第717回:食品売り場で見つけたオイル缶 中身を知りたきゃ飲んでみろ!?
2021.08.05 マッキナ あらモーダ!高級食品店にいきなり
2021年7月、高級食料品店であるイータリーのトリノ本店を散策していたときのことである。
ある棚を見ると、なぜか自動車用オイル缶とおぼしきものがさりげなく陳列されていた。
その名も「ENGINE」。さらにエンジンのシルエットもプリントされている。
「誰だ、こんなところにエンジンオイルを置いてゆく不届き者は」と怒ったが、よく見ると何個も並んでいる。
手に取ってみると、なんとそれはカクテルのベースとして有名なGIN(ジン)であった。
日ごろからカクテルをたしなんでいる読者であれば、即座にビーフィーターといったブランドを想起することだろう。
いっぽう、長年イタリアに住んでいながら、かつてどっぷりと浸っていた日本の世俗性が今も抜けない筆者である。ジンと知って思い出したのは、1990年代日本における「サントリー・アイスジン」のCMだ。「ジンジンジン、コーラとジンでアメリカジン!」「レモンとジンで一般ジン!」などと歌いながら踊る歌手・森高千里の姿が脳裏によみがえった。
ジンの発祥には諸説あるが、普及の舞台は18世紀の産業革命以降の英国であった。
安価な高アルコール度数飲料として労働者階級に広まったあと、徐々に上流層にも浸透していったという。
しかしジンとイタリアが無縁なわけではない。この半島には、グラッパに代表される蒸留酒文化が数百年にわたり各地に存在している。
筆者が長年知るおじさんは、サッカー観戦に向かう遠征のバスに、自作の蒸留酒を持参するのが常だ。
それはともかく、ENGINEのオイル缶風容器に記された販売者所在地を見ると、トリノと同じピエモンテ州のバルバレスコであった。同名のワインがイタリアの最高等級「DOCG」に指定されている地域だ。酒造の舞台としては、絶好のロケーションである。
後日ENGINEの公式ウェブサイトを見てみると「氷があれば火を吹く トニックで火花を散らす」と、クルマを思わせるニュアンスの言葉が連なっている。
筆者は、この商品を見た瞬間に「やられた」と思った。同時にアイデアとは、無限に生み出せるものであることを思い知った。そればかりか、強い酒をたしなむ習慣がない筆者にも購買意欲を抱かせてしまうところは、まさに企画力の妙といえまいか。
どのような人が考え出したのか興味をもった筆者は、早速商品名と同じエンジン社に連絡を試みた。
“汚い”缶に詰め込みたい
幸いなことに、考案者でファウンダーのパオロ・ダッラ・モーラ氏自身が書面でインタビューに答えてくれた。
ダッラ・モーラ氏はボローニャ大学経済学部を2001年に卒業後、2003年にマーケティングの修士号を取得。著名なファッションブランド、モスキーノのチーフマーケティングオフィサーやデザイン学校であるIEDの教職などを経て、2019年にエンジン社を設立した。
筆者(以下Q):ENGINEとGINのジョークから始まって、その後に商品をつくることになったのですか? 最初に新しいジンの構想ありきで、後からブランドにたどり着いたのですか? それとも……
ダッラ・モーラ氏(以下DM):きっかけは2014年に出張で訪れたニューヨークでした。マンハッタンのザ・デッド・ラビット(筆者注:現地にある世界的に有名なバー)で、そこに並べられた美しいボトルを眺めていて、もっと“汚す”必要があると思ったのです。そこで“汚いもの”はないかと考えたところ、オイル缶のアイデアがひらめきました。
Q:ENGINEのウェブサイトでは「オイル缶や燃料缶、モトクロスレースやレーシングカーなど、1980年代の偉大な神話のイメージを表現しています」と解説しています。大ヒットした米国のテレビシリーズ『爆発! デューク(原題:The Dukes of Hazzard)』で、主人公の愛車を務めた初代「ダッジ・チャージャー」をイメージしたとも記されています。あなた自身のクルマ生活について教えていただけますか?
DM:私は幼いころからモトーレ(エンジン)に情熱を注いできました。初めて運転したのは4歳のときで、フィアット製農業用トラクターでした。14歳になると母の「フィアット・ウーノ」で野原を運転し始めました。初めて自分で買った中古車は、1980年代の「ランドローバー・レンジローバー」です。ディーゼルターボ仕様で、まるで戦車でしたね。その後、大学時代はアルバイトをして「フォルクスワーゲン・ニュービートル」を手に入れました。
インパクト狙いの陰に
ENGINEはダッラ・モーラ氏のひらめきと自動車へのパッションから誕生したというわけだった。次は商品そのものについて聞いてみた。
DM:レシピは、ピエモンテ地方のおばあちゃんたちが長年つくってきた「ロゾリオ」からヒントを得ました。セージやレモンを用いた、消化促進作用があるとされる蒸留酒です。
原料はすべてイタリア産です。植物は高地ランガ産のセージ、アマルフィ海岸のレモン、カラブリア産のリコリス、トスカーナ産のジュニパー、そしてピエモンテ州で栽培されているダマスクローズ(筆者注:バラの一種)の5種類に厳選しています。「Less is more(少ないことは豊かだ)」ですからね。
オーガニックシリアルを使用したアルコールとアルプスの水も、ピエモンテのものです。これらを蒸留酒のマエストロ(親方)が手作業で少量生産し、ボトリングします。容器は“ダーティー”ですが、中身は100%オーガニックの極めてクリーンなレシピというコントラストを実現したのです。
Q:ヨーロッパの食品容器に関する厳しい基準を前に、モーターオイル缶をそのまま流用することはできなかったと想像します。
DM:そもそも市販の食品缶では、水分比率が高い食品を入れることができません。唯一可能なのはオリーブオイルでした。
私は2年以上を費やして米国や欧州、中国など世界の缶詰メーカー約60社を訪問して研究しました。しかし、ジンを入れるのに適した缶が見つかりませんでした。
最終的に私たちはイタリア国内のサプライヤー4社と協力し、世界中の高度な食品基準を満たせる容器の開発に成功しました。ENGINE GINは、世界で特許を取得した私たちだからこそできるものなのです。
かくもENGINEには、デッラ・モーラ氏のひらめきだけでなく、知られざる苦労があった。加えて前述のようにクオリティーが伴っている。だからこそ、仕入れの選択が極めて厳しいとされるイータリーのバイヤーの目に留まったのだろう。
日本では2021年10月に発売とのこと。パーティーでいきなりテーブル上に置いて驚かせるのを楽しみにする向きは、この記事を友だちにシェアしないほうがよい。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=ENGINE、ステランティス、Akio Lorenzo OYA/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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