これまでで最もスゴいと思った日本車は?
2024.02.27 あの多田哲哉のクルマQ&A多田さんが自ら手がけた以外の国産車で「これはあっぱれだ」と思った製品があれば聞かせてください。プロが見て感心したクルマと、そのポイントが知りたいです。
それは、R32型「日産スカイラインGT-R」(以下R32)です。
R32が出た1989年、私はトヨタの東富士研究所で車両をテストする仕事に取り組んでいました。当然のようにR32のテストカーも回ってきて、それを袋井にあるヤマハのテストコースに持って行って乗る機会もありまして……。これがもう、当時のほかの日本車とは比べ物にならないほど圧倒的に素晴らしい走りで、大変な衝撃を受けたのです。
その走りの良さというのは、単に「速い」ということではありません。R32は、高速域において圧倒的に安定していた。ドライバーが思ったぶんだけクルマが正確に動いてくれて、200km/h近い速度でもまったく怖くないんです。
当時トヨタは社内のテストドライバーのために、70型と80型の「スープラ」をテストコースに置いていたのですが、これがなかなかおっかないクルマで(笑)、「だから運転の腕が上達するんだ」なんて言葉を背に、けっこうヒヤヒヤしながら走らせていました。対するR32 GT-Rの安定性といったら、それはもう……。
こういうクルマに対しては、トヨタ社内でもいろんな部署が争ってテストの予約を入れて、いろんな観点からチェックするわけですが、私はといえば、GT-RのABSをテストするという名目で乗りまくっていました。楽しくて仕方なかったですね。
あまりにも次元が違う走りなので、自分でも買ってみよう! と思い立って、日産のディーラーでカタログをもらい、見積もりをとったくらいです。現実的には、当時住んでいた社宅に他社のクルマを駐車するのはばつが悪いというのもあって悩んでいるうちに、ドイツへの海外赴任が決まってしまって、R32型GT-Rのオーナーにはなりませんでしたが。
その後、同車の開発に関わった渡邉衡三さんにお会いしてお話しする機会もありました。「どのように開発したんですか?」なんてことは聞きませんでしたが、渡邉さんの「ほかのクルマなんかに負けるか!」という心意気をうかがうことができて、あぁやっぱり志は高くないとダメなんだなと強く思ったのを覚えています。
渡邉さんにはそれから20年後、私が「86」を開発したあとに筑波サーキットの自動車イベントで再会しました。そのときは愛車のR32に乗せてくださって、「これもかなり古くなったけれど、ちゃんとメンテナンスしながら乗っているんだよ」などとおっしゃっていました。
その間たしかに、R32以上の性能を持つクルマも世に出ました。しかしあのころのR32は、本当に飛び抜けた一台でしたね。誰が乗っても高性能を実感できる、すごいクルマでした。
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多田 哲哉
1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。