第753回:クルマは幸運? イタリアらしさを前面に出さないイタリアンブランドの秘密
2022.04.21 マッキナ あらモーダ!「風」が名前になる
マセラティのコンパクトSUV「グレカーレ」が2022年4月、日本でも公開された。「Grecale」とはイタリア語で地中海に吹く北東からの風を示す。「ギブリ(Ghibli=リビアから地中海経由でやってくる熱風)」をはじめ、風にまつわる車名を数々与えてきたマセラティの新たないちモデルである。いっぽう、2023年に発売が予定されているグレカーレの電気自動車(BEV)版の名前は「フォルゴーレ(Folgore=稲妻)」に決まっている。風ではないが、やはり気候にまつわるものだ。この勢いだと、同様に「ゴルフ」「パサート」など風を起源とするモデルを持つフォルクスワーゲンとともに、いつか世界の気象に関する名前を制覇してしまうのではないか、とさえ思えてくる。
このように最近のマセラティは、以前にも増してイタリア感を強調したネーミング全開である。その傾向はフェラーリでもみられる。「ポルトフィーノ」や「ローマ」は、従来の「マラネロ」「モデナ」などとは異なり、自社の歴史に直接のつながりがない都市名を選択している。
いっぽうで、せっかくイタリア発祥なのに、不思議なことにイタリアニティーが希薄なブランド名が数々見られる業界がある。
服飾界がイタリア語を使わなかった背景
それはファッションの世界である。有名なところでも、イタリアらしさが感じられないブランド名がある。例えば靴の「Tod’s(トッズ)」、アパレルの「Kiton(キートン)」、腕時計の「Breil(ブレイル)」は、いずれもイタリア語ではない。なぜ「ジョルジオ アルマーニ」「モスキーノ」「ジャンニ・ヴェルサーチェ」のように、一度聞いたらイタリアと分かるネーミングにしないのか? これまで大きなメーカーの広報関係者に幾度となく直接聞いてきたが、明確な答えが得られなかった。
ところが、ある熟練職人の言葉が、その疑問を解くきっかけを与えてくれた。トリノの高級傘工房「Ombrellificio Torinese(オンブレッリフィチョ・トリネーゼ)」5代目当主のカルロ・スイーノさんである。彼のハンドメイド傘は、2006年のトリノ冬季五輪で共和国大統領用に使われた。また、スイーノ氏の希望によってここに氏名は記せないが、誰もが知る自動車界のセレブリティーにも愛用されている。
まずは工房の歴史から。彼の高祖父は1890年に農村からトリノに出て、傘やステッキの工場で修行した。その後独立し、事業を成功させる。工房は第2次大戦後の最盛期には約100人の働き手を擁し、日産1000本体制で傘を製造したという。しかしスイーノさんは、その頃のイタリアの手工業界をこう語る。
「当時この国の産業を支えていたのは、安い労働・生産コストでした。傘の場合、大半の手工業者は、英国をはじめとする外国百貨店向け商品の受託生産でした」
今日で言うOEMである。「完成品だけでなく、パーツとしても多数輸出していました」。自社ブランドで勝負できるイタリア企業は、極めて少数だったのである。そしてスイーノさんは、こう定義した。
「欧米各国のなかで当時のイタリアは、一時代の中国と同様の立ち位置だったのです」
それを聞いて歴史をさかのぼってみる。1951年にイタリアの企業家であるジョヴァンニ=バッティスタ・ジョルジーニ(1891~1971年)がフィレンツェで「イタリアン・ハイファッション・ショー」と題した展示会を行っている。ただし、それは国内向けではなく、米国のバイヤーを対象にした企画だった。
イタリアは1950年代中盤から1960年代にかけて飛躍的な経済成長を遂げたが、内需には限界があり、繁栄も北部都市に偏向していた。そうしたなか、アパレル産業では、当然のことながら輸出に重きが置かれたのである。また、高級服飾の世界では依然フランスがトップであり、イタリアはワンランク下の扱いだった。そうしたことから完成品よりも、生地などの生産に力が注がれた。あの「セルッティ」も発祥は毛織物のメーカーであった。
加えて、米国や欧州の人々の間で、イタリアに対する第一印象は、歴史や美術、そして音楽を除けば「移民の出身国」であった。特に南部から多くのイタリア人が出稼ぎや移民として各国に流入した。1861年から1985年にイタリアから国外に移民した人の数は3000万人にも達する(データ出典:Focus.it)。その怒涛(どとう)ともいえる数から、地域によっては同じ西洋人にもかかわらず、彼らが与える印象は決してポジティブなものだけではなかった。
そうした状況下でイタリアの服飾関連企業は、自国のアイデンティティーよりも、あえて英語をはじめとする無国籍なブランド名を選択するようになったのである。例えば前述のトッズは自社ブランドのリリース前、米国のデパート向けの受託生産をしていた。さらにTod’sとは、あらゆる言語での発音しやすさから選択されたものであった(参照:Synesia)。セルッティによる1960年代の自社ブランド第1弾も、実は「Hitman(ヒットマン)」だった。いずれも創始者の姓とはまったく関係ないものだった。
やはりイタリア語が最強?
イタリアの服飾ブランドが本格的にイタリア語名で勝負するようになったのは1970年代中盤以降である。顧客の嗜好(しこう)変化により、パリのオートクチュール(注文服)よりもプレタポルテ(既製服)が脚光を浴びるようになったためだ。価格的により手ごろ、かつファッショナブルなイタリア製の出番となった。
のちに成功を収めたファッション企業の多くは、その前後に誕生している。ベネトン(1965年)、ジョルジオ アルマーニ(1975年)、ジャンニ・ヴェルサーチェ(1978年)などがその好例だ。
イタリアでは1980年代中盤に一人あたりGDPが初めて1万ドルを突破したが、その一部をファッション業界の躍進が支えたことは明らかである。以来、地道にステータスとバリューの向上を図ってきた成果が、今日のイタリア系ファッションブランドの姿なのである。
スイーノさんの工房も1980年代、安価な輸入傘と差別化を図るべく、祖父が創業したときと同じ手づくりに回帰した。顧客一人ひとりと最低1時間のディスカッションをしたのちに製作するスタイルが評判を呼び、レッドオーシャンの業界にあって独自のモノづくりを確立できた。
そうした苦難の道を歩んだファッション業界と比較すると、イタリア車は早いうちからイタリアニティーでブランド力を獲得できたといってよい。米国における「アルファ・ロメオ・スパイダー デュエット」にみられるように、トリノやミラノを中心としたカロッツェリアの優秀な仕事があったことは確かだ。服飾界ではライバルだったフランスで、第2次大戦後にカロッツェリアに相当するカロスリの文化が早々に衰退してしまったという幸運もある。同時に、自動車のセンスがイタリアへの好印象を増幅し、ひいてはファッションの地位向上にも効果をもたらしたといえよう。
カロッツェリアといえばトリノのピニンファリーナは、2012年のコンセプトカーに「カンビアーノ」と名づけた。作品自体は翌2013年の「セルジオ」と並んで、ここ10年のピニンファリーナ作品のなかで最高のデザインと筆者は捉えている。しかしながらその車名「Cambiano」の元である同社の本拠地は、人口6000人足らずの小さな村である。長年にわたって世界的に知られてきたポルトフィーノやローマとは明らかに異なる。仮に「三菱ミズシマ」「日産ザマ」「トヨタ・モトマチ」などというモデルがあったとしたら、それよりずっと規模が小さい地域を車名に選んでしまったことになる。それでも心地よい響きになってしまうイタリア語が、なんともうらやましい。いや、それを通り越して悔しい。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=マセラティ、フェラーリ、Mari OYA、Akio Lorenzo OYA/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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