第36回:『偉大なる失敗作』ホンダ1300(1969〜1972)(最終回)
2006.09.13 これっきりですカー第36回:『偉大なる失敗作』ホンダ1300(1969〜1972)(最終回)
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■時代には抗えず
1970年に入り、クーペとオートマチックを追加したことによって販売台数が一気に上向いた「ホンダ1300」。結果的にはその勢いは半年ほどしか続かなかったが、11月には発表から約2年、発売から1年半を経たセダンにマイナーチェンジを実施した。
外装はフロントとリアエンドなどが改められて以前よりおとなしい印象となり、内装も一新された。機構的にはなんら変更はなかったが、4キャブの99シリーズが廃止されて、セダンはシングルキャブの77シリーズのみとなった。
翌71年6月には、今度はクーペがマイナーチェンジを受けた。こちらは車種構成が再編されて、セダンに準じたマスクを持つ「ゴールデンシリーズ」と従来型をフェイスリフトした「ダイナミックシリーズ」に二分された。バリエーションは前者がスタンダード、デラックス、カスタム、後者がSL、GT、GL、GTLとなったが、110psの4キャブユニットを積むのはGTLのみで、ほかはみなシングルキャブの95ps(ATは80ps)ユニットとなってしまった。
こうしたテコ入れにもかかわらず、競合車種が相次いで世代交替を果たしたこともあって1300シリーズの商品力は相対的に下がっていき、平均月販台数は70年の4000台弱から71年には約2300台へと低下を余儀なくされたが、さらなる手をホンダは打とうとはしなかった。なぜなら71年6月に誕生した軽乗用車「ライフ」によって、すでに水冷への宗旨替えを果たしていたからである。
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その理由は、時代の要求だった公害対策にある。70年にはアメリカで通称マスキー法と呼ばれる排ガス規制法が制定され、日本でも公害対策の研究を理由にトヨタ・日産が撤退を表明したことによって日本グランプリが中止されるなど、公害対策は自動車界の最優先課題となっていたのだ。
その排ガス対策を行うにあたっては、エンジンの燃焼温度を一定に保つことが重要であるが、空冷エンジンではそれが困難だった。つまりこれ以上空冷に固執することは、量産車メーカーとして成立しえなくなることを意味したのである。
さしものホンダも背に腹は代えられず水冷に転換、72年7月には新時代のベーシックカーを謳ったまったく新しい小型車である「シビック」を登場させた。
台形をモチーフとしたコンパクトな2ボックスボディをはじめ、全体を通してヨーロッパ流の合理的な設計思想が貫かれたシビックは、発売と同時に高い人気と評価を獲得した。その水冷直4SOHC1.2リッターエンジンの最高出力は60ps/5500rpmだったが、これは同クラスでもっとも低い値だった。冷却方式のみならず、高回転・高出力型から扱いやすさと経済性を重視したものへと性格も180度の転換を果たし、クルマ全体におけるエンジンの地位も主役から黒子へと是正されたのである。
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■強烈な個性を放つゆえに……
いっぽうシビックの登場で時代遅れの「負の遺産」であることが明白になってしまった1300は、同年11月、シビックのそれを拡大した1433ccの水冷エンジンに換装され、新たに「145」シリーズと名乗った。だが、良くも悪くも主役であったDDACエンジンを失った同シリーズにもはや存在意義は薄く、細々とつくられたのちセダンは73年、クーペは74年ごろにひっそりとフェードアウトしていった。
ホンダが社運を賭して開発した、世界に誇る画期的な小型車であったはずの1300シリーズだが、結果的には失敗作に終わってしまった。
とはいうものの、採算の問題を度外視すれば、およそ3年間で約10万台というセールス自体は、思ったより悲観的な数字ではない。少なくとも、この「これっきりですカー」でこれまでに紹介したモデルのなかでは、ダントツでトップセラーのはずである。
なにせ前回紹介した「ダイハツ・アプローズ」など、10年間で2万2000台弱だったのだから……。なんて言ったところで、いまさらホンダ1300の評価が覆るはずもないのだが、あまりに当初の期待が大きく、またあまりに強烈な個性を放つクルマだったゆえに、その失敗ももっとダメージが大きかった(つまり売れなかったという意味)ような印象を抱いてしまうのである。
シビックの成功によって、1300シリーズでは果たせなかった「四輪もつくる二輪車メーカー」から「本格的な四輪車メーカー」への脱皮をホンダが果たした73年10月、本田技研創業以来の社長だった本田宗一郎は、副社長の藤沢武夫ともどもその座を退いた。
世間を驚かせた、日本社会の常識からすれば早すぎる宗一郎の引退(当時65歳)と、1300シリーズの失敗との因果関係は不明だが、そのきっかけのひとつになったのでは、という気がしてならない。
先日、現役のエンジニア500人に「憧れのエンジニア」は誰かというアンケートを取ったところ、トップは宗一郎だったというニュースを読んだが、そんな偉大な技術者であり、ボスであった彼に引退を決心させた理由のひとつになった……可能性のあるホンダ1300は、自動車史上に語り継がれるべき「偉大なる失敗作」なのかもしれない。(おわり)
(文=田沼 哲/2004年12月)

田沼 哲
NAVI(エンスー新聞)でもお馴染みの自動車風俗ライター(エッチな風俗ではない)。 クルマのみならず、昭和30~40年代の映画、音楽にも詳しい。
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第53回:「これっきりモデル」in カローラ・ヒストリー〜その4「謎のスプリンター」〜 2006.11.23 トヨタ・スプリンター1200デラックス/1400ハイデラックス(1970-71)■カローラからの独立1970年5月、カローラが初めて迎えたフルモデルチェンジに際して、68年に初代カローラのクーペ版「カローラ・スプリンター」として登場したスプリンターは、新たに「トヨタ・スプリンター」の名を与えられてカローラ・シリーズから独立。同時にカローラ・シリーズにはボディを共有する「カローラ・クーペ」が誕生した。基本的に同じボディとはいえ、カローラ・セダンとほとんど同じおとなしい顔つきのカローラ・クーペに対して、独自のグリルを持つスプリンターは、よりスポーティで若者向けのムードを放っていた。バリエーションは、「カローラ・クーペ」「スプリンター」ともに高性能版の「1200SL」とおとなしい「1200デラックス」の2グレード。エンジンは初代から受け継いだ直4OHV1166ccで、「SL」にはツインキャブを備えて最高出力77ps/6000rpmを発生する3K-B型を搭載。「デラックス」用のシングルキャブユニットはカローラとスプリンターで若干チューンが異なり、カローラ版は68ps/6000rpm(3K型)だが、スプリンター版は圧縮比が高められており73ps/6600rpm(3K-D型)を発生した。また、前輪ブレーキも双方の「SL」と「スプリンター・デラックス」にはディスクが与えられるのに対して、「カローラ・クーペ・デラックス」ではドラムとなっていた。つまり外観同様、中身も「スプリンター」のほうがよりスポーティな味付けとなっていたのである。しかしながら、どういうわけだか「スプリンター1200デラックス」に限って、そのインパネには当時としても時代遅れで地味な印象の、角形(横長)のスピードメーターが鎮座していたのだ。
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第52回:「これっきりモデル」in カローラ・ヒストリー〜その3「唯一のハードトップ・レビン」〜 2006.11.15 トヨタ・カローラ・ハードトップ1600レビン(1974-75)■レビンとトレノが別ボディに1974年4月、カローラ/スプリンターはフルモデルチェンジして3代目となった。ボディは2代目よりひとまわり大きくなり、カローラには2/4ドアセダンと2ドアハードトップ、スプリンターには4ドアセダンと2ドアクーペが用意されていた。このうち4ドアセダンは従来どおり、カローラ、スプリンターともに基本的なボディは共通で、グリルやリアエンドなどの意匠を変えて両車の差別化を図っていた。だが「レビン」や「トレノ」を擁する2ドアクーペモデルには、新たに両ブランドで異なるボディが採用されたのである。カローラはセンターピラーのない2ドアハードトップクーペ、スプリンターはピラー付きの2ドアクーペだったのだが、単にピラーの有無ということではなくまったく別のボディであり、インパネなど内装のデザインも異なっていた。しかしシャシーはまったく共通で、「レビン」(型式名TE37)および「トレノ」(同TE47)についていえば、直4DOHC1.6リッターの2T-G/2T-GR(レギュラー仕様)型エンジンはじめパワートレインは先代から踏襲していた。ボディが大型化したこと、および双方とも先代ほど簡素でなくなったこともあって車重はレビン930kg、トレノ925kgと先代より60〜70kg前後重くなった。
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第51回:「これっきりモデル」in カローラ・ヒストリー〜その2「狼の皮を被った羊(後編)」〜 2006.11.10 トヨタ・カローラ・レビンJ1600/スプリンター・トレノJ1600(1973-74)■違いはエンブレムのみ1972年3月のレビン/トレノのデビューから半年に満たない同年8月、それらを含めたカローラ/スプリンターシリーズはマイナーチェンジを受けた。さらに翌73年4月にも小規模な変更が施されたが、この際にそれまで同シリーズには存在しなかった、最高出力105ps/6000rpm、最大トルク14.0kgm/4200rpmを発生する直4OHV1.6リッターツインキャブの2T-B型エンジンを積んだモデルが3車種追加された。うち2車種は「1600SL」と「1600SR」で、これらはグレード名から想像されるとおり既存の「1400SL」「1400SR」のエンジン拡大版である。残り1車種には「レビンJ1600/トレノJ1600」という名称が付けられていたが、これらは「レビン/トレノ」のボディに、DOHCの2T-Gに代えてOHVの2T-B型エンジンを搭載したモデルだった。なお、「レビンJ1600/トレノJ1600」の「J」は「Junior(ジュニア)」の略ではないか言われているが、公式には明らかにされていない。トランクリッド上の「Levin」または「Trueno」のエンブレムに追加された「J」の文字を除いては、外から眺めた限りでは「レビン/トレノ」とまったく変わらない「レビンJ/トレノJ」。だがカタログを眺めていくと、エンジンとエンブレムのほかにも「レビン/トレノ」との違いが2点見つかった。
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第50回:「これっきりモデル」in カローラ・ヒストリー〜その1「狼の皮を被った羊(前編)」〜 2006.11.6 誕生40周年を迎えた2006年10月に、10代目に進化したトヨタ・カローラ。それを記念した特別編として、今回は往年のカローラおよびその兄弟車だったスプリンター・シリーズに存在した「これっきりモデル」について紹介しよう。かなりマニアックな、「重箱の隅」的な話題と思われるので、読まれる際は覚悟のほどを……。トヨタ・カローラ・レビンJ1600/スプリンター・トレノJ1600(1973-74)■スパルタンな走りのモデル型式名TE27から、通称「27(ニイナナ)レビン/トレノ」と呼ばれる、初代「カローラ・レビン1600/スプリンター・トレノ1600」。英語で稲妻を意味する「LEVIN」、いっぽう「TRUENO」はスペイン語で雷鳴と、パンチの効いた車名を冠した両車は、2代目カローラ/スプリンター・クーペのコンパクトなボディに、セリカ/カリーナ1600GT用の1.6リッターDOHCエンジンをブチ込み、オーバーフェンダーで武装した硬派のモデルとして、1972年の登場から30余年を経た今なお、愛好家の熱い支持を受けている。「日本の絶版名車」のような企画に必ずといっていいほど登場する「27レビン/トレノ」のベースとなったのは、それらが誕生する以前のカローラ/スプリンターシリーズの最強モデルだった「クーペ1400SR」。SRとは「スポーツ&ラリー」の略で、カローラ/スプリンター・クーペのボディに、ツインキャブを装着して最高出力95ps/6000rpm、最大トルク12.3kgm/4000rpmを発生する直4OHV1407ccエンジンを搭載したスポーティグレードだった。ちなみにカローラ/スプリンター・クーペには、1400SRと同じエンジンを搭載した「1400SL」というモデルも存在していた。「SL」は「スポーツ&ラクシュリー」の略なのだが、このSLに比べるとSRは装備が簡素で、より硬い足まわりを持った、スパルタンな走り重視のモデルだったのである。
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