第240回:「チョーク」を知らずにボクらは育った
2012.04.13 マッキナ あらモーダ!第240回:「チョーク」を知らずにボクらは育った
それは修行だった
今回は、自動車用語における「消えたもの」「消えゆくもの」のお話である。
ボクが大学を出て社会人2年目の1990年のことである。「フィアット・ウーノ」か「トヨタ・セラ」か迷ったあげく、最終的にウーノを買った。CVT搭載の「セレクタ」というモデルだ。
このクルマ、ボクにとって初めて所有するイタリア車ということで大満足だったのだが、唯一面倒くさい点があった。「チョーク」である。
念のため説明すると、寒いときにエンジンが吸入する空気の量を制限するための装置である。結果として燃料の供給量が増えるので、エンジン始動が容易になる。
ウーノの場合、このチョーク調節レバーが左ハンドルのダッシュボードの左下に付いていて、エンジンを始動する前に引っ張るようになっていた。ボクより先輩世代の方にとって説明は噴飯ものだと思うが、このチョークは操作してから長い間そのままにしておくと、スパークプラグに燃料がかかって(かぶって)しまう。そこで引っ張ったレバーをまずは半分戻し、頃合いを見計らって全部戻すことが必要だ。幸い、勤めていた会社に同じくウーノを所有する先輩がいたので、コツを熱烈に指導してもらった。
「点火時期調節レバー」を操作していた時代の人からすれば「この怠け者がっ!」と一喝されるだろうが、こちらは戦争を知らない子供たちならぬ、チョークを知らない子供たちだ。それまでのわが家のクルマ2台はいずれも自動チョークだった。
さらに世の中は、すでに電子制御燃料噴射の普及とともに、チョークの付いたクルマは劇的に減ってゆく途上だった。そんなこともあって亡父からは「新しいクルマなのに、まだチョークがあるのか」と冷笑されたものだった。まったくもって悲しくなった。
ただし、今イタリアで2代目「フィアット500」のキーを預けられても、なんとか運転できるのは、ウーノでの“チョーク修行”のおかげであることも事実である。
セミオートマチック
実はウーノ以前に、オープンカーに乗りたくてレンタカーで借りた初代「ホンダ・シティ」のカブリオレにもチョークレバーが付いていたが、ウーノほど神経質ではなかったと記憶している。
それよりシティで思い出す死語は「セミオートマチック」だ。簡単にいうと、発進から巡航速度に達するまでDレンジに突っ込んでおけばセレクターレバーを操作する必要がない現在のフルオートマチックと違い、加速の途中で操作を要するATである。
初代シティには“ホンダマチック”というホンダ独自のセミATが採用されていた。詳しい経緯は割愛するが、世界各国の特許に抵触しないよう配慮しながら、独自技術を駆使したホンダらしいATだった。メーカーはフルオートマチックに近い操作を宣伝していたし、レンタカーの営業所でも特に説明がなかった。
しかし実際のところは、一般のATでいうDレンジに相当する「★(スター)」レンジでの加速は、路上穏健派のボクでさえ満足できないものだった。Lレンジで発進し、速度が一定に達したところでスターレンジにアップしないと、かなりフラストレーションが募った。それまでホンダ提供の週末番組「すばらしき仲間」の時に流れるCMを見て、スターレンジという言葉にシビれていたボクとしては複雑だった。そうしたタイプのセミATは、フルATに比べて一般的に価格が安いことが長所だったが、フルATの価格低減とともに消えていった。
エンストと慣らし運転
フルATの普及とともに聞く頻度が少なくなった死語といえば「エンスト」であろう。極端に調子が悪くなったATでは今でも起きるものの、運転の稚拙さによって発生させる率はマニュアル車より極端に少ないはずだ。
なお、イタリアではいまでもバスにマニュアル車が多く、時折お客を乗せていても運転士がクラッチ操作を誤り、エンストを起こすことがある。当然、坂道発進をしくじったときはズズズーッと後退するのだが、運転士は何事もなかったのごとく再始動する。お客も大して驚かない。
そんな光景に慣れているものだから、東京のバスでアイドリングストップが作動しても、「ああ、またエンストか」と思ってしまうボクである。
いっぽう、近い将来完全消滅するであろうものといえば「慣らし運転」に違いない。最近の取扱説明書において、その項目に割くページは年々少なくなっている。ボクの最初のクルマ、親のお下がりの「アウディ80」(1981年)の説明書を見返してみると、慣らし運転の項目が細かく説明されている。
メーターの説明のところからして、「ならし運転中の許容スピードにご注意ください」で始まり、他ページには最初の1000kmまでの運転方法が丁寧に記されている。そういえばメルセデス・ベンツも、ある時期まで新車のウインカーレバーに慣らし運転の方法を記した小冊子が引っ掛かっていたものだ。
紙の免許証
そんなことを書いていたら、先日母の遺品の中から、あるものが出てきた。昔の免許証である。今日まで続く「カード式」に移行する以前のものだ。日付を見ると、昭和48年(1973年)発行である。母は昭和36年(1961年)に運転免許を取得しているから、4回めの更新ということになる。
交通安全協会の文字が入ったビニール製免許ホルダーには、「カッとする心の動きが事故のもと」という標語とともに、三菱カーステレオの広告が入っている。「迫真のステレオ感が味わえる」というキャッチが素直すぎて泣かせる。
ただし、たとえカバーはあっても、この免許証はラミネート加工されていない。生前の母をはじめ当時を知る人の証言によると、「誤ってポケットに入れたまま洗濯してしまい、再交付申請する人が後を絶たなかった」という。
と笑ってみたものの、ボクが住むイタリアでは、いまなお紙の免許がある。説明すると、新規発行の免許証は欧州連合(EU)規格のプラスチックカード式だが、現状では、以前のEU書式で印刷された紙製を使っている人も多いのだ。
これは、「紙のまま更新なら印紙代と健康診断の手数料だけ。カードに切り替えたい場合は、80ユーロ追加」というシステムのためである。そういうボクも80ユーロがもったいないので、前回の更新の際、紙製免許に更新済みステッカーを貼るだけで済ませた。
ただし近い将来には、すべてプラスチックに統一される予定なので、次回(2017年)の更新をもって、ボクもこの紙製免許とおさらばであろう。
ところで、先日から本稿を書いているPCの寝起きが悪い。ひたすら消えない黒字に白のIntelマークは、もはや自分のまぶたを閉じても見えるようになった。いや、Intelマークまで到達しないこともある。
そんなとき思い出すのが、わが家にあった一番初めのクルマである英国製大衆車「モーリス・マイナー シリーズII」である。後年やってきたビートルとは対照的に故障ばかりしているクルマで、エンジンの機嫌が悪いたび亡父はフロントに開いた穴にクランクを突っ込んでBMC・Aシリーズエンジンをたたき起こしていた。もしくは幼いボクも手伝って押し掛けしていた。
それを思い出しながら、PCにも「クランク穴」があったり、「押し掛け」できればいいのにと思うのである。
(文と写真=大矢アキオ、Akio Lorenzo OYA)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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