ブガッティの14億円ワンオフモデル
“黒いクルマ”に秘められたエピソードとは
2019.03.26
デイリーコラム
自動車界最高のブランド
2019年のジュネーブモーターショーは、スーパーカーとハイパーカーが百花繚乱(りょうらん)のごとく大量出展されたが、なかでもセンセーショナルだったのが、自動車界屈指の名門ブガッティがブランド誕生110周年を記念して製作したワンオフモデル、「La Voiture Noire(ラ ヴォワチュール ノワール)」だろう。
ブガッティの現行モデル「シロン」のメカニズムを流用するこの一品製作車について、国内外のメディアでは1100万ユーロ(約14億円)、あるいは税込みで1670万ユーロ(約20億円)ともいわれる驚異的プライスが、ことさらに言い立てられているようだ。
しかし、私事ながらかつて「EB110」を生産・販売していた時代のブガッティ・グループ日本支社である旧ブガッティ・ジャパンのいち社員として奉職、今なおブガッティというブランドに特別な敬愛の念を持つ筆者は、まったく異なる感慨をラ ヴォワチュール ノワールに抱いている。それゆえ今回のコラムでは、ブガッティのいち崇拝者の立場からラ ヴォワチュール ノワールについて解説させていただくことにしよう。
まずはブガッティというブランドについて、いま一度おさらいしたい。ブガッティは、1881年にイタリア・ミラノの芸術家一族に生まれ、自身も芸術の英才教育を受けつつ機械工学の世界にのめり込んでいった天才、エットーレ・ブガッティが1909年に興したスポーツカー/高級車専業メーカー。小排気量スポーツカーという概念を世界で初めて確立した「タイプ13ブレシア」や、GPレースとスポーツカーレースの双方で大活躍した一方、自動車に機能美という評価軸をもたらした「タイプ35」とその係累たち。あるいは伝説の「タイプ41ロワイヤル」のごとき超高級車など、高性能と芸術性を追求した名作を続々と生み出した。
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2度の復活を遂げたブガッティ
エットーレ・ブガッティが作り上げた帝国を継承するにふさわしい後継者、長男ジャン・ブガッティも「タイプ57」のような素晴らしい高級ツーリングカーを手がけた。しかし、そのジャン自身が1939年のルマン24時間レースのため用意していたレーシングカーのテスト中に事故死してしまったこと、あるいは第2次世界大戦の余波からエットーレ自身もモチベーションを失ってしまったことなどによって、戦後間もなく第1期ブガッティは幕を閉じることになった。
それから三十余年後となる1988年に、イタリア人実業家ロマーノ・アルティオリ氏によってブガッティは復活。3年後にはエットーレの生誕110周年を記念するハイパーカーEB110をデビューさせるも、過度の設備投資とプロモーションがたたって、1995年に経営破綻。しかしその後、時のフォルクスワーゲン(VW)グループCEO、フェルディナント・ピエヒ氏の英断によりブランドを買収。1998年にVWグループ傘下となった。それからの隆盛ぶりは、ここであらためて記すまでもないと思われる。
モチーフとなったタイプ57SCアトランティックとは?
ラ ヴォワチュール ノワールのデザインにあたってモチーフとされたのは、1930年代後半にブガッティが製作した伝説のスーパースポーツ「タイプ57SCアトランティック」。ジャン・ブガッティの主導で開発された高性能ツーリングカー、タイプ57のスーパースポーツ版「タイプ57S(自然吸気)/タイプ57SC(過給機付き)」に、同じくジャン・ブガッティがデザインしたエレクトロン軽合金製ボディーを組み合わせたモデルである。
ブガッティ・タイプ57シリーズは、1935~39年にかけて生産された当時世界最上級のツーリングカー。3.3リッターの直列8気筒DOHCエンジンを載せるボディーは、その多くがジャン・ブガッティ自身のデザインで、コーチワークはブガッティと関係の深いコーチビルダー、ガングロフで行われた。
標準型2ドアコーチ「ヴァントー」や4ドアベルリーヌ「ギャリビエ」のほか、クラシカルなデカポタブルの「ステルヴィオ」、耽美的な2+2クーペ「アタラント」などのボディーが与えられたが、いずれ劣らぬ美しいもの。当時のロールス・ロイスにも匹敵する高級車ながら、販売台数では総計680台と歴代の8気筒ブガッティでは最大のヒット作となった。
現存するのは3台のみ
1936年には、シャシーを低めてエンジンをパワーアップしたスポーツモデル、タイプ57Sが加わる。同車は、「アルファ・ロメオ8C 2900B」と並んで、ポストビンテージ期最高のサラブレッドといわれる一台。直列8気筒エンジンは、自然吸気/ルーツ・コンプレッサー付きともに、標準型タイプ57からさらなるチューンアップを受けていた。
また、低められたシャシーを生かして「バンデンプラ」や「コルシカ」などの名門コーチビルダーが競うように美しいボディーを架装。世界中の裕福なエンスージアストを魅了したが、なかでも有名なのが「アトランティック」だったのだ。
タイプ57SCアトランティックのデザインは、1935年に製作されたコンセプトカー「エアロライト」が端緒といわれる。そののち1936~1938年にかけて総計4台が生産されたとされるが、現在世界に残るのは3台のみ。通常の溶接には向かないエレクトロン合金をボディーパネルの素材とするため、左右2ピースのルーフ中央をリベット留めしたことから形成された「背びれ」に代表されるボディー構造がエアロライトと共通する最初の2台には、特に「エアロクーペ」という愛称が与えられたという。
現代ブガッティのデザインチームはラ ヴォワチュール ノワールのデザインにあたって、このエアロクーペを現代のスタイルに再解釈する以上のものを目指したとのことである。
ワイドなフロントエンドの中央を大胆に突き進む、長大なノーズと屹立(きつりつ)したラジエーターグリル。そしてブガッティのアイデンティティーたる「Cライン」によって、タイプ57SCアトランティックをほうふつとさせる優雅なスタイリングを体現した。そして、なによりルーフ中央を前後に縦断する背骨のようなラインは、タイプ57SCアトランティックの「背びれ」を昇華したもの。加えてテールエンドにずらりと並ぶ6本のマフラーカッターも、アトランティックへのオマージュであることは一目瞭然なのである。
ミステリアスな“黒いクルマ”
ラ ヴォワチュール ノワールは、フランス語で「黒いクルマ」を意味する。かくも意味深なネーミングがなされたことには、歴史のミステリーが大きく関与しているようだ。
4台が製作されたタイプ57S/タイプ57SCアトランティックのうち、3台が顧客に引き渡されたのだが、2台目として製作された漆黒のクーペ、シャシーナンバー「57453」は社有車としてジャン・ブガッティのもとに残され、当時のモーターショーなどにも展示されている。
ところがナチス・ドイツがフランスに侵攻、かつてはドイツ領でもあったアルザス地方モールスハイムに本拠を置くブガッティは、自社の宝であるクルマたちをナチスの魔の手から秘匿する必要に迫られる。そこでジャンは自ら57453を運転して、より安全な他国に移送しようとしていたのだが、彼の急死によってその計画は頓挫。親友だったジャンの遺志を引き継いだ、さるブガッティ社テストドライバーが南仏(なんふつ)まで運んだところで、消息を絶ったとされている。これまでの定説では、移送中にドイツ軍に発見されて接収。航空機由来のエレクトロン合金を確保するために解体されてしまった……、といわれているそうだ。
誰がラ ヴォワチュール ノワールを購入したのか?
しかし、小さな戦闘機1機分にも満たないアトランティックのボディーを、世界中の美術品や文化財の奪取に血道を上げていたナチスが解体してしまうのはあり得ないとする見方もあることから、世界のどこかに秘匿されたのでは……? との説も根強く語られている。そして、もしも今後発見された場合には、その価値は1億ユーロ(約125億円)を超えると推測されているという。
自動車史上最大のミステリーのひとつといわれるこのストーリーから、57453は「ラ ヴォワチュール ノワール」という符丁で呼ばれるようになったとともに、今年のジュネーブモーターショーにて観衆を魅了した、世界でただ1台のオートクチュールハイパーカーのモチーフとして選ばれたのである。
ブガッティのリリースによると、新生ラ ヴォワチュール ノワールのオーナーは当初から決まっており、さるブガッティのエンスージアストとのこと。その人となりについては未公表なのだが、海外メディアの報道によると、このクルマをオーダーしたのは、かつてブガッティを救済したフェルディナント・ピエヒ氏ともいわれている。
(文=武田公実/写真=ブガッティ/編集=櫻井健一)

武田 公実
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