第8回:クルマが生み出した交通弱者(その1)〜クルマが増えると不幸も増える
2010.08.30 ニッポン自動車生態系第8回:クルマが生み出した交通弱者(その1)〜クルマが増えると不幸も増える
四国には紅葉マークを付けた軽自動車がとても多い。それを見かけるたびに、そうまでしてクルマに頼らなくてはならない人たちのことに胸が痛む。
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クルマ無しでは成り立たない生活
「あそこのお寺まで、歩いたらどのくらいかかるかって? さあてねぇ、わしにはまったく分からんて。クルマしか使わなんでな」
「あんたら、偉いな! あんなとこまで歩くんか。私ら、いつもクルマだもんで、隣の村までもよう歩けんわ」
四国(だけでなく、日本中の地方部では同様だろうが)では、しばしばこのような発言に出くわす。昔は反対だった。用事があって隣村まで数km歩いて行くのは当たり前だったし、老人が徒歩で山を下りて、遠くの町まで野菜を運んだり、市場に売買に行ったものである。小学校に通うのに峠を二つ越えて、しかも毎日走っていったから足が強くなったなんていう話もよく聞いた。
それが今では、多くの農村部や山間部の人たちは歩かなくなっている。いや、正確に言うなら歩けなくなっている。一昔前なら、田舎の人たちはすごく足が丈夫だったのに、今は歩くのが不自由な人が増えている。むしろ通勤のためだったり、買い物に出たりで、都会の人間の方が歩ける。理由は簡単で、クルマが普及したからだ。
クルマが普及したおかげで、昔なら1日がかりで徒歩とバスを乗り継いでいった町までの買い物が、1時間足らずでできるようになった。作った作物をすぐに市場に運ぶことができるようになったし、医者でもどこでもすぐに行くことが可能になった。その意味では生活の質は向上し、多くの人々にとって移動の自由はより改善されたように思える。
ただ、それには大きな条件がある。家にクルマがあり、本人が運転できるか、さもなければ運転できる家族か知人がそばにいるという条件である。そしてその壁は、意外と高い。運転できない老人はまだたくさんいる。老人だけの家庭は多い。そういう世帯の中には、クルマが買えない層も少なくない。
それ以上に問題なのは、仮にこの壁をクリアすると、クルマに生活の大きな部分を頼り切ってしまうから、結果としてクルマ無しでは成り立たないという状況に追い込まれる。生活のシステムだけでなく、体力もそれに影響されてくる。移動の自由、それによって得られる生活の質の向上が、いつの間にかクルマに握られてしまっているというわけだ。
それはそれでクルマの普及がもたらした不幸の一つであり、今までになかった新しいタイプの交通弱者が生じているということでもある。
クルマがバスを消し、消えたバスがクルマを増やした
もちろん、クルマや他の交通機関が発達していなかった頃に比べるなら、現代の人々はどこに住もうと、昔よりははるかに恵まれているという言い方は正しい。それに地方にまでクルマが普及したことによって、生活レベルや便宜性は格段に向上したのも言うまでもない。だが、科学技術の発達は、あるいは近代以降の世界は、社会の中に強者と弱者を生み出した。
近代以前には、大半の人々にとってはたいした移動なしに生活が成り立っていた。人の移動だけでなく、物流、そして情報の移動も、現代ほど個々人の生活に大きな影響を与えなかったし、移動そのものの価値も相対的に生活の中では大きくなかった。だから交通弱者という概念もなかったと言っていい。
だが現代は、新しい交通弱者が日本の地方だけでなく、世界中に増えていることはたしかだ。
仮に四国あたりの山間、農村部を例にとろう。
つい40年ぐらい前までは、主要な移動手段は路線バスだった。もちろん、こういうところは一軒一軒が離れているから、バス停までは運が悪ければ相当に遠くなる。1里(約4km)や2里は歩いてからバスに乗ることなんて、別に珍しくもなかった。ということは人々は軽く10kmぐらいは日常的に歩いていたものである。それも山道や峠、あるいは荒れ地だったりしたが、それを当然のこととして受け入れ、重い荷物を担いでバス停をめざした。子供とて同じで、スクールバスなんていうしゃれたものはなかったから、一山も二山も越えて分校に通ったものである。
だが、そこに起きたのがいわゆるマイカーブームで、それはやがては農村地帯にも入り込み、年々クルマの所有率は上がり、人々はそれに頼ることになる。
数こそ多くなかったが、それなりに地域状況を考慮してきめ細かく運行されてきた路線バスが、次第に本数を減らし、あるいは廃止されてきたのはこの頃である。これは「ニワトリとタマゴ」の問題のようで、「個人所有車が増えたから、バス利用者が減って、結果としてバスが消えた」のか、「バスがペイしにくくなって本数が減ったから、仕方なく自家用車を使うようになった」のか、しばしば話題になる。
まあ、正しくは双方の相乗効果なのだろうが、路線バスの収支が取れなくなって減ったのと、クルマ無しでは生活できなくなり、そのクルマが無いがゆえに社会的にはじき出された交通弱者が生まれたというのは、否定できない事実である。
クルマに生死がゆだねられた社会
昔なら、多少歳をとっていた人でも、クルマなんか使いようがなかったから、1里や2里なら楽に歩けた。それが隣町まで行くのに20km以上も歩かなければならないとなれば、あるいは1日に2〜3本しかないバスを待たなければならないとなれば、多くの人は仕方なしにクルマを使う。そして誰もが知る。歩くのに比べたら、クルマはなんと楽で快適かを。その結果、人はどんどん歩かなくなって、それと比例して歩行能力はどんどん退化するから、さらに歩けなくなる。一方で、どんどん他の交通機関がなくなれば、クルマを持てない人は、社会から脱落するか、町に出て親戚の家に身を寄せるしかない。
モータリゼーションが日本よりはるかに早く、しかも徹底的に進んだアメリカでは、この種の交通弱者が戦前から問題になっていたのは周知のとおりだ。人里離れた砂漠地帯や山中に住んでいて、簡単な食品や日用品を買うにも数10マイルほどクルマで行かなくてはならないようなアメリカ人は少なくない。そういう環境に住んでいる人にとって、高齢化や病気によってクルマに乗れなくなったとき、あるいは故障でクルマが動かなくなったとき、それはそのまま生死の問題につながるのだ。
日本はそこまで来てはいないように見える。だが、確実にそれに似たような状況は生まれている。どうしたら、それを少しは救えるだろうかというのは次回の話。
(文と写真=大川悠)
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大川 悠
1944年生まれ。自動車専門誌『CAR GRAPHIC』編集部に在籍後、自動車専門誌『NAVI』を編集長として創刊。『webCG』の立ち上げにも関わった。現在は隠居生活の傍ら、クルマや建築、都市、デザインなどの雑文書きを楽しんでいる。
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