第62回:理想に燃えていた彼は、ボロいワゴンに乗っていた……
『スティーブ・ジョブズ』
2013.10.30
読んでますカー、観てますカー
ジョブズ生き写しの顔で「ポルシェ928」に乗る
「Macの筐体(きょうたい)はフォルクスワーゲンではなく、ポルシェのようであるべきだ」
1980年当時、スティーブ・ジョブズがそう話していたということを、インプレッション記事で取り上げたことがある。この映画の中にも、ジョブズが「ポルシェ928」を自ら運転するシーンがあった。『スティーブ・ジョブズ』は2011年にこの世を去った希代のビジョナリーを描いた作品で、ごく最近の話だけにリアリティーの追求には気合が入っている。
何より、実在の人物が憑依(ひょうい)したかのような俳優陣が素晴らしい。ジョブズ役のアシュトン・カッチャーなんか、本当に生き写しだ。ちょっと覇気の足りないハンパなイケメンという、従来のイメージを覆す怪演である。若い頃のいけ好かないイケイケ野郎時代から、晩年の弱々しくて思慮深そうなたたずまいまで、見事に演じ分けている。滝川クリステルのパフォーマンスの元ネタと言われる合掌ボーズなど、本人より本人らしい。『キス&キル』でゴールデンラズベリー賞を受賞した黒歴史を、これで吹っ切ることができるかもしれない。
ジョブズ以外も、顔面相似度は高い。ジョン・スカリーやビル・アトキンソン、ギル・アメリオあたりはかなり高得点だ。惜しむらくは、スティーブ・ウォズニアックの素朴で武骨な類人猿系天才ぶりの再現度が足りない。それでも“そっくりショー”としてはかなりレベルの高い仕上がりである。少し前に公開された『ダイアナ』で、ナオミ・ワッツの好演にもかかわらず顔の骨格がダイアナ妃とあまりに違うことが雑音になってしまったのと好対照だ。
「SL」を身障者用スペースに駐車
リアリティーということでは、ジョブズのクソ野郎伝説の描き方も容赦ない。“親友”のウォズニアックをだましたエピソードも、しっかり入っている。貧乏時代のジョブズは再プログラミングの仕事を5000ドルで請け負い、ウォズにほとんどの作業をやらせてまんまと報酬をせしめる。しかし、彼には700ドルの仕事だと話していて、その半分の350ドルしか渡さなかった。友情より金が大切なのだ。こんなやつとは友達になりたくない。
会社を興してからも、とことん自己中でエゴイスティックで我が強いやつだ。能力の劣る人間をさげすみ、異論を挟むものはクビにしてしまう。目標を達成できない人間はクズ扱いだ。自分のビジョンを実現するためには、障害になるものをすべて排除する。権謀術数をめぐらして、敵を陥れようとする。こんな上司のもとでは、会社生活は地獄だ。ブラック企業として批判されているあの飲食店や例のアパレル会社なんか、まだマシなんじゃないかと思えるほどである。
いいものを生み出すための情熱ゆえの暴走、と解釈したいが、どうやら人間性に根本的な欠陥があったとしか考えられない描写もある。尾羽打ち枯らしたかつての友人が頼ってきても、温情のかけらも見せない。妊娠を告げる恋人に、オレの子じゃないと言い放つ。アップル本社に「メルセデス・ベンツSL」で乗りつけるが、彼がクルマを停めたのは身障者用の駐車スペースである。
ジョブズの人望は地に落ち、彼が一人ぼっちになってしまったのも当然だ。ウォズニアックや会社創立を支援してくれたマイク・マークラまでもが離反していき、ジョブズ自身がスカウトしてCEOに据えたスカリーに会社を追い出されることになるのだ。
ガレージで誕生したコンピューター
もしアップルがなかったらと考えると、暗い気持ちになる。MacBook AirやiPhoneがない世界なんて、きっと味気ないものに違いない。しかし、それを作ったのは、およそ生き方の模範としたいような人間ではないのだ。
おそらく、ジョブズが抱いていた理想と情熱は、生涯変わっていないのだろう。しかし、会社が大きくなり事業として成立させるための要件が多くなってくると、さまざまな厄介事に直面せざるを得ない。理想を形にすることより、汚い手を使ってでも障害を取り除こうとすることに労力が割かれるようになる。
アップルの最初の製品が生み出されたのは、ジョブズのガレージである。義父がクルマの手入れをしていた場所の一部を借り、仲間たちとボードコンピューターを組み上げたのだ。誰も作ったことのない物を作り、誰も想像していなかった未来を実現させようと夢想していた。メルセデスもポルシェもあるはずはなく、ボロいワゴンに乗り込んで郊外へ行き、草原に寝転んで空を見つめていた。
宮崎駿の最後の作品となった『風立ちぬ』も、やはり理想を追い続けたエンジニアの話だった。あの映画では、ゼロ戦を作った堀越二郎の葛藤は描かれていない。自分の情熱が形になった戦闘機が戦争に使われて人の命を奪ったことについては触れず、美しい夢を追った男の魂だけを取り出して見せた。コンピューターも戦闘機も、そしてクルマだって、純粋な夢から始まった。汚れてしまった悲しみにも、原点には輝くような希望と大志があったのだ。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。