希少なケンメリ「GT-R」が2台登場 日産旧車のイベント「プリンスの丘 自動車ショウ」の会場から
2022.06.14 画像・写真2022年6月5日、東京都武蔵村山市にあるイオンモールむさし村山の駐車場にて、日産旧車をメインとするイベント「プリンスの丘 自動車ショウ」が開かれた。会場となったイオンモールむさし村山の周辺は、1962年にプリンス自動車の工場として開設され、日産との合併後は2001年まで稼働していた同社村山工場の跡地である。
村山工場でつくられた初代「日産ローレル」のワンメイククラブである「クラブC30」が、2020年6月にこの地に隣接する日産ディーラーを会場として里帰りイベントを企画・主催した。以来、数度にわたって同じ場所でクラブC30がイベントを開催しており、今年も企画していたが、あいにく予定がディーラーの改装時期と重なってしまった。そこで村山工場跡地に建つイオンモールむさし村山に会場提供の交渉をしたところ、幸い快諾を得て開催の運びとなったのだという。
以前とは違って会場スペースが広いこともあって、クラブC30が属する日産系旧車クラブの上部組織的な存在である「全日本ダットサン会」に協力を依頼。当日は村山工場でつくられたモデルをはじめとする、同会および傘下の日産系旧車クラブに所属する会員の車両88台が集まった。会場から、リポーターの印象に残ったモデルを中心に紹介しよう。
(文と写真=沼田 亨)
-
1/4088台が集まった会場風景。レッドカーペット上に並べられたのは、今年誕生60周年を迎えた2代目「プリンス・グロリア」(S40)、そして50周年を迎えた2代目「日産ローレル」(C130)と4代目「日産スカイライン」(C110)。いずれも村山工場でつくられたモデルで、ローレルとスカイラインは基本設計を共有するいわば兄弟車である。
-
2/40かつて村山工場に勤務していたという参加者が持参した、ありし日の写真。広大な敷地の上方にコーナーにバンクのついた楕円(だえん)のテストコースがあるのが分かる。写真上方に見えるフラットなスペースは米軍横田基地。
-
3/40会場入りする参加車両のなかから、1971年「日産スカイライン ハードトップ2000GT-R」(KPGC10)。“スカイライン伝説”の最大の担い手である通称“ハコスカ”のハードトップGT-R。
-
4/401960年「ダットサン・ブルーバード1200デラックス」(P312)。前年の1959年に誕生した初代ブルーバードの初期型。テールランプ(写真右上)の形状から“柿の種”と俗称される。
-
5/401965年「ダットサン・ブルーバード1600SSS」。ブルーバードの高性能グレードを指すSSS(Super Sports Sedan)を名乗った、2代目の途中から設定されたモデル。
-
日産 の中古車webCG中古車検索
-
6/401982年「日産セドリック200E GL」(430)。初代から数えて5代目、旧プリンスの「グロリア」と双子車となってから3代目となるセドリックのセダン。
-
7/40開会式にてあいさつする全日本ダットサン会の佐々木徳治郎会長。
-
8/40参加者全員で記念撮影。
-
9/40誕生60周年を迎えた2代目「プリンス・グロリア」のなかに、超希少車である1965年「グランド グロリア」(S44P-1)がいた。2.5リッター直6エンジンを積んだ、当時は禁止税的に自動車税が高額だった3ナンバーの最高級グレードである。エクステリアは専用のフロントグリルを持つマスク、専用ホイールキャップ、クロームメッキされたサイドシルのプレート、エンブレム類などで差別化されている。
-
10/40「プリンス・グランド グロリア」の前席。木目化粧板張りのインパネやリクライニングするセパレートシートは専用装備。フロアトンネル上に車載可能をうたっていたSONYのマイクロテレビが後付けされている。
-
11/40高級ながら上品な雰囲気の後席。座面に置かれたブーケはカタログに倣ったもの。ドア内張りなども専用デザインで、当時は珍しかったパワーウィンドウが標準装備されている。
-
12/40「プリンス・グランド グロリア」のG11型エンジン。「グロリア・スーパー6」や「スカイライン2000GT-A」などに積まれていた2リッター直6 SOHCのG7型を2.5リッターまで拡大したもので、日本初となる4バレルキャブレターを採用。1964年のデビュー当時、国産乗用車で最強の最高出力130PS/5200rpm(グロス値)を発生、4段(3段+OT)MTを介しての最高速度は高級車としては異例に速い170km/hをうたった。
-
13/401966年「プリンス・グロリア6ワゴン」(V43A)。名称はワゴンだが4ナンバーの商用バン。シリーズには「グロリア6エステート」という5ナンバーの乗用ワゴンも存在したので、ややこしい。
-
14/40こちらには生誕50周年を迎えた2代目「日産ローレル」(C130)と4代目「日産スカイライン」(C110)が並んでいる。
-
15/401975年「日産ローレル ハードトップ2000SGX」(KHC130)。SUツインキャブ仕様のL20型エンジンを積んだ2代目ローレルの、一番人気の高性能グレード。車高を下げたほかはオリジナルの姿を保っている。
-
16/401973年「日産スカイライン ハードトップ2000GT」(KGC110)。新車時からの「栃55」ナンバーを付け、オリジナルの姿を維持している通称“ケンメリ”のハードトップ2000GT。購入者である祖父から孫に乗り継がれている準ワンオーナー車という。
-
17/402台並んだ、ほぼフルノーマルの1973年「日産スカイライン ハードトップ2000GT-R」(KPGC110)。GT-R史上唯一となるレース参戦歴のないモデルだが、生産台数197台といわれる希少性ゆえに国産旧車界では「トヨタ2000GT」に次ぐ高い相場価格を維持している、ケンメリのGT-R。
-
18/401962年「プリンス・グロリア」。まだ小型乗用車(5ナンバー)の排気量の上限が1.5リッターだった1959年に、5ナンバーフルサイズセダンだった初代「スカイライン」の内外装を高級化して1.9リッター直4エンジンを積んだ、戦後型としては初の本格的な3ナンバーの普通乗用車として登場した初代グロリアの最終型。白いボディーカラーはノンオリジナルだが、まるで新車のように仕上げられた希少車。
-
19/40初代「プリンス・グロリア」のリアビュー。アメリカ車の影響をストレートに反映したスタイリングを持つ初代「スカイライン/グロリア」の後期型は、歴代の日本車で最も派手なテールフィンを備えていた。
-
20/401966年「プリンス・スカイライン2000GT-B」(S54B-2)。1964年の第2回日本グランプリで「ポルシェ・カレラGTS」(904)と激闘を演じ、“スカイライン伝説”を生んだホモロゲーションモデルの「スカイラインGT」を量産化したモデル。1.5リッター直4 OHVエンジン搭載の「スカイライン1500」のノーズを無理やり200mm延ばし、ウエーバーのツインチョークキャブレターを3連装した「グロリア」用の2リッター直6 SOHCエンジンを押し込んでいる。
-
21/401980年「日産スカイライン ハードトップ2000GTE-Sターボ」(HGC211)。俗称“ジャパン”こと5代目スカイラインの2リッター直6 SOHCエンジンにターボを備えた、スカイライン初のターボエンジン搭載車。
-
22/401981年「日産スカイライン ハードトップ2000RS」(DR30)。直6ではなく直4だが、日産車としてはケンメリ「GT-R」以来となるDOHC 4バルブエンジンを積んだ硬派なモデル。後にターボ仕様、俗称“鉄仮面”ことインタークーラーターボ仕様とバージョンアップしていくが、これは基本となるノンターボ仕様。
-
23/401984年「日産スカイライン2000GT-EXパサージュ」(HR30)。年式的にドアミラー認可後のモデルなのだが、わざわざフェンダーミラーを選んだおとなしいノンターボのセダンGT。鉄仮面や7th(セブンス)の「GTS-R」なども所有しているという日産勤務の現オーナーいわく、近所に住む年配の男性から「あなたなら大事にしてくれるだろうから、乗り継いでくれませんか?」と声をかけられ、走行3万km未満のワンオーナー車を格安で譲り受けたのだそうだ。
-
24/401985年「日産スカイライン4ドアハードトップ パサージュGT」(HR31)。バカ売れしていた「トヨタ・マークII」3兄弟に倣ってハイソカーへの転換をもくろんだ7th(セブンス)こと7代目の、スカイライン史上最初にして最後となったBピラーレスの4ドアハードトップ。
-
25/401989年に16年ぶりに復活した「日産スカイラインGT-R」(BNR32)。手前のレーシング仕様は、グループAの最終年度となった1993年の全日本ツーリングカー選手権に横島 久/トム・クリステンセンのドライブで参戦し、最終戦で優勝したホンモノ。
-
26/40前出のBPカラーのグループA仕様「日産スカイラインGT-R」のエンジン。スープアップされ最高出力600PSといわれていた。
-
27/401970年「日産ローレル ハードトップ2000GX」(KPC30)。もともと日産で設計されていたが、日産とプリンスの合併により、急きょプリンス設計のG型エンジンを積んで村山工場で生産されることになった初代ローレル。その初代ローレルに途中から加えられた日産初となる2ドアハードトップのトップグレード。
-
28/401980年「日産ローレル2000GL」(UC231)。1977年に登場した3代目ローレルの後期型セダン。1978年のマイナーチェンジでヘッドライトが丸目4灯から角目4灯に改められた。
-
29/401983年「日産ローレル ハードトップ200Eメダリスト」(HC31)。歴代ローレルはヨーロピアンとアメリカンなテイストを行ったり来たりしたが、この4代目は「アウトバーンの旋風(かぜ)」というキャッチフレーズからも明らかなように欧州調。確かにスタイリングは当時の「オペル」などに通じる雰囲気だった。
-
30/40手前の1958年「ダットサン1000」(210)をはじめ、初代「ブルーバード」(310)、2代目ブルーバード(410)などの歴代ダットサンが並んでいる。
-
31/401959年「日産オースチンA50ケンブリッジ デラックス」。戦中・戦後の技術的空白を埋め合わせ、乗用車づくりを学ぶために日産がライセンス生産した英国オースチンの中型セダン。1960年代の日産車に与えた影響は大きかった。
-
32/401967年「ダットサン・フェアレディ2000」(SR311)。オープン時代のフェアレディの最終発展型の、俗に“ローウィンドウ”(ウインドシールドの丈が低い)と呼ばれる初期型。アルミホイールが普及する前にはやった、スチールホイールをクロームメッキした商品名“エルスター”ホイールを履いている。
-
33/401967年「日産シルビア」(CSP311)。「ダットサン・フェアレディ1600」(SP311)のシャシーにハンドメイドされた優美なボディーを載せた初代シルビア。1965年の発売当時、120万円という価格は5ナンバーフルサイズの高級車「セドリック カスタム」より高価だった。
-
34/401981年「日産ガゼール ハッチバック ターボXE」(S110)。1980年に登場した、3代目「シルビア」の販売店違いの双子車だったガゼールに加えられた、1.8リッター直4 SOHCターボユニット搭載の上級グレード。
-
35/40なぜ2代目「日産マーチ」が並んでいるのかと思ったら、これも村山工場で生産されていたとのこと。ちなみに手前の2002年「マーチBOX」について、筆者はデビュー当時から「将来的にレア車になる」と予想していたが、どうやら当たったようだ。
-
36/40右から1968年「日産プリンス・クリッパー」と、「日産クリッパー」のユニック仕様(1980年)およびローダー仕様(1979年)。日産の軽トラックの名称として21世紀に入ってから復活、現在も使用されているクリッパーは、もともと1958年にデビューしたプリンスの小型キャブオーバートラックの名称だった。手前はその2代目、残り2台は日産との合併後に「キャブオール」の双子車となった4代目。
-
37/40閉会式の前に、誕生50周年を迎えた車両のオーナーに「日産名車殿堂入り」を認定する「名車認定証」が全日本ダットサン会の佐々木会長から授与された。
-
38/40すべてのプログラムが終了し、退出する車両。これは1964年「プリンス・グロリア スーパー6」。
-
39/40特徴的な円形のストップランプをともしたケンメリの「GT-R」。
-
40/40ケンメリの「GT-R」の後ろには、ハコスカGT-Rが2台続いていた。