第663回:大矢アキオを育てた“教室” 2年連続中止のジュネーブショーはどこへ行く
2020.07.10 マッキナ あらモーダ!開催権を売却
毎年恒例となっていたジュネーブモーターショーの先行きが極めて不透明だ。
2020年6月29日、ジュネーブ国際モーターショー財団委員会および理事会は、2021年のショーを開催しないことを発表した。加えて、ショーの開催権を、展示会場であるパレクスポ社に売却することも示唆した。
今回の発表を前に、財団委員会と理事会は出展社を対象に調査を実施。大多数の出展社から、2022年からの復帰を希望しているものの、2021年のショーにはおそらく出展しないとの回答を得たという。
その結果を受けて「現在、自動車業界は大きな危機に直面しており、ショーに投資する前に、時間を必要としている」と分析。「新型コロナウイルスの感染状況が予想できないなか、2021年3月に60万人超の来場者と1万人以上の報道関係者を集めるショーを催せるかが確実ではない」との結論に至った。
資金調達に関する紆余(うよ)曲折もあった。2020年3月のショーは、スイス連邦政府が定めた大規模催事禁止基準に従うかたちで、2月28日に中止が発表された。
中止決定直後に財団は、ジュネーブ州に対して1100万スイスフラン(約12億5000万円)の損失補てんと、2021年度の財政支援を要請。6月初旬には1680万スイスフラン(約19億円)の融資が承認された。
しかし融資の条件のひとつとして、2021年6月までに100万スイスフラン(約1億1400万円)を返済することが定められていた。
2021年のショーの開催を不可能と結論づけた今、出展各社からの出展料収入が見込めないことから、財団は「残念ながら、この(融資)提案を断らざるを得ないことになった」という。
そうした中で財団は、ジュネーブショーの開催権を展示会場であるパレクスポ社に優先的に売却提案することを決定した。財団はショーを「スイス最大のパブリックイベントであり、ジュネーブ州に年間約2億スイスフラン(約228億円)の経済効果をもたらす」ことを強調している。
この提案に対してパレクスポ社は、決して消極的な姿勢ではないようだ。
7月3日付の『オートモーティブ・ニュース・ヨーロッパ電子版』が伝えるところによると、パレクスポ社は早期に開催権の買収を実現して2021年のショーを実現する意欲を見せている。「2022年まで待つのはリスクが高すぎる」というのが、その理由だ。
2021年にショーが開催できるか否かは、パレクスポ社が自動車メーカーを説き伏せるに足る、確たるデータをいかに用意するかにかかっているといえよう。
片道700kmの陸路とユースホステル
ここからは、筆者自身にとってのジュネーブショーを振り返ってみたい。
最初に訪れたのは、今から17年前の2003年である。イタリア在住7年目だったその年、某誌からジュネーブショーの取材依頼が舞い込んだ。
それまでショーといえば東京とボローニャしか知らなかった筆者にとってよきチャンスだったが、先約があったので涙をのんで断った。
ところがその先約が直前でキャンセルされてしまった。テレビにプレスデーの様子が放映されるたび、いたたまれない気持ちになった筆者は、一般公開日でもいいから行ってみたいという気持ちがふつふつと湧いてきた。
明日、明後日出発の航空券はばか高い。長距離バスや列車は時間がかかる。最終的に下した結論は、自分でクルマを運転して行くことだった。
開催期間中のジュネーブのホテルは暴力的ともいえる高価格設定だったが、幸いユースホステルがあることが判明した。
かくして、モンブラン越えを含む片道700km・往復1400kmを自分で運転し、現地では相部屋の3段ベッドに身を沈めることになった。
30歳を超えてのユースホステルデビューであった。向かいのベッドの若者がたびたび寝言を叫んだ。さらに上段のやつが寝返りを打つたびにベッドから巨大なきしみ音が上がる。ほとんど眠れなかった。
それでもショー会場では、ランチアのブースで現役デザイナーたちがパフォーマンスとして描くイメージスケッチをひたすら眺めた。伝説のコーチビルダー、フランコ・スバッロ氏とも話すことができた。他メーカーの首脳たちが来ない一般公開日にも会場に詰め、一般来場者に対しても熱心に新作を説明するスバッロ氏の姿は、実に印象的だった。
大名行列vs寡黙なデザイナー
参加1回目にして、そうしたシーンに取りつかれた筆者は、以後は毎年欠かさずジュネーブを訪れるようになった。
イタリアのデザインハウスであるピニンファリーナとイタルデザイン、そしてベルトーネは、2000年を最後に消えてしまったトリノショーの代わりにジュネーブを一年で最も重要な発表の場としていた。
彼らのコンセプトカーには、長年培ってきたアイデンティティーを維持しつつも、常に新たな提案があった。
韓国やインド、中国といった新興国ブランドによる展示車両のデザイン、クオリティー、そしてフィニッシュが年を追って改善されていくのも目の当たりにした。
ちなみに、触り心地や色彩センスなどを含めた現場でしか味わえない感覚は、昨今脚光を浴びるテレビ会議では伝えられない部分があまりにも多すぎる。ライバルメーカーのサンプル車両を入手するのにも限界がある。そうした意味で、開発者がさまざまなメーカーの実車を見られるショーが、いかに貴重だったかをこのところ感じている。
取材のマナーや、取材相手をつかまえるタイミングも学んでいった。いっぽうで不遜にも言わせていただけば、ショー会場で筆者の質問に即答できなくても、その晩に忘れずメールで回答してくれる自動車マンは、決まって出世していったものだ。
パビリオンが数館に分かれた他国のショーと違い、ひとつ屋根の会場ゆえ、メーカーの首脳を頻繁に目撃した。彼らが他社のどの新型車を観察しているかがよく分かった。
ついでに言えば、彼らの視察法も興味深かった。日本メーカーの首脳は、大名行列のように多数の部下を引き連れ、弾丸観光ツアーのごとく駆け足で会場を回っていた。それが周囲に放つ空気は、なんとも異様なものだった。
いっぽうジョルジェット・ジウジアーロ氏やレオナルド・フィオラヴァンティ氏といったカーデザインの天才たちは、同じクルマの前で20分近くも、ひとり腕を組んでじっと観察していた。その真剣なまなざしは、美術家が他者の作品を鑑賞する目と同じだった。
近づき難かった伝説の人物が、意外にフレンドリーであったというエピソードもある。その好例は晩年のポール・フレール氏だ。彼は会場で会うたび、マツダをはじめとする日本車について、それも、いつもポジティブな面を優先して話してくれた。筆者も年をとったら、こういう性格にならねば、と思ったものだ。
“アフターショー”でも、さまざまなものを見た。
1回目のユースホステルに続き、後年は国境を挟んだフランス側の安ホテルにたびたび投宿した。
そうした施設では、ショーではコンパニオンを務めていた若い女性たちが、よく記念写真を撮りっこしていた。青春のいい思い出になったのだろう。
その傍らで、ショーに合わせて催されるディーラー会議のために東ヨーロッパからクルマを走らせてきた販売店関係者ともたびたび遭遇した。店長級の人物が、こんな薄壁の安宿に泊まっているとは。ディーラー経営の大変さを垣間見た。
素晴らしき16年
いっぽうで、かつて華やかなブースを構えていながら現在では消滅してしまったいくつものブランドと、それにまつわる人々も見てきた。
2011年に新生デ・トマゾを立ち上げたジャン-マリオ・ロッシニョーロ氏は、翌2012年に公的資金の不正流用と計画倒産の疑いで逮捕されてしまった。自身のカメラのファインダーに笑顔で収まっていた人物が、事件の主役になってしまうのは、なんとも複雑な気持ちになったものだ。しかし、その後に発覚したディーゼル不正問題では、もっと有名なブランドの首脳たちが次々と消えていった。1年前まで意気揚々とプレゼンテーションをしていたのに、である。
それ自体は事件として受容できた。だが、出展社が減少したショー会場を埋めるべく、たびたび歴史的車両の企画展が行われ始めると、筆者自身はこのショーの衰退を強く感じざるを得なかった。
(後年は筆者でも乗れる安い航空路線が就航したため空路を使うようになったが)往復するたびに眺めるモンブランの雪が次第に少なくなっていくのも、自動車がそれに加担しているようで、いたたまれない気持ちになった。
あるとき、イタリア人の広報マンがプレゼンテーション終了直後、「はい終わり、終わりィ」とつぶやいたことがある。これを聞いた筆者は「なんだかなあ」という心境に陥った。お互いに長年知っている間柄であり、筆者としては彼の仕事の苦労を知っているから許せなくもなかった。しかし、見せる側の“やる気”も、もはやこのようなものかと感じた。
ブースの設計・設営を担当したり、日ごろは名前の出ないカロッツェリアで黙々とコンセプトカーをつくったりしている人々を知っているだけに、そうしたムードはさらに残念であった。
筆者自身も従来の仕事のやり方を見直し始めていたことから、世界のショーを追う取材にはひとまず終止符を打つことにした。筆者にとって最後のジュネーブは2018年だった。
冒頭に記したような経緯から、世界の主要なショーの中で真っ先に、ジュネーブの先行きが見えなくなってしまった。
それでも個人的には、取材した16年を通じてそこで得たもの、知り得た人々には計り知れない価値がある。筆者にとってジュネーブは、自動車の世界を知る、最も素晴らしい教室だったのである。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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