第320回:フェルッチョ・ランボルギーニが愛したパン
2013.11.01 マッキナ あらモーダ!世界一うまいパン
多くの読者がご存じのように、今年(2013年)はランボルギーニの創立50周年だ。家族によるフェルッチョ・ランボルギーニの一代記『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(トニーノ・ランボルギーニ著・拙訳。光人社刊)にこんなシーンがある。
サンタアガタ・ボロニェーゼに新築した本社工場と、最初のクルマ「350GTV プロトタイプ」のベアシャシーを、報道関係者に公開した1963年10月26日のことである。イタリアの著名なジャーナリスト、ジーノ・ランカーティが「なぜ高性能グラントゥーリズモは、みんな(イタリア)エミリア地方の製品なんでしょうか?」と質問した。
するとフェルッチョは豪快に、こう言い放った。
「世界一うまいパンは、ここフェラーラのパンでしょうが。生えてる草だって、ここのが一番ですよ」
フェルッチョは、フェラーラ県の小さな村チェントの出身である。彼がそんなに「うまい!」と太鼓判を押すフェラーラのパンとは、どんなものか?
「それなら、食べてみればいいじゃないか」と言うなかれ。日本なら、デパートやスーパーで、ひっきりなしに諸国名産品展の類いが開かれていて、「峠の釜めし」から「鱒ずし」まで、日本全国のものが年中食べられる。だが、イタリアではそうはいかない。地元食品をこよなく愛し、他地域のものには目もくれない人が多いため、店の品ぞろえも、地元産品中心になる。
だからボクなどは、東京のデパートのイタリア特集で、「へえー、こんなワインがあるのか」などと、他の地方のイタリア産品を知ることがある。わが家のあるシエナから230km近く離れたフェラーラのパンなど、手に入る代物ではないのだ。
その名は「コッピア」
2年ほど前のことだ。あるイベントで、フェラーラから来たパーツ屋さんのおじさんと出会った。すかさずボクは、「フェラーラのパンって、どんなものですか?」と聞いてみた。すると、おじさんは写真のような図をすらすらと描いてくれた。
小学生の頃に写真で見た「米兵に捕らえられた宇宙人」を思わせる不思議な形状である。彼はそれが「コッピア(カップル)」と呼ばれていることを教えてくれた。地元方言では「チュペータ」というらしい。
歴史を調べると、13世紀の文献にすでに似た形状のものが登場する。だが今日、コッピアの起源といわれているものは、1536年の謝肉祭のとき、エステ家の公爵が食べたツイストしたパンだという。「Coppia」とは英語の「Couple」である。たしかに男女が仲良く腕を組む姿に似ている。家族平和や繁栄の願いをパンのフォルムに託したことは、容易に想像できる。
ボローニャ出身の20世紀の作家リッカルド・バッケッティは長編小説『ポー河の水車小屋』のなかで、コッピアを「世界一うまいパン」と記している。フェルッチョ・ランボルギーニは、このフレーズを引用したとも考えられる。
こうして概要を知ったフェラーラのパンだが、あいにくボクの場合、フェラーラ周辺を通過するときは、いつも日曜日だった。だからそのたび「どうせベーカリーは閉まっているだろう」と諦めていた。
先日、パドヴァのヒストリックカー見本市「アウトモト・デポカ」に赴いた際も、フェラーラに立ち寄れるのが日曜日にあたってしまった。だが会場で出会った現地在住の自動車愛好家ジャンカルロ&チンツィア夫妻は、「日曜でも開いてる店があるよ。行ってごらん」と教えてくれた。そこで帰りにフェラーラに立ち寄ってみることにした。
さて、ボクが訪れたのは、1952年創業の「ラ・ボッテーガ・デル・パーネ」という店である。店内をのぞくと、若い女性店員が一人で番をしていた。聞くまでもなく、彼女の背後には、おびただしい数のコッピアが並んでいた。
その女性店員アリーチェさんによると、「ノーマル」と「オリーブオイル含有量が多いもの」の2タイプあるという。そこで両方を購入。量ってもらうと、2つで1.7ユーロ(約230円)だった。
さっそく市内の公園で食べることにした。特殊な形状をしているだけに、早くも一部が袋のなかで折れてしまっていた。それはともかく、食べた感じはというと、しっとり感とサクサク感が絶妙なバランスを保っている。ちょっと柔らかいグリッシーニのような、と書けば、わかっていただけるだろうか。イタリアの他地方にあるロゼッタという、亀の甲羅のようなかたちのパンとも、感触が似ている。
生地に含まれたラードやオリーブオイルのおかげだろう。購入から2日たった本稿執筆時点でも、まだ硬くならず食べられる。食べ忘れて放置しておくと、たちまち凶器のように硬くなってしまうトスカーナのパンとは違うところだ。
イタリアンドリームの原点
しかしながら、日本のしっとりしたパンからすると、やはりパサパサしている。東京のベーカリーが、そのまま作っても人気を獲得するのは難しそうだ。
ただし、考えてみてほしい。フェルッチョ・ランボルギーニが生まれたのは1916年、日本でいう大正5年だ。今でこそ一帯は「モトーレ(エンジン)の大地」と呼ばれるイタリア屈指の工業地帯だが、かつては夏暑く、冬は濃霧の日がえんえんと続き、道には砂ぼこりが舞う農村地帯だった。
実際、ボクがフェラーラを訪れた日も、郊外には視界80m弱の濃霧が取り巻いていた。そうした地域の農家に生まれたフェルッチョである。何日おいても硬くならないパンは、質素な生活に適していたに違いない。
前述のジャンカルロさんは、後日電話で「コッピアは、Scarpetta(スカルペッタ)にも向いているぞ」と教えてくれた。スカルペッタとは、皿に残ったスープやソースを丁寧にパンですくって食べることである。たしかに、もともと味が薄いコッピアは、そうやって食べると、ちょうどうまくなる。けしてモノを残さなかった時代の、素朴なパンなのである。
ボク自身は、これまでランボルギーニなど所有したことはないし、これからも所有できないであろう。しかし、フェルッチョ・ランボルギーニ原点の地で、彼が育ったときと同じ霧に包まれながら、後に彼がイタリアンドリームを実現したエネルギー源ともなったパンを味わうことができた。
個人的には、ランボルギーニの最新高性能モデル「ガヤルドLP570-4スクアドラ コルセ」を運転させてもらえるより、何十倍もシアワセだったのである。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>)
※お知らせ
2013年11月18日(月)渋谷・日伊学院にて大矢アキオの文化講座「イタリアの伝統工房・イタリアのプロダクト」が開催されます。 詳しくはこちらをご覧ください。

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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