第289回:最強の格闘家は破壊されるクルマに自分を重ねた
『スマッシング・マシーン』
2026.05.14
読んでますカー、観てますカー
MMAトップ選手が日本に集まった時代
1997年にサンパウロで行われた試合の資料映像から映画は始まる。デビュー戦のマーク・ケアーが戦うのは、身長203cm体重150kgのポール・ヴァレランス。185cmのケアーもこの巨漢の前では小さく見えるが、両足タックルで倒して顔面へのひざ蹴りを連発。TKO勝利を収めたところでドウェイン・ジョンソンが演じる場面に切り替わった。当時のリングを完全に再現したセットに特殊メイクで本人になりきった容貌で登場するので、観客は気づかないまま物語に引き込まれていく。
『スマッシング・マシーン』は、1997年から2000年までの総合格闘技(MMA)を描く。20世紀初頭にブラジルで始まったバーリトゥード(何でもありという意味のポルトガル語)が原型とされ、パンチや蹴り、投げ技、関節技、絞め技などを駆使して戦う競技だ。1990年代になるとアメリカで総合格闘技団体のUFCが設立され、興行スポーツとして人気となっていく。この時期はルール整備が発展途上で、体重別の階級がなかった。試合映像を見ると、選手がオープンフィンガーグローブを付けていないことに驚く。素手で殴り合っていたのだ。
屈強な肉体を持つ男たちの戦いは観客を熱狂させたが、野蛮で危険だとの批判も大きかった。アメリカで規制を強める動きが広まるなかで、受け皿となったのが1997年に日本で始まった総合格闘技イベントのPRIDEである。東京ドームを満員にし、コアな格闘技ファンだけでなく一般層にも浸透していった。世界中から注目されるイベントになり、トップ選手たちが日本に集まって最強を競ったのだ。
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ピークを過ぎた“霊長類ヒト科最強の男”
主人公のマーク・ケアーはレスリング選手で、全米選手権で優勝したこともある実力者だ。総合格闘技に転向するとみるみる頭角を現し、無双状態になる。つけられた異名は“霊長類ヒト科最強の男”。客を呼べる選手としてPRIDEでも重宝される。しかし、“最強”の時期は過ぎ去ろうとしており、キャリアは下り坂だった。映画ではPRIDE主催者に軽んじられているような描写がある。“元怪物”は新世代の若手を売り出すのに役立つと考えられていたのかもしれない。本人もそれを薄々感じていて、精神的な不安定さを抱えるようになっていく。
この映画は最強の格闘家をヒーローとして描くのではない。強くあることを求められ、自らも強くありたいと願った男が、いかにしてその呪いから逃れるのかをテーマにしている。ドウェイン・ジョンソンは今でこそ俳優のイメージが強いが、元は最強プロレスラー“ザ・ロック”である。プレッシャーに押しつぶされそうになりながら勝利を目指す彼の生き方に共感したのだろう。マーク・ケアーのドキュメンタリーを見て感動し、自ら映画化を企画した。主演するだけでなく、製作にも名を連ねている。
1999年に行われたPRIDE.7で、マーク・ケアーはイゴール・ボブチャンチンに失神KO負けを喫する。グラウンド状態での頭部へのひざ蹴りは反則だとアピールして無効試合の裁定に変わったが、ショックは大きい。以前から使っていた鎮痛剤の量は増えていき、同棲中の恋人ドーン(エミリー・ブラント)とはささいなことでケンカするように。ついに過剰摂取で意識を失い、病院に運ばれた。
彼はクスリを断つことを決意し、リハビリ施設に入院する。回復して退院すると、ドーンと一緒に遊園地へ。思い切り楽しんでイヤなことを忘れたい。絶叫マシンのグラビトロンは怖いのでドーンをひとりで行かせ、自分はメリーゴーランドに。その後はふたりでデモリション・ダービーを観戦する。廃車寸前のクルマに乗って衝突し合い、最後まで残ったドライバーが勝利者となる競技だ。通常のモータースポーツは速さを競うが、これはサバイバルゲームである。
悲しみのデモリション・ダービー
最初は笑いながら見ていたが、マーク・ケアーは次第に真顔になっていった。ぶつかり合って壊れていくクルマに、自分の境遇を重ねたのだろう。デモリション・ダービーは“破壊を見世物にする競技”なのだ。そして、PRIDEでは“霊長類ヒト科最強の男”がイキのいい若手に倒されることで観客が熱狂するだろう。強ければスターだが、壊れれば次の“最強”に取って代わられる。
危機感を持ったマーク・ケアーは、PRIDEグランプリ2000に向けてトレーニングを開始する。格闘技映画では重要なシーンで、最高の見せ場だ。『ロッキー』を思い出してほしい。あの有名なテーマ曲にのって階段を駆け上がるところで観客の盛り上がりは最高潮に達する。負け犬が勝利に向けて自己実現を図ろうとしていることが、音楽とビジュアルで鮮やかに表現されていた。
しかし、この映画ではいささか元気の出ないシーンになっている。苦しそうに練習する場面で流れるBGMは『マイ・ウェイ』なのだ。誇りを持って自分の人生を振り返っている歌だと思われがちだが、じっくり聞くと苦い悔恨がにじむ歌詞であることがわかる。栄光に向けての高揚感は微塵も感じられない。頂点へと向かっているロッキーとは違い、マーク・ケアーは自分が壊れていくことを感じながら必死でこらえているだけなのだ。
PRIDEグランプリ2000の優勝賞金は20万ドル。何度も「人生を変える賞金」というフレーズが出てくる。今の感覚だとショボいと思ってしまうが、当時はこれでも破格だったらしい。マーク・ケアーの愛車は「トヨタ・ランドクルーザー」で、ドーンは「メルセデス・ベンツSLK」に乗っている。プール付き一戸建てに住んでいるしまあまあ裕福だが、スーパーリッチではない。現在のMMA選手は数百万ドルの契約金が当たり前だが、当時はトップファイターでも大した稼ぎはなかった。
独り立ちしたサフディ弟
痛みに満ちた栄光と挫折を描く作品の監督は、ベニー・サフディである。これまではサフディ兄弟名義で映画製作を行ってきた。『アンカット・ダイヤモンド』がよく知られている。兄のジョシュ・サフディが単独で監督したのが、先だって公開された『マーティ・シュプリーム』だ。ティモシー・シャラメが超絶自己中な卓球選手を演じている。終始カオス状態で走り回っていたのは、『アンカット・ダイヤモンド』でアダム・サンドラーが演じていた役柄とほぼ同じに見えた。
ベニーは兄弟コンビから離れ、独自路線を歩み始めたのだろう。面白いのは、『マーティ・シュプリーム』も日本が重要な舞台になっていることだ。こちらは1952年で、戦後復興期の上野が見事に再現されていた。『スマッシング・マシーン』は2000年の新宿や水道橋をタクシーで移動する。CGでよみがえらせた当時の街並みが懐かしい。「トヨタ・ジャパンタクシー」が走っていたのはご愛嬌(あいきょう)ということにしておこう。
ラストでは現在のマーク・ケアー本人が登場する。ちょっとお腹は膨らんでいたけれど元気そうで、スーパーマーケットでレジのおばさんと楽しげに会話を交わしていた。ピカピカの「フォードF-150」に乗っているから、悪くない暮らしをしているようだ。“霊長類ヒト科最強の男”は、平凡な中年男として穏やかな生活を送っている。
エンディングで流れるのはアラン・パーソンズ・プロジェクトの『ライムライト』。メランコリックなギターをバックに「Limelight shining on me. Telling the world who I am」と歌う。完璧な選曲だ。独り立ちしたベニー・サフディ監督の今後には期待しかない。
(文=鈴木真人)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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