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第13回:タクシーの車内には、客の数だけ物語がある

2012.12.28 リーフタクシーの営業日誌 矢貫 隆

第13回:タクシーの車内には、客の数だけ物語がある

三十数年前の物語

『タクシー』(森村誠一著・文春文庫)のなかに「タクシーを降りる乗客は、料金だけでなく人生の破片もいっしょに車内に残していく」という趣旨の一節があるけれど、読みながら、「確かに」と思った。

近頃は、めっきりそれを感じなくなったが、俺が初めて京都でタクシー業界に足を踏み入れた学生時代、要するに三十数年前は、今にして思えば、確かに、乗客は「人生の破片」を車内に残していったような気がする。そして、仕事を終えての洗車は、『タクシー』が書くとおり、それらを洗い落とす作業でもあったのかもしれないと思う。

「泣いててもええか? 名古屋に着くまで泣いててもかまへんか?」

夫の元を飛び出してきたと泣きながら話した女は、ただそれだけ言うと、京都から名古屋までずっと泣き続け、言葉の端々から伝わってくる事情を察すると、破綻したばかりの彼女の結婚生活の一部がルームミラーに映っているように思えたものだった。

「お母さんが捕まってしもうてな、保釈金を作らなあかんねん。あんた(=タクシー運転手=若かりし頃の矢貫隆)誰か知らんか」

当時、違法な売春宿がまだ公然と残っていた色街で乗せた女の客は、40代か、もしかすると50代だったかもしれない。彼女の話がどこまで本当なのか、若いタクシー運転手に見抜けるはずもなかったが、嘘か真か彼女の話は要するに、彼女らが「お母さん」と呼ぶ女主人が売春あっせんの容疑で捕まってしまい、その保釈金を稼ぐためにみんなで手分けして金を作りにいく(つまり売春)とのことだった。

夜な夜なタクシーの車内でこの手の出来事が繰り広げられた時代、ドラマみたいな話がたくさんあった時代、あの頃は確かに「人生の破片」が車内には落ちていた。

では、今は?
全然。
いや、「全然」は言い過ぎだ。時には「物語」が起こることもある。

(写真=荒川正幸)
(写真=荒川正幸) 拡大

現在の物語

新宿区内にある大きなスーパーマーケットの前で、ちょっと見、60歳代とおぼしきその女性は、まるで、黒くて丸っこいタクシーがやってくるのを待ち構えているかのように、何台も目の前を通りかかるタクシーをやり過ごしていた。

「おそれいります。〇町×丁目までお願いします」
品のいい良家の奥さまふうの彼女は、黒いリーフタクシーに乗り込むと丁寧な口調でそれだけ言い、妙に落ち着かない様子で右を見たり左を見たり、なんだか車窓からの景色が気になっているようだった。
新宿通りが混雑さえしてなければ目的地の〇町×丁目までは10分とかからない。

「×丁目の交差点あたりでいいですか?」
運転手が尋ねても乗客は答えず、乗り込んだときと同じように、落ち着きのない様子で左右の景色を気にしている。そして目的地、×丁目の交差点に到着。

こちらでよろしいですか?
「〇町×丁目までお願いしたいんです」
ですから、ここが……。
「〇町×丁目までお願いしたいんです」
「ここはどこでしょうか?」
この地点が〇町×丁目だと何度説明しても、本人が行きたい場所を何度尋ねても答えは「〇町×丁目までお願いしたいんです」が返ってくるだけでらちがあかない。
認知症?
間違いない。リーフタクシーの運転手(=矢貫隆)は以前にもこの手の客を乗せたことがあった。

お巡りさんに〇町×丁目を探してもらいましょうか?
彼女は「警察」という言葉に少しおびえたような目つきになり、なんだかかわいそうだとは思ったけれど、とても俺の手におえる状況ではなかった。

「あんた、自分が行く場所、どうしてわからないの。おかしいじゃないか」対応にでた私服の警官は、彼女が悪質なただ乗り女の類いだと勘違いしたらしく、少しばかり威圧的な口調でそう言った。
違うんです、と俺がその私服警官に言ったときはもう遅くて、彼女は、助けを求めるようにおびえきった目で俺を見た。

ほら、怖がっちゃった。

この女性はね、というような問答の末、事情を知った私服警官は奥に引っ込み、物腰の柔らかそうな警察官と婦人警官が後を引き継いだ。

「タクシー料金、どうしますか?」

婦人警官の問いに、それは気にしなくていい(こう言ってしまった以上、料金は運転手がかぶることになる)と見えを張り、後はよろしく、と、その場を立ち去る俺。
そのとき、ひとりの私服警官が俺を呼び止めた。
「運転手さん」
はい?
「ずいぶん変わった格好のタクシーだね」
電気自動車なんですよ。
「へぇ〜、初めて見たよ。これって、リッター何キロくらい走るの?」
……


認知症の女性を送り届けた警察署から「家族が見つかった」との電話連絡が入ったのは、その日の夕方だった。
「ご家族の方が運転手さんにお礼を言いたいと言っていますが……」
いや、お気遣いなく。

連絡をくれた警察官の話によれば、あの女性は、若い時分に〇町×丁目に長く住んでいたことがあり、これまでも何度か「〇町×丁目」を目指して出掛け、そのたびに保護されていたのだという。
きっと、彼女は若い時分に何か大切なものを〇町×丁目に置き忘れてきたのだろう。だからこの日も、偶然に乗り合わせたリーフタクシーで、彼女が置き忘れた人生の破片を探しに〇町×丁目に向かったのだと思う。

タクシーの車内には、やっぱり物語はある。

(文=矢貫隆/写真=荒川正幸)

矢貫 隆

矢貫 隆

1951年生まれ。長距離トラック運転手、タクシードライバーなど、多数の職業を経て、ノンフィクションライターに。現在『CAR GRAPHIC』誌で「矢貫 隆のニッポンジドウシャ奇譚」を連載中。『自殺―生き残りの証言』(文春文庫)、『刑場に消ゆ』(文藝春秋)、『タクシー運転手が教える秘密の京都』(文藝春秋)など、著書多数。

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