アストン・マーティン シグネット(FF/CVT)【試乗記】
いちばん痛快なアストン 2011.12.14 試乗記 アストン・マーティン シグネット(FF/CVT)……544万7050円
「iQ」ベースのマイクロ・アストン、「シグネット」が日本に上陸。小さな小さな高級車の乗り味は?
アストン・マジック
「長さ3mのなかでアストン・マーティンを表現した」といわれるのが、「シグネット」だ。いわば“アストン化”された「トヨタiQ」。ともにレースを愛するトップエグゼクティブのパドックトークから生まれた、まさかのマイクロカーである。
師走の早朝、車内はまだ薄暗くて、内装の全容は見えないが、乗り込んだ途端、革の芳香が鼻をくすぐる。さーすが、と思う。プッシュボタンを押してエンジンスタート。走りだせば静かだが、エンジン始動時の最初の“ひと吹き”はiQよりイイ音がする。なんでだろうと、あとで下をのぞいたら、エンド部までステンレス製の排気管が付いていた。
とはいえ、ボンネットの中はiQそのものである。「アストン・エンブレム入りのエンジンカバーくらい、つくったりや」と思うくらいの愛想のなさなのだが、しかしそのおかげで、冬の冷間スタート直後もなんら気遣いはいらない。しかも、「スマート」に次いで小さいこの短躯(たんく)。ふだん広報車では走らないことにしていた狭い裏道を鼻歌モンで通り抜けて高速道路に上がる。
最初のiQは1リッター3気筒のみだったが、アストンが選んだのは後発の1.3リッター4気筒。内装の高級化や遮音材の追加などで車重(988kg)は同じパワーユニットのiQより40kgほど増加したが、CVTで紡ぎ出す98psのパワーはなお十分だ。
サスペンションに変更はないはずだが、なぜかiQより低重心な感じがする。乗り心地もより高品質に硬く、フラットに感じられた。「中身はiQ」とはいうものの、運転した印象はiQよりスポーティーで高級だ。これがブランド力の魔術というものだろうか。
ハイライトはインテリア
どんなにスタイリッシュなクルマでも、乗っているとカッコは見えない。その点、シグネットはいちばん痛快なアストンかもしれない。乗っていると見えるインテリアが、たしかにアストン、いちばんアストンだからだ。ゲイドンのワークショップで150時間かけてアストン化された内装がこのクルマのハイライトである。
試乗車は外板色に呼応したブルーのレザー。シートもダッシュパネルもドア内張りも、ホーンパッドもシフトノブも、適度な湿気があっていかにも高級そうなこの革でくるまれ、白い糸で縫い上げられる。一方、天井はグレーのアルカンターラ。メッキのびょうで留めてあったりするところが英国風だ。助手席ダッシュボードの下には、自由が丘のかばん屋で買ったら3万円くらいしそうな分厚い革の車検証入れが備わる。
同じマイクロシティーカーでも、「スマート」と違ってこちらにはリアシートがつく。といっても、全長のアドバンテージは35cmほどだから、広さは知れている。でも、そのコンパクトなリアシートももちろん革装だ。なめるようにあちこち観察していると、後席側壁の一部にiQと同じ樹脂パネルを発見した。室内で唯一の「スキあり!」という感じだ。
でもそれくらい見事にアストンに化けおおせた室内は、たしかにiQより格段に居心地がよかった。個人的に苦手なトヨタ車のニオイ(車内臭)もまったくしない。革シートだから、これからの季節、ビリっとくることもないだろう。いいニオイをかげることと、静電気ショックに遭わないこと、このふたつはお金持ちの特権だと思う。
アストンのためのアストン
ヨーロッパは新車のCO2排出量を2015年までに130g/kmにすることを目指している。その先は遠からず120g/km、大台をきって95g/kmなんて数字もすでに取り沙汰されている。
しかるに、重厚長大エンジンのスポーツカー専門メーカー、アストン・マーティンは現在、最も優等生の「V8ヴァンテージ」でも295g/kmである。制裁金さえ払えば、つくり続けることに問題はないにせよ、企業内平均CO2排出量を下げることは急務だ。トヨタにiQのOEM供給を申し入れたのはそのためである。
完成したシグネットはCVTで120g/km、6段MTでは116g/km。当分、どこへ出しても恥ずかしくないエコなアストンに仕上がった。こうした経緯を考えれば、だれのためのアストンかというと、なによりアストン自身に最も必要だったアストンということができそうだ。
型式認定をとらない少数輸入のかたちをとるため、iQのようにエコカー減税の対象にはならない。なんて話はナンセンスですね。MTでも475万円、CVTだと490万円する。シグネットが高いか安いかではなく、500万円という金額を大金と思わない人のクルマだろう。コツコツ、アストン貯金をして買うアストンではない。
発売前は、アストン・マーティンの既納先にしか売らないという噂(うわさ)も流れたが、そんなことはなく、だれでも購入可能だ。オレンジの唇や派手な16インチホイールやLEDのリアランプなどで、目ざとい人はすぐに正体を見破り、試乗中も予想以上の注目度を感じた。どんな人が乗っているのか、たしかにいちばん気になるアストンだろう。
(文=下野康史/写真=荒川正幸)

下野 康史
自動車ライター。「クルマが自動運転になったらいいなあ」なんて思ったことは一度もないのに、なんでこうなるの!? と思っている自動車ライター。近著に『峠狩り』(八重洲出版)、『ポルシェよりフェラーリよりロードバイクが好き』(講談社文庫)。
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