのを覚えている。
「簡易カーナビ」とは知らずに……
2001年に同様の企画で借りた「アルファ147」では、ようやくカーナビ音声が女性ボイスになっていた。さらに147には、分岐点が近づくと、メータークラスター中央にカーナビに連動した矢印が出るようになった。携帯回線で情報センターと音声交信できるコネクトシステムも加わっていた。
地図CD-ROMも1枚になった。だが、ぬか喜びだった。国境を出た途端、妙に大ざっぱな地図になってしまったのだ。ヨーロッパ版をうたっていたものの、実際は「イタリア詳細・ヨーロッパ広域」版といった感じのもので、大いに落胆した。
地図データがDVDに収録されたクルマにボクがようやく乗れたのは、翌2002年になってからである。またまたカーナビ誌の取材のため借用した「ジャガーSタイプ 4.0 V8」である。このジャガーに純正搭載されていたカーナビはデンソー製だった。地図供給元こそムルティプラや147と同じナブテックだったが、トランク内の本体に収められたDVD1枚で欧州主要国を、それも詳細にカバーできるようになった。
ささいなことだが、40ページにわたるカーナビ取扱説明書には英国王室御用達を示す紋章が刷られていた。もちろんジャガーに与えられたものであるが、カーナビの取説に御用達マークが付いたのは快挙と言えよう。
ただしこのジャガー用カーナビは当時の邦貨にして約36万円のメーカーオプションで、かつテレビ付きだと約45万円に達し、欧州ではまだまだ一般ドライバーにほど遠いものだった。ボクがイタリアの知人に「カーナビ、試したよ」と言っても、カーナビというものの概要から説明しなければならない時代だった。わずか11年前のことだ。
そうしたなか、簡易型ともいえるカーナビも存在したのも事実だ。オーディオと同じ1DINサイズの中に、モノクロ液晶の矢印で示す方式である。ボクが試したのは、マイナーチェンジ後の2005年型フィアット・ムルティプラに装着されていたブラウプンクト製だった。表示も単純なら、記録媒体も1カ国1枚のCD-ROMだった。この程度の代物にもかかわらず、価格はこれも当時の邦貨にして13万円した。
この簡易ナビには、実は思い出がある。「試した」と書いたものの、本当は一般的なカーナビ装着車だと信じて車両を借りに行ったのである。簡易ナビであることを知ったボクは、当然フィアット本社の広報担当者にややけんか腰で抗議した。
「わが家から470キロもかけてトリノまでやってきたうえ、カーナビ専門誌の取材だというのに、こ、これは何なんですか!」というわけである。
すると、担当者は「これがフィアットの最新カーナビだ!」と開き直った。その場にはちょっとした緊張状態が走ったが、簡易カーナビが消滅した今となっては珍品を試せた良いチャンスだったと思っている。
出るか? レトロ調カーナビ
そうした混沌(こんとん)の欧州カーナビ界に終止符を打ったのが、2005年前後から爆発的普及が始まった、ディスプレイ/本体一体型の安価なPNDである。
特にオランダのトムトム社製PND「トムトムゴー」は欧州で大ヒットした。ばんそうこうを多くの人が「バンドエイド」と称するのと同様、TomTomは登録商標にもかかわらず欧州でPNDのみならずカーナビの代名詞となってしまった。
そういえばボクの知り合いのイタリア人は、当時いち早くトムトムを懸賞で手に入れて得意になっていたのだが、ローマでこれまたいち早く車上荒らしに遭って盗まれてしまった。本人にはかわいそうだが、トムトム人気を象徴する事件であった。好調の波に乗ったトムトム社はその後、数々の欧州メーカーとカーナビの共同開発も進めるようになった。
いっぽう最近はといえば、面白い現象もある。以前はメーカーオプションというと、前述のジャガーSタイプのようにセンターコンソールにどっしりと埋め込まれたものを指し、純正のステータス感を漂わせていたものだが、最近はPNDを発展させたり、もしくはイメージさせるデザインが積極的に採用されるようになった。前者の例としては「フォルクスワーゲンup!」の欧州仕様があり、後者の例としてはメルセデス・ベンツの新型「Aクラス」「Bクラス」がある。このあたりも、PNDが与えた影響の大きさがうかがえる。
悲しいのは、ボクが個人的に振り返ってもこれだけ歴史があるカーナビにもかかわらず、クルマと違って「ヴィンテージカーナビ」が存在し得ないことだ。
実際のところは、古いカーナビなんぞ使って走ったら、地図データの古さはもちろん、ルート計算の殺人的な遅さにへきえきし、画面の暗さを嘆き、スクロールのだるさに絶望するに違いない。だが、もし古いクルマに装着する場合は、当時のカーナビのデザインのほうが合うにきまっている。
思えば携帯電話は、いくら今日に通用する秀逸なデザインや自分が気に入ったものであっても、アナログ時代や旧デジタル方式のものは使えない。パソコンだって、古いモデルは最新ソフトが使えない。蛇足ではあるが「日曜日の朝、早起きをしてテレビをつけ、シャープ提供の『パソコン入門』でBASIC言語を一生懸命勉強したよ!」と言っても、もはや誰にも相手にしてもらえないのが悲しい。
カーナビも携帯も、そしてパソコンも、昔のデザインを懐かしむ人のために、「トヨタ・オリジン」のような疑似レトロがいつか登場するのだろうか? ついでに、復古調アイテムの登場は進化の限界の暗示か、それとも進化過程の遊びか? 想像が尽きないところである。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、フィアット)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、25年間にわたってリポーターを務めあげる。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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