第10回:“きたみつ”さんのエリートドライバー
2012.09.11 リーフタクシーの営業日誌第10回:“きたみつ”さんのエリートドライバー
選ばれた運転手さん
「きたみつさんのところにある電気自動車は1台だけですか?」
「へぇ〜、東京に19台! そんなに貴重なタクシーの担当をしているんじゃ、運転手さん(=矢貫隆)は、きたみつさんの“選ばれた運転手”さんなんですね。きたみつさんのエリートじゃないですか」
板橋区内にあるわが「北光自動車交通」の近所の住人らしき年老いたその女性客は、朝の出庫で慌ただしい時間帯にわが社の門前にやってきて、ちょうど出庫しようとしていた黒くて丸っこい形のタクシー(=日産リーフ)に乗り込んで「高島平中央病院」と目的地を告げたのだった。
正確には「高島平中央総合病院」。そう、9月の初旬、「医師免許のない男が区民2300人に検診をしていた」とニュースが報じた、あの病院である。わが社からはほんの5〜6分、料金にして890円の距離。彼女が乗車した時点では、まだニセ医師問題は発覚しておらず、車内での話題の中心はリーフだった。
彼女、走りだすなり「このクルマ、ほかのタクシーと形が違うんですね」と尋ね、実は電気自動車なんですよと言う運転手の言葉に大仰に驚いたふうな口調で「あらッ」と言っていったん言葉を切り、次にどんな言葉がでるのか待っていたところに続いたのが、冒頭の「きたみつさんのエリート」だった。
いやぁ、エリートというわけじゃないですけど……、と、いかにも謙遜しているふうを装う運転手。
「そうよねぇ、会社に1台しかないんですもんねぇ、特に優秀な運転手さんを選んだんでしょうねぇ……」
年老いた乗客の言葉には少しの嫌みもなく、本心からの「きたみつさんのエリート」のように聞こえた。
実は誤解なんです……、と、本当のことを言うには乗車時間が短すぎる。だから黙っていたけれど、実は誤解なのだ。
いや、確かに、事情を知らなければ誰だって誤解する。
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エリートドライバーの真実
第7回「新人タクシー運転手」で書いたけど、新人は最初から黒塗りのハイグレード車なんて担当させてはもらえない。まず赤とか緑色の、しかも会社で一番古くて走行距離は優に30万kmを超えたスタンダード車から、と相場は決まってる。
徐々にステップアップし、最後に黒塗りに至るとの序列がある。という事実からすれば、東京にたった19台しかない、北光自動車には1台しかない特別なタクシー、リーフの運転手が「きたみつさんのエリート」と思うのはしごくまっとうな思考の末の言葉と言うべきだろう。
この僕、本人でさえ、そう思っていた。なにしろ、リーフの担当者である斉藤孝良(第7回参照)という運転手は、中央無線の指導員ドライバー(制服だってその他大勢の運転手とは違う)だし、地元・高島平警察署から表彰を受けるほどの運転手なのである。
スペシャルなタクシーはスペシャルな運転手が担当する。入社したての頃、僕はそう思い込んでいた。
でも、違ってた。
斉藤さんの仕事っぷりは見事にマイペースで、育ちの良さが災いしてか、微塵(みじん)も必死さがないものだから、彼の1カ月間の水揚げの低さときたら昼勤運転手のなかで屈指なのである。
他方、リーフの走行可能距離はフル充電で80kmほどで、ヒーターを使う真冬ともなれば40km。これじゃ満足にタクシー仕事なんてできるわけもなく、タクシーの稼ぎで一家を養っている運転手にリーフを担当させるのは酷というものだ。
事故を起こさない運転上手で、しかも、必死で仕事をするわけではない運転手。リーフを担当するにふさわしい、そんな都合のいい運転手はいないか? いるわけがない。いや、いた。それが斉藤さん。
“選ばれた運転手”には違いないけれど、選ばれた方にしてみれば、なんだか微妙。
そして、ある日のこと。
出勤すると「待ってたんだよ、矢貫さん」と遅刻した運転手に声をかけた経営者が、こう続けた。
「今日から、斉藤くんと一週間交代でリーフの担当してね」
えッ、と絶句の俺。
俺、斉藤さんに匹敵する“必死さが足りない運転手”かよ。
というような社内事情には触れず、「きたみつさんのエリート」のまま高島平中央病院に到着。そして「きたみつさんのエリート」は、年老いた乗客を降ろしてから気がついた。
しまった、大事なことを言い忘れてた。「きたみつ」さんじゃなくて、うちの会社の名前、「ほっこう」なんだけど。
(文=矢貫隆)

矢貫 隆
1951年生まれ。長距離トラック運転手、タクシードライバーなど、多数の職業を経て、ノンフィクションライターに。現在『CAR GRAPHIC』誌で「矢貫 隆のニッポンジドウシャ奇譚」を連載中。『自殺―生き残りの証言』(文春文庫)、『刑場に消ゆ』(文藝春秋)、『タクシー運転手が教える秘密の京都』(文藝春秋)など、著書多数。
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